グレーラビット花子とうさぎのもうふ

年も明け、今年の目標はnoteをたくさん書こう!と心に決めた。そこで、本名だと現実生活の忖度がよぎり気ままに書けない気がして、note用の名前を考えることにした。

しかし本名の「美月」という名前は使いたい。
なぜならなかなかにありふれた名前になってきている昨今だから特に気を張る必要もない。
そして、我が推しBTSのテテが日本のファンに向けて言う言葉、夏目漱石の口からアイラブユーの代わりにさらりとこぼれたあの言葉、「月が綺麗ですね」を体現した名前だから。

じゃあ苗字はどうしようかなとなり、ある事を思い出した。
「グレーラビット美月はどうか」と妹に尋ねた。
なんだこのプロレスラーみたいな名前は。学生時代に飼っていたうさぎの名前が「グレーラビット花子」だった。

ある日、授業が終わった明るい土曜日の午後、遊びに来た友人がふと、我が家のテーブルに置いてある町会新聞に我が母の小話が載っていることに気がついた。 

「あっ」と言ってそれとなく目をやり、「うちのグレーラビット花子は…」から始まるその一文に腹を抱え笑い転げた。
「もしかしてこれ花子のこと?なんでリングネーム?」と、出だしの「うちのグレーラビット花子」で大爆笑してしまうため、オチまで行かず、それ以上読み進めることが不可能になってしまった。
グレーラビット花子の本当の名はただの「花子」のはずであった。でもグレーのラビットだったから、母の中ではグレーラビット花子だったのだ。

それを思い出し「グレーラビット美月」を提案したが、このおかしな会話もさすが冷静に受けられる妹は、「長くない?『うさぎのもうふ美月』は?」とまたなかなかに長い名前を提案して来た。天然家族。
おそらく、ラビット繋がりで思い出したのだろう。「うさぎのもうふ」を。

これはグレーラビット花子専用のもうふかと思いきや、人間用のもうふだ。私も妹も幼少期から使い、今は甥っ子がぎゅっと握りしめていて、甥っ子のもうふは名前だけ踏襲した別バージョンのうさぎっぽい柔らかなもうふ。

あの夏のパリの暑い日。私が留学をしていた頃、当時13歳だった妹が「パリにうさぎのもうふを持っていきたい」と母に提案したが、サイズが大きかったため、困った母は25センチ四方のハンカチサイズに裁断して「新・うさぎのもうふ」をこしらえてくれた。

私のベッドでぎゅっともうふを握りしめて眠る妹。可愛いなぁ、いじらしいなぁと思いながら、「私もあの小さなもうふにスリスリしたい」という気持ちがむくむく沸き起こり、とうとう抑えきれなくなった末に、妹の帰国の日、「どうかそのうさぎのもうふを私に譲ってくれ」と懇願した。
無事に妹から奪い取ったうさぎのもうふをぎゅっと抱いて、人生初の失恋にも、フランス人がかかればただの風邪、日本人がかかれば大変な風邪、という謎の風邪にやられた時も、ヒールを履いてミネラルウォーター3本を抱えて石畳を走りアパルトマンに戻った途端ギックリ腰になって1週間寝たきりになった時も、私は妹から奪ったうさぎのもうふをぎゅっと抱いてすりすりしながらベッドの上で丸くなって眠った。

そしてお嫁に旅立つ時も25センチ四方になった「新・うさぎのもうふ」を連れ、アウトロー気質な職人だった彼の、フランスから埼玉から神奈川からの職人東京紀行の度重なる引っ越しなるアバンチュールも一緒に廻った。

ついに職人の嫁になるための根性がないことが露呈され、彼とお別れすることになった時、私の形見にそっと新・うさぎのもうふを彼に手渡して来た。

あの子(もうふ)は今どうしているだろう。
あまりに思い出が染み込み過ぎていて一緒に連れて行けなかったのだ。
ごめんね。

今甥っ子が握りしめているのは、新新・うさぎのもうふだ。出身地は甥っ子のふとん。
形は似ているけど私のあの子(もうふ)はもうここにはいない。

そんな思い出への愛と懺悔をこめて、note用の名前は「もうふ」にすることにした。
別れて来たうさぎのもうふが今は私の名前となって、私をくるんでくれる。「美月」はもうふの中に入ってしまった。
どうぞこれからよろしくね、たくさん書くよ、
きみ(もうふ)のためにも。

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