LTRP2-12「Collapse On Schedule」

 後輩で恋人の真がセーラー服調のブレザーに袖を通すと、詩応はスポーツドリンクを渡す。陸上大会の中距離部門で優勝したポニーテールの少女と、事実上の専属マネージャーは、軽くハイタッチした。
 来週は揃って東京に行く。土産を手に入れようと、2人は帰りに名古屋駅に寄った。三大都市圏の一角、その中心地は全体的に混んでいる。
 先日話していた土産を手に取り、レジで会計を済ませた人は、不意に店の入口に目を向ける。人混みの奥、広場の階段前でEXCのイベントが開かれていた。
 ……大会前日、真はEXCをスマートフォンにダウンロードしていた。これからの数日間で少しでも遊んでいれば、東京でも楽しめると思ったからだ。
 イエローをベースとした、詩応と系統を合わせたアバターに、真はヴォルタと名付けた。ボルテージが由来だ。誰かが、部活での走りを電光石火と言っていたのが由来だ。尤も、それは詩応の方が適切だと思っているが。
 今夜から少しずつプレイするが、詩応のインビテで登録したから、2人は既にフレンドだ。そして澪と組めば、最強のトリオが生まれる。
 詩応は不意に異変を感じる。
「……詩応?」
と呼ぶ真に、ショートヘアの先輩は
「何か有る」
とだけ答えた。不穏な予感は当たるものだ。詩応は警戒しながらも、少し立ち寄ることにした。
 3つのテントで構成されたブースには、複数の試遊台が有った。無課金でも広告のページビューでビジネスを成立できているが、更にアクティブユーザー数を増やしたい思惑が有るのか、頻りに新規登録を呼び掛けている。
 イベントの終了まで1時間。大きなモニターでは、延々とデモプレイが流れている。黒にゴールドのボディスーツで露出を極限まで減らしたサイバー騎士が、大型のレーザーガンとレーザーセイバーを駆使し、エネミーを薙ぎ倒す。
 無駄が無い無双ぶりに、驚きと感心の声が小さく響くが、詩応はこれなら澪の方が上だと思った。流雫が絡み直情的にならない限り、澪は冷静に軽やかにエネミーを殲滅させる。
 画面が切り替わると、EXCのアンバサダーと云う肩書きが表示される男が映っていた。目には無限に湧き上がる自信を湛えているが、サングラスに覆われていて本人以外は判らない。
「EXCがゲームの常識を変える。単調な日々を過ごすか、もう一つの世界で最高の刺激を求めるか。どっちを選ぶ?」
とキメてみせる。
 「誰だ……?」
と詩応が呟くと、真は
「シュヴァルツだがね」
と答える。
 ドイツ語で黒を意味する単語が、ハンドルネームの由来。ゲームの実況配信を専門とする覆面ライバーで、今は7桁のフォロワーを抱える。投げ銭で学費から生活費まで賄っているほど、或る意味ゲームを稼業としている。
「同級生の間でも人気だで。うちは興味あれせんけど」
と真は言った。EXCも詩応がプレイしていることが発端に過ぎない。サブカルチャーは周囲からの情報を拾う程度で、その意味では流雫と似ている。
 スタッフから試遊に誘われるも断った2人は、名駅で別れて家路に就く。後輩の優勝と来週末の楽しみに表情が緩む詩応のスマートフォンが鳴ったのは、3時間後のことだった。

 「シュヴァルツ?」
と問う流雫。河月のペンションに帰り着き、ディナータイムの途中から始めた手伝いを終えると同時に、スマートフォンを耳に当てた。
「日本でも有数のゲーム系インフルエンサーだ。特にEXCではカリスマ的な存在だ」
とフランス語で返ってくる。その男の名は、フランスでも多少話題になっている。日本人なのに知らないのは、流雫が元々ゲームやエンタメに疎いからだ。
「それが属しているのが、アルバと云うコミューンだ」
「アルバは知ってるけど……」
と流雫が答え、チートで成り上がった集団の末路を話す。一通り聞いたアルスは
「馬鹿馬鹿しい連中だ」
と嘲笑を禁じ得ない。同時に、流雫はシュヴァルツと云う存在が引っ掛かっていた。 
 ……悠陽がフラウと呼んでいた元コミューンマスターとその犯人を除く4人、その中心にいるのがシュヴァルツ。メンバーの名前を1人ずつSNSで検索すると、フォロワー数が1人だけ桁違いだった。
 ……ナンパを拒否した悠陽をフォロワーに炎上させるだけの影響力は、他のメンバーには無い。チート行為が発覚した後もアルバの人気が衰えないのは、元来の強さも有るだろうがシュヴァルツ人気に支えられているからか。
 「有り得ない話でもないが、仮に栄光の剣とアルバに関連が有るとすれば……」
とアルスが言うと、流雫は問う。
「でもアルバは、チートによって全滅した。それはどう説明する?」
「全滅そのものが、予定通りだったとすれば?」
アルスの言葉に、流雫の眉間に皺が寄った。
 「仮に、だ。シュヴァルツが栄光の剣のトップだったとする。栄光の剣はEXCのAIを神にしたい。だから、シュヴァルツは秘密裏にチート行為を働き、メンバーにもチートを付与した。そしてAIに引っ掛からせ、エグゼキュータに自分ごとコミューンのメンバーをキルさせる」
「その間も、AIは正常に作動している。つまり、不正を見逃さない公平性が維持されていることを確認できる。それはAIの信頼性、AIへの信仰と帰依に帰結する」
「全てが予定通り。しかし、他のメンバーはその事実を知らない。バレれば大変なことになる。だからどうやってチートを隠し通すかが、問題にはなるがな」
とアルスは続けた。
 滑らかなフランス語は、その終着地で確かな情報に変換される。隠し通すために必要なもの。それはフェイクと……?
 流雫は無意識に呟く。
「アウロラだ……」
「アウロラ?」
とアルスは問う。久々に聞く名前だ。流雫は答えた。
「アルバが全滅した後、アウロラと云うプレイヤーが炎上したんだ。メンバーのナンパを拒否し、その行為を通報したからキルされたとして。……ナンパしたのが、シュヴァルツだった」
「単なる逆恨みじゃないか」
とアルスは呆れる。ただ、真相はその程度であってほしいと思っていた。
 「だけど、アルスの話でそれは違うと思った」
と流雫は自分の言葉を否定する。そして、新たな可能性を紡ぐ。
「チートが原因だと他のメンバーに知られると困るから、事前にナンパを装って接近した。そして拒否されたから、アウロラをスケープゴートにした」
「お前が通報しなければ、或いはシュヴァルツの女になっていれば、誰もキルされることは無かった。フォロワーがそう騒ぎ立て、それが事実として独り歩きした」
と続けた流雫に、アルスは
「アウロラを隠れ蓑にしたと云うワケか……」
と、大きな溜め息をついた。
 「インフルエンサーの発言を盲目的に全肯定するフォロワーが、崇めるべきシュヴァルツの投稿を拾った。仮にそれが小指程度の火種、よく見る愚痴の一つだったとしても、フォロワーが燃料となって拡散させる」
「誰にも鎮火できない程にか」
「そう。そして連中の思い通りになった。……あの日まではね」
「イケブクロの銃撃か」
とアルスが言う。世も末、それ以外の感想が1週間経った今でも出てこない。
 ……オフ会で勃発した恋愛問題が、文字通り事件の引き金になった。だが、それも隠れ蓑だとすれば……?
 「……まさか」
と流雫が口を開く。
「どうした?」
アルスの言葉に、オッドアイの瞳は鋭い光を宿す。1万キロ離れたアルスにも、それが容易に想像できる。
 「フラウはシュヴァルツの動きを不審に思っていた。だからアウロラに接触した。互いにコスプレイヤーだから、接点としては十分有る」
「オフラインでも会いやすいからか」
「そう。コミューンマスターとして、メンバーの行為を話す必要が有る。ただ、EXCのサーバ上では話すことはできない。だからイベントに誘い、会場で話そうとした」
「それと同時に、メンバーの1人がオフ会を提案した。恋愛問題の騒ぎは、オフ会でチートの件が取り沙汰される可能性を懸念したシュヴァルツが画策した。実行犯はナハト、シュヴァルツの熱狂的なフォロワーで、同じコミューンに所属していることを自慢していた」
と流雫は続けた。
 ……帰りの列車で、流雫は2つのSNSの投稿をひたすら遡っていた。そして、その男に辿り着いた。
 アルバは名前にドイツ語の縛りを設けていたようで、ナハトとは夜を意味する。その名の通り、シュヴァルツに似た黒い男の戦士のアバターだ。
 池袋の事件を経て減ったメンバーは2人。それがフラウとナハトだった。つまり、ナハトがフラウと揉め、フラウがナハトを追放し、ナハトが報復としてフラウを殺したことになる。
 だが、追放への逆恨み、それだけが殺害の動機とは、今の流雫には思えない。
「シュヴァルツと口裏を合わせ、ナハトは実行した。フラウがナハトを追放したのは、アルバの風紀を乱したからと云う理由だった。フラウはアウロラに、追放したことが正しかったのかと質問している」
「何故知ってる?」
と問うたアルスに、流雫は
「アウロラがメッセージを見せてきた。僕もミオも見てる」
と答える。
 「シュヴァルツはSNSか何かで、フラウとアウロラが会うと知った。一連の真相をバラされる危機感は有っただろう。しかし、殺す気は無かったし指示も出していないと思ってる」
「もしチートがバレてインフルエンサーの立場を追われたとしても、フォロワーは或る程度は残る。地位や立場を護るために殺人を犯すリスクは、流石に選ばないハズ」
と言った流雫に、アルスは問う。
「じゃあ何故事件が起きた?」
「崇めるシュヴァルツを安心させるため。ただ、フラウに拒絶され、アルバを追放された私怨も有っただろう」
と、流雫は答える。
「一種の信仰と私怨が絡まってやがるのか」
「本当にフラウへの好意が芽生えたからかは知らない。ただ、シュヴァルツと同じコミューンにいる、つまり推しの近くにいることが、ナハトにとって自慢だった。それなら追放は原因として成り立つ」
「結果としてフラウの口封じになったから、シュヴァルツとしては好都合だった。これでチートの件は……」
と言った流雫は急に黙る。
 ……チートを知る者は、もういない……否、いた。そして、いる。
「ルナ、どうした?」
不自然な途切れ方に、アルスは名を呼ぶ。新たな可能性が浮かんだ流雫は、一呼吸置いて言った。
「……チートの口封じで、殺された可能性が有る」
「何か有ったのか?」
「自殺と見られてる事件が有る。でも、殺されたなら話は通じる。そう思ってたけど、今なら確度は有る」
「誰だ?」
と問うアルスに、流雫は答えた。
「スタークと名乗っていた、プレイヤー兼エンジニア。不正検知システムを担当していた」

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