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L-TRIPインタビュー企画 #1-1(前編)『肺移植経験者に聞く間質性肺炎』

L-TRIPでは、「間質性肺炎と肺移植に関する情報不足と不安を解消し、人々の自己実現に貢献する」ことを目標としています。これを達成するために、間質性肺炎や肺移植の経験者、それに関与する医療従事者等にインタビューを行い、生きた経験談や意見を蓄積していく予定です。
このインタビュー企画の第1弾では『肺移植経験者に聞く間質性肺炎』というテーマで、特発性間質性肺炎の患者であり、脳死肺移植を経験されたY. Y. さんにお話を伺いました。
(インタビュー実施日:2021年12月11日(土)、オンライン実施)

▼中編▼

▼後編▼



ゲスト:Y. Y. さん
職業はITエンジニア。1児の父。特発性間質性肺炎と診断され、在宅酸素療法が必要になる。 2017年に脳死肺移植により、酸素不要の生活を取り戻す。現在は、社内SEとして、フルタイムで働いている。
ブログ → https://ameblo.jp/gungnir1818/



1. 患者さんの自己紹介

— 本日はどうぞよろしくお願いいたします。簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
Y. Y. と申します。40代で、結婚して妻と子供がおります。現在は、事務職と社内SEを兼任する形で働いております。前職はITエンジニアをしておりました。 持病としては特発性間質性肺炎という疾患を持っています。この病気に対しては2017年に肺移植を行い、現在は酸素無しで生活することができるようになっています。

—自己紹介ありがとうございます。ちなみに、現在のお仕事はどのような勤務形態で働かれているのでしょうか?
現在はフルタイムで働いています。よく理解してくれる職場で、9:30-18:00くらいの比較的短い労働時間で働くことができています。

— 特発性間質性肺炎、そして肺移植を経て、現在フルタイムで働かれている方のお話というのは、同じ病気を持つ方にとって非常に大きな力になると考えています。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

インタビューの様子(2021年12月11日(土)、オンライン実施)

2. 「肺に影がある」前兆期

— 疾患の発症から闘病生活、肺移植、現在の生活と詳しく追って質問していきたいと思います。はじめに、特発性間質性肺炎を発症したのは何歳ごろの時でしょうか?
断定は難しいのですが、13歳の頃には既に発症しかけていたのではないかと思っています。最初に異変に気づいたのは、中学校入学時のレントゲン検査で異常を指摘されたことです。当時私はサッカーをしていたのですが、部活中に母に呼び出されて病院に連れて行かれたことをよく覚えています。

— その時の病院の検査結果はどのようなものだったのですか?
病院で再度検査すると、やはり「肺に影がある」ということを指摘されたものの、原因等はわからずに、定期的な経過観察となりました。特に私は症状を感じずに過ごしていたのですが、2年後、中学3年生の高校受験のタイミングで左肺が肺気胸*になりました。塾の帰りに突然呼吸が苦しくなり、翌日になっても楽にならないので病院に行くと2週間ほど入院になりました。 この時は無事に気胸は塞がり、高校に上がった後も多少の運動制限はあったものの、特にしんどくなることもなく高校生活を過ごすことができました。

*気胸(ききょう):肺に穴が空いて空気が漏れ、肺がしぼんでしまう病態です。軽症の気胸の多くは安静にしていることで治癒します。

— 中学の時に一度気胸になって以来は、ずっと経過観察で過ごすことができたのですね。その後変化があったのはいつ頃でしょうか?
大学生になり、20歳くらいの頃です。就職活動を控えていたので、肺に問題があると働く上で影響があるのではないかと思い、中学生の時に指摘された「影」を思い切って取ってしまおうと言う話になりました。元々の影は右肺の上葉*にあったので、それを切除する手術を受けました。 その後、切除した部分から真菌*が見つかり、以前見つかった影の原因は真菌ではないかということで話が収まりました。

*上葉(じょうよう):人間の肺は右は3つ、左は2つに大きく分けられます。このように分けられた右肺の3つ(上葉、中葉、下葉)のうち、文字通り一番上の部分を上葉と言います。
*真菌(しんきん):一般的に「カビ」と呼ばれる生物の仲間で、特に免疫機能が低下した人に対して感染症を引き起こすことが多い病原体です。

— それでは、最初に影が見つかってから8年ほど、原因がわからないまま経過していたのですね。
そうですね、気胸を起こしたこと以外は特に大きな症状もないまま過ごし、真菌が原因ではないかとわかったわけです。その後は無事に社会人になることができました。


3. 症状の出現

— 社会人として働き始め、次に変化があったのはいつ頃でしょうか?
肺を切除した10年ほど後ですね。前職のITエンジニアとして働き始めてからしばらくたった頃、31歳の時の健康診断で、再び「肺に影がある」と言われました。しばらく呼吸器の病院には行っていなかったのですが、看護師の母に勧められて病院でCTを撮ってもらいました。いわゆるセカンドオピニオンのような形ですね。そこの先生に初めて「特発性間質性肺炎ではないか」という診断を受けました。 この結果を持って当初通っていた病院に再度診てもらったところ、「肺好酸球性肉芽腫症*」と疑われました。肺好酸球性肉芽腫症は難病に指定されていないこともあり、結局は前回と同じように「定期的に経過観察していきましょう」と言われ、半年に1回位受診するようにしていました。

*肺好酸球性肉芽腫症:肺の中でランゲルハンス細胞と呼ばれる免疫細胞が異常に増殖し、慢性的な咳や息苦しさ、気胸などを生じる疾患です。原因は完全には明らかになっていません。

— この頃は、特に呼吸器の症状は出ていなかったのですか?
実は、この31歳の頃には少し症状が出始めていたんですよ。普段の生活の中で、階段を上るなどのちょっとした動作で息苦しさを感じるようになっていたので不安でした。31歳で健康診断を受ける前後で風邪を引いたのですが、なかなか治らず、咳や喉の痛みが続いていたことも心配の要因でした。この時には近医で「風邪」と診断されていましたが…。 この頃から自分の体のことが少し心配になり、自らインターネットなどで呼吸器内科の専門の先生を調べるということをしていました。最終的には自分で先生に連絡を取り、当時通っていた病院の先生に紹介状を書いてもらって受診しました。受診の結果としては、間質性肺炎の疑いがかなり強いものの、症状が軽かったこともあり、その病院で何年か経過観察をすることになりました。


4.「肺移植」との出会い

— ご自身で連絡を取って受診まで持っていく行動力がすごいですね。しかし、やはり経過観察となると不安も拭いきれないですよね。
そうですね。このまま悪くなっていく一方なのではないか、という不安を抱えながら生活していました。そのような時に、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組の中で、とある先生(以降、D先生)が肺移植を行っているということを偶然目にしました。当時私は肺移植について何も知らなかったのですが、調べてみると、私も適応になるのではないかと考えるようになりました。
肺移植について調べてみると、関西のとある病院(以降、K病院)で肺移植を行っており、そこに連絡先も書いてあったことから、K病院の移植コーディネーター*さんに連絡をとってみることにしたのです。すると返信があり、移植に適応があるかどうか判断するために2週間検査入院をさせてもらえることになりました。

*移植コーディネーター:臓器提供を考えている家族に必要な説明を行い、提供から移植がスムーズに運ぶよう調整する医療専門職のことです。臓器の提供者と臓器が必要な患者の橋渡しをする役割を担うと言えます。

— 検査入院では、どのような検査を行ったのですか?
そもそも、体や呼吸の状態がある程度以上悪くなっていないと、肺移植の適応にはならないようです。大学病院に肺移植適応検討委員会*というものがあり、そこでの審査が通らないと。私の入院でも、主にどこまで悪くなっているかを検査するのが目的でした。血液検査や6分間歩行*などの通常の検査に加え、精神科医の診察も受けました。移植を受ける上で精神的に耐えられるかどうかを見られていたようです。

*肺移植適応検討委員会:肺移植は高いリスクを伴う手術であるため、他に有効な治療手段がなくかつ生命の危険が迫っている患者さんにのみ適応されます。したがって、精密検査及び委員会での議論によって適応が慎重に検討されます。ここに携わるのが肺移植検討委員会となります。
*6分間歩行:6分間平地を歩くことで、肺の病気が日常生活にどの程度影響を及ぼしているのか調べるための検査です。

— 「移植の適応」という言葉がありましたが、一概に肺移植とは言っても、Y. Y. さんと同じような病気を持つ全ての人が受けられるわけではない、ということですよね。
(※参考:
https://www.jotnw.or.jp/learn/about/circumstances/
そうですね。大きな課題だと思います。最終的な判断としては、私は肉体的・精神的には移植を受ける上で問題無しと判断されたものの、症状があまり進行していなかったことから、見送りということになってしまいました。実際、その時点では酸素吸入も必要としておらず、大学病院の周りの街を散歩してしまうくらい元気でしたから笑。 ただ、一度病院で検査を受けることができたのは私にとってプラスで、もし今後悪くなることがあれば、K病院で再度検査を受けましょうという方針になりました。

(中編『5.急性増悪』へ続く)


進行・編集:名倉慎吾
L-TRIP代表。患医ねっとスタッフ。医学生・薬剤師。 2020年に東京大学薬学部を卒業後、2021年に大阪大学医学部へ学士編入学。ALLと間質性肺炎の患者家族であり、医師を目指して勉強に励む。間質性肺炎や肺移植に関する情報格差を少しでも減らしていきたいと考え、L-TRIPを発起。

開催支援:患医ねっと
「患者と医療者をつなぎ、日本のより良い医療環境を実現させる」ことを理念に、医療者と患者が立場を超えて学ぶことのできるイベント等を企画している。(団体Webサイト:https://kan-i.net/

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