LTRA2-11「Roar Of Justice」

 赤毛の少女が気に入っているのは、ミルク多めのラテ。普段は恋人と一緒だが、今日も1人だ。窓側のカウンター席の端に座り、愛用のクリア地のタンブラーを傾ける。
 1人で飲むのはつまらないが、少し生意気なスパダリが地元にいない以上、仕方ない。偶には、それも悪くないのだが。
 しかし、好きな味さえも、少女を落ち着かせるには足りない。早朝の一報が引っ掛かっていたからだ。
 ……本来、アリシアは中国への偵察を指示されていた。しかし、アルスが日本行きを指示されると、一転して拒否した。中国語が苦手だから、と云う表向きの理由だったが、本当の理由はそうではなかった。そして、彼からの連絡を受ける度に、フランスに残っていて正解だったと思う。
 スターダストコーヒーの向かい側は、太陽騎士団の教会。今でもメスィドール家の籍は其処に置かれている。
 元総司祭の訃報を受けて、スーツを着た教団関係者が数人、慌ただしく重い扉を開ける。
「大変ね……」
と呟いたアリシアにとっては他人事だ。血の旅団にとっては全くの無関係だからだ。
 突如、大きな声が響いた。
「レロワの死を説明せよ!」
「クロードは殺人犯!!断罪せよ!!」
その声に、アリシアは反射的に
「何事……!?」
と立ち上がる。
 ……マルティネスの死は、ニュースを目にする限りでは自殺でも事故でもないらしい。焦点は誰が何のために殺したのか、だ。
 元総司祭が死ぬことで、恩恵を受けるのは誰か。何より、聖女交代劇で嗤った一家は何処か。そう、メスィドール家。故にメスィドール家が怪しい。
 それが騒ぎの動機か。そう思ったアリシアは、気になりながらも短期のアルバイトに向かうべく、店のドアを開けた。その瞬間、
 「メスィドール家の陰謀を暴け!」
「聖女は人外だ!悪魔だ!」
と続けて聞こえる。
 ……人外。その言葉に足を止めた少女は、
「……それだわ」
と呟き、スマートフォンを手にした。

 経緯が経緯とは云え、参列はフォーマルウェアが基本。高校生なら制服。美桜が犠牲になったトーキョーアタックの追悼式典だってそうした。
 しかし、着替えのために山梨に戻るには時間が無く、こう云う時に備えて恋人の家に制服を置いてある、なんて事すら無い。
 普段の私服に戻った流雫は、軽く溜め息をつく。それは、不安や迷いを捨てるための儀式。
 日本人3人は渋谷へ向かうと、数時間前に戦場となったハチ公広場で、フランス人3人と遭遇した。セバスはルーンの正体に軽く唖然とした。少女ですらなかったとは。しかし同時に、少年のテネイベールに似た瞳が気になる。
 アルスのスマートフォンが鳴った。
「レンヌの教会で騒ぎが起きてる」
通話が始まると同時に、アリシアはそう話を切り出した。
「何!?」
「マルティネスの死はメスィドール家の陰謀。聖女は人外。そう叫んでる」
その言葉に、アルスは反射的に
「人外!?」
と声を上げる。アリシアはそれに続く。
「秘密を握ってるのか、悪魔だと言いたいのかは知らないけど、動機は正義気取りの断罪だと思うわ」
後者であってほしいが、そう思うほど前者が現実、それはアルスも覚悟している。
 「秘密を握っているなら、恐らく儀式の最後に仕掛けてくる」
「止める術は無い?」
「恐らくな。レンヌとダンケルクにとって最大の試練になるぞ……」
とアルスが言うと、アリシアは
「トーキョーも、じゃない?」
と返す。その瞬間、ブルーの瞳に陰りが見えた。
 「……ルナとミオが教会に行く……」
「え?」
「シノが提案したらしい。俺とシノはプリィやセバスの護衛だ」
と言うアルスは、目の前にいるカップルが気になっていた。
 何が起きても、2人なら平気であることに疑いの余地は無い。だが、この不穏な予感は思い過ごしでは済まない……その覚悟を何よりも求められる。
 「……気を付けて。何が起きても不思議じゃないから」
と言ったアリシアに
「ああ」
と答えたアルスは、通話を切ると流雫と澪の名を呼ぶ。
「レンヌでちょっとした騒ぎが起きた。トーキョーでも起きないとは思えない」
と言ったアルスに、全員の顔が向く。詩応は咄嗟に
「やっぱりアタシが……」
と言ったが、声を遮られた。
 「僕は、何も怖くないよ」
「あたしも、力になる」
そう続いた2人の前に立ったアルスは、目を閉じて手を身体にかざす。
「……我が女神ルージェエールよ、2人に絶対なる守護を」
これで2人は護られる。アルスはそう信じて疑わない。
 同時に目を開けた流雫と澪は頷く。その表情に、迷いは微塵も無い。

 エルンストが見つからない。しかし、儀式の時間は迫っている。聖女は一抹の不安を抱えたまま椅子から立ち上がり、タブレットを手にドアを開ける。その後ろからセブも続く。
 ……自分への呪文を何度も唱えて、感情を押し殺してきた。そして今も頭に浮かべ、呟く。信者の前に立ち、無数の目に立ち向かうための、たった一つの呪文を。
「私は聖女」

 大教会は重苦しさに包まれていた。
 ……美桜の葬儀も、こう云うものだったのだろうか。そう思った流雫の手を、澪が軽く引っ張る。最愛の少年が何を思っているか、手に取るように判る。
 無理も無いことだが、今は惑わされないように。そう思った澪の隣で、流雫は頷くだけだった。
 最後に教会に入った2人は、礼拝堂の最後列の端に並ぶ。ブルートゥースイヤフォンをリンクさせると同時に、遠目に見える祭壇に、白いケープをなびかせた聖女が現れる。セバスに酷似した少年は
、スーツを着て礼拝堂の端にいる。
 「元総司祭ムッシュ・レロワ・シュルツ・マルティネスは逝去しました。我が教団にとっては大きな損失であり……」
と、滑らかな日本語で言葉を連ねていくアリス。だが、三養基の死の感情を押し殺していることは、参列者では流雫と澪だけが気付いている。
 ……詩応との遣り取りを耳にしただけの時は、その地位を自慢しているように聞こえた。だが今は、その地位に苦しんでいるように思える。いや、最初からそうだった。自慢に聞こえたのは、僕たちが聖女に対して、あまりにも無知だったからだ。
 自分と同世代の少女が、1つの教団の象徴として崇められる。その重圧など想像もできない……。
 流雫がそう思っていると、信者全員がその場で唱え始めた。2人は見様見真似でそれに合わせる。
 鎮魂の祈りを捧げる聖女の声、その反響を切り裂いたのは罵声だった。
「悪には死を!」

 詩応のスマートフォンの通知が鳴った。ニュース速報だ。血相を変え
「アルス!!」
と叫んだボーイッシュな少女は、その端末を突き付けながら続ける。
「アリスの秘密がバレた!!」
その言葉に、プリィとセバスは石化したように硬直する。その隣でアルスは、先刻流雫から少しだけ聞いたことを思い出す。
 「まさか!」
「ルナとミオの読みが当たってた!!」
と詩応は焦燥感に満ちた表情で答える。
 ……警察への供述で、犯人は最初に語った。
「太陽騎士団の聖女はクローン。教団としては禁断の存在が頂点に君臨している」
「三養基を殺せば、クローン技術は衰退し、聖女のような忌まわしき存在は二度と生まれない」
「人間は人間の胎盤で産まれるべきだ」
それがメディアに知られた……。
 この4人で唯一銃を持っているのはアタシ。だからアタシなら2人を助けられる。そう思った詩応は
「アルス!アタシ教会に行く!2人を頼んだ!!」
と言いながら3人から目を逸らし、地面を蹴った。
「シノ!!」
とアルスが叫ぶが、雑踏に掻き消され届かなかった。眉間に皺を寄せつつ
「アリスの秘密がバレた」
とだけアリシアにメッセージを送ったブロンドヘアの少年は、目を曇らせ静かな混乱と戦う2人のフランス人に
「ソレイエドールは必ず、最善の結果をもたらす。お前の女神を信じろ」
としか言えなかった。

 聖女の左肩を覆う白いケープが、赤黒く染まっていく。
「アリス!!」
と叫んだセブが、後ろ向きに崩れるアリスに駆け寄る。
 何かが起きる、しかし唯一想像できなかった事態に、無意識に目を見開いた最後尾の高校生2人は、互いの顔を視界の端に映すと小さく頷く。
 「聖女がクローンだとは!!」
と叫んだ、ネイビーのスーツを着た男に、取り押さえようとした男たちは動きを止める。
「此奴はクローンだ!!専属医師の三養基が生成した!!」
その声に、別の男が反応する。
「聖女アデルを失脚させてのし上がった悪魔だ!!」
それが化学反応を引き起こしたかのように、どよめきと罵声が勃発する。アリスを助けようとする者はセブ以外にいない。
 「悪魔はお前たちじゃないか!!」
「単なる犯罪者じゃない!!」
そう張り上げた声に、参列者の一部は
「誰だ!!」
と顔を向ける。
 華奢な女子高生と、破壊の女神を連想させるオッドアイの男子高生。
「お前もグルか!!」
そう言った男は銃を向ける。誰も止める気は無い。
「全てが敵……」
と呟いた流雫は銃を手にし、澪もそれに続く。
 「悪魔の味方か!?」
「……テネイベールの化身だから」
と戯けた流雫に、別の銃口も向く。
「何が化身だ!!」
と叫んだ男の銃が音を立てた。大口径の銃弾は礼拝堂の壁を抉る。
 「逃げろ!!」
と叫んだ誰かの声に我に返った信者は、一目散に扉へ向かって走る。それに逆らうように、澪がアリスの元に駆け寄り、顔を覗く。
「聖女!!」
「おい!」
と、セブが正体不明の少女を呼ぶが、澪は耳を傾けない。
 小さいながらも胸は動き、弱くも吐息を感じる。生きてはいるが、一刻も早く病院に搬送しなければ。
「暗殺未遂、渋谷大教会」
とだけメッセージを送った澪は、救急車を呼んだと大声で告げる声に少しだけ安堵の表情を浮かべる。
「ソレイエドールは、必ず聖女を助ける……」
とだけ、痛みからか目を開けないアリスに言った澪は、銃を持つ男に目を向ける。殺意すら湛えていそうな瞳に、セブは一瞬怯えた。
 ……私服の参列者もいたが、中でも最後列の2人組はセブの目に止まっていた。特に少年の方はシルバーヘアで、日本人らしくなく浮いていた。
 しかし、それと隣にいた少女が、聖女を撃った連中に立ち向かっている。
 ……あの2人は、一体何者だ……?

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