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L-TRIPインタビュー企画 #1-3(後編)『肺移植経験者に聞く間質性肺炎』

本記事は前編・中編・後編の3部構成の中の「後編」となります。
▼前編▼

▼中編▼


ゲスト:Y. Y. さん
職業はITエンジニア。1児の父。特発性間質性肺炎と診断され、在宅酸素療法が必要になる。 2017年に脳死肺移植により、酸素不要の生活を取り戻す。現在は、社内SEとして、フルタイムで働いている。

10.退院後の生活とコロナ禍

— 移植後、退院されてからの生活はどのようなものでしたか?
仕事は半年ぐらい休みながら、掃除や料理など少しずつできることを増やしていきました。もともと食べ歩きも趣味だったので、気をつけながら外出もして、筋力が戻るようにリハビリを続けました。そして、退院してから約半年、会社にも復帰することが出来ました。最初は一部リモートでしたが、徐々に出勤する回数も増やしていき、酸素無しで元の生活が送れるようになってきましたね。

—半年で酸素なしの状態まで復帰できたのは本当にすごいですね。お仕事はパートタイムからの復帰でしたか?
復帰後はフルタイムで働いていました。とはいえ、「元の生活」とは言っても完全ではありませんでしたね。術後しばらくは免疫抑制剤の影響か風邪を引きやすく、移植の翌年に風邪をこじらせて肺炎で入院するようなこともありました。入院とは言っても「念の為」とのことで、抗菌薬を入れてしばらくで退院できました。ただ、その次の年にサイトメガロウイルス*の肺炎で入院したときには厄介でしたね。薬を何種類か変更してようやく治すことができましたが、先生からは、「今後気をつけてください」と言われましたね。

*サイトメガロウイルス:日常環境によく見られるウイルス。健康な人では感染してもほとんど問題にならないが、免疫抑制剤を使用している方では、重症の肺炎や網膜炎を引き起こす可能性がある。

—この2回の肺炎は、もし肺移植を出来ていなかったら、かなり違う転帰になっていたかもしれないですよね。
ぞっとしますね。間違いなく致命的になってしまっていたと思います。その後、先程述べた2回の肺炎以外には、短期で一度入院しただけで、現在に至るまで大きく体調を崩す事はありませんでしたね。コロナ禍に入ってしまったというのもあると思います。

—コロナ禍とご自身の体調との間に関係があるのですか?
大きく関係しています。小さい風邪もあまり引かなくなりましたね。というのも、私自身というより、周囲の人が感染対策に気を遣うようになったことは非常に大きいです。皆さんがコロナ対策として、手洗い、マスク、消毒などを徹底するようになり、インフルエンザもほとんど無くなりましたよね。もちろん新型コロナウイルスにはもちろん私達も気をつけていますが、なんだか逆に風邪を引く頻度が減りました。

—呼吸疾患をお持ちの方の高い感染対策水準に、周囲のレベルが追いついてきた、ということですね。
ありがたいことにそうですね笑。おかげさまで、呼吸器関連で体調を崩すことはほとんど無くなり、良い体調を維持することが出来ています。


—発症から移植までの経緯をお話しいただきありがとうございました。ここから先は、話全体を振り返り、生活面などについて詳しく伺いながら、闘病生活のキーポイントを伺えればと思います。


11.「主体性」が闘病生活のキーポイントだった

—肺移植が視野に入ったとき、ご自身で移植コーディネーターさんに連絡したとのことでした。そのようにご自身で行動を起こせたのはなぜなのでしょうか?
職業柄もありますね。ITエンジニアの仕事の大半は「調べること」なので、何事においても調べることが癖になっていたのだと思います。実際、病名を告知されたときにもとにかく自分で調べました。「間質性肺炎とはなんぞや」から「どうやって治療するのか」など。だから、かなり危ない病気であること自体は、自分でもある程度受け止める事ができていました。
また、私の家族に医療関係者が多かったのもあると思います。医療関係者が身近だと、何か少しでも異変があると「病院に行け」となりますし、病院関係の方々に抵抗が少ないんです。だからこそ、医師にも色々質問しますし、移植コーディネーターさんに相談することも比較的ハードルが低かったです。

—なるほど、職業柄調べることが癖になっていたこと、医療関係者や病院に対する心理的ハードルが低かったことの2点ですね。
そうですね、だからこそ肺移植にたどり着けました。同じような病気を持った方には、「医師などの医療関係者には、疑問点を積極的に聞いたほうが良い」と伝えたいです。情報を得る機会は思ったよりもたくさんあるので、その機会を見逃さないようにしてほしいです。

—次に、仕事や家族の面を伺いたいと思います。まず、仕事の面で、勤める会社に病気について説明する時に、気をつけたことなどはありましたか?
仕事に関して、私は結構恵まれた環境だったと思います。病気について比較的理解がある会社だったという要素がかなり大きかったですね。また、私の病状を直接相手に見てもらったことも、相手にとっては分かりやすかったのかなと思います。酸素吸っていますし。また、病院にもお見舞いに来てくれていたので、病状を説明しやすかったというのはありますね。
大事な点としては、リモートワークに関しては自分で提案をしました。「リモートワークでも続けて雇ってくださるのでしたら頑張ります」と自分で先に伝えました。もし相手からの提案を待っていたら、会社を辞める方向になっていたかもしれないし、今のように在宅にできていたかもしれないし、わからなかったですね。

—病気に対する対応を会社側に投げるのではなく、ご自身で提案していく姿勢が、とても重要だと感じます。
例えば営業職の人であれば、「外回りは難しいから事務職として働くことは出来ないか」など、配置転換などの申し出も、自発的に伝えたほうが良い結果になるかもしれませんね。結局、この病気は長い闘病生活になるので、経済的な負担が大きいのです。仕事がなくなれば収入が途絶え、治療どころか生活が危機的になってします。もちろん障害手当や福祉手当、生活保護などの制度はありますが、やはり苦しいことには変わりありません。私の場合、半分ダメ元で会社にリモートワークの提案をしたら、会社が受け入れてくれ、経済的にも心理的にも大きな支えになりました。

—また、Y. Y. さんはご結婚されているとのことですが、それは間質性肺炎の診断前からでしたか?
いえ、結婚したのは診断を受け、急性増悪を経験してからになります。妻は医療関係の家庭でしたので、病気に対してあまり抵抗はなかったようです。

—肺移植は100%成功するとは限らない手術ですが、ご家族はどのようなご反応でしたか?
妻にはむしろ「移植して!」と言われました。母も医療系には理解があったので、そういう意味では移植に対して周りの後押しがあったのは大きかったですね。自分の辛い姿を見ていたというのもあると思いますが、入院中にも色々と助けてもらいましたね。

—本日のお話の中で、「大事なところでは運がいい」と何度か仰っていました。今の話を伺っていると、自身で調べて移植コーディネーターさんに連絡したり、仕事については自身で働き方を提案したりと、自分の置かれた状況の中でしっかりと主体的な選択を繰り返していらっしゃいます。きっとただ純粋に運が良いだけでなく、その主体性が運を引き寄せているのではないかな、と感じました。
私は本来、色々結構後回しにするタイプなんですけどね笑。ただ、命がかかっていましたので。生きるため、生活していくためとなると、ダメ元でも行動してみよう、という活力が生まれましたね。


12. 皆さんへのメッセージ

—この病気についてあまり知らない方に、これは知っておいてほしい、ということはありますか?
間質性肺炎は、大きな酸素を持って移動していない限り、外から目に見えません。ヘルプマーク*というものがあります。肺に限らず、目に見えない障害を持っていることを伝えるためのものです。どうか、そのマークを持っている人を見たら優しくしてあげてほしいなと思います。
当事者になると、自分たちから声をかける勇気はなかなか出ません。マークを持っているのには理由がある、ということを想像してくれると嬉しいです。なかなか同じ立場にならないと想像はできないと思いますが、実際に間質性肺炎になると本当に大変ですし、誰しもその病気にならないとは限らないですからね。

*ヘルプマーク:義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせるためのマーク。

東京都福祉保健局 HP
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html
ヘルプマーク
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html

—最後に、同じ病気を持っている方や、移植を待っている方への応援メッセージを頂ければと思います。
昔は、間質性肺炎は不治の病だったかもしれません。しかし今の時代には、肺移植という道が拓けており、チャンスがあります。肺の状態の根治ではなくても、移植という形で肺を入れ替え、元のQOLを取り戻すことが出来ます。持病や年齢など様々な制限はあるものの、もしチャンスがあるのであれば、自分で掴み取れるように動いて貰いたいと思います。
肺移植って、なかなか想像はできないと思います。日本での年間実施例もあまり多くないので、身近でもないですし。肺を取り替えるって、冷静に考えてとんでもないことですからね笑。それでも、実際に私は肺移植によって命を救われています。この先どうなるか分かりませんが、移植から5年経った現在も、フルタイムで働けて、子供のお迎えも行けて、外出ができる生活を送れています。現在苦しんでいる方々の中で、肺移植で元のQOLを少しでも取り戻せる人がいれば良いなと思っています。

—ありがとうございました。医療は日進月歩ですから、今後、間質性肺炎に対する治療法や、肺移植の機会なども少しずつ増えてくると思います。同時に、Y. Y. さんのような「自分で動く姿勢」は、どんなに医療が発達しようと重要になるのかなと感じました。引き続き、今後もお話を伺えればと思います。本日は本当にありがとうございました。

(終)

※今回のゲストであるY. Y. さんは、肺移植やその後の生活についてブログにまとめていらっしゃいます。ぜひこちらもご覧ください。


ゲスト:Y. Y. さん

職業はITエンジニア。1児の父。特発性間質性肺炎と診断され、在宅酸素療法が必要になる。 2017年に脳死肺移植により、酸素不要の生活を取り戻す。現在は、社内SEとして、フルタイムで働いている。
ブログ → https://ameblo.jp/gungnir1818/

進行・編集:名倉慎吾
L-TRIP発起人。患医ねっとスタッフ。医学生・薬剤師。 2020年に東京大学薬学部を卒業後、2021年に大阪大学医学部へ学士編入学。ALLと間質性肺炎の患者家族であり、医師を目指して勉強に励む。間質性肺炎や肺移植に関する情報格差を少しでも減らしていきたいと考え、L-TRIPを発起。

開催支援:患医ねっと
「患者と医療者をつなぎ、日本のより良い医療環境を実現させる」ことを理念に、医療者と患者が立場を超えて学ぶことのできるイベント等を企画している。(団体Webサイト:https://kan-i.net/


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