LTRA4-5「Kill Me If You Can」

 モンドは流雫に銃口を向ける。小城が返り討ちに遭うのは、完全に予想外だった。
「テネイベールと同じ目をしやがって……」
そう言ったドイツ人が引き金を引くと、流雫のすぐ隣を銃弾が飛ぶ。
「流雫!」
詩応が声を上げ、モンドに銃口を向ける。しかし流雫は
「破壊の女神が破壊するのは、お前の思惑だ」
とだけ言った。
 アルスや詩応を通じて、太陽騎士団のことは少しばかり知っている。自分が教典上の破壊の女神なら、澪は創世の女神。流雫にはそう思える。そして詩応とアルスにも、そう映る。ただ一つ違うのは、破壊の女神は創世の女神の隣で、生きて平和を見届けることだ。

 流雫は、帰省中のレンヌでアルスが語った暗殺計画に乗った。そして、予想外の事態が次々と起きながらも、渋谷で最大のチャンスを手に入れた。
 アルスは、流雫が空港で目にした手口でプリィとセバスを殺した。2人を油断させるために、流雫を経由して澪や詩応を上手く使い、思い通りに引っ掛かった。
 女子高生2人にとっては裏切りでしかないが、小城とモンドには図らずもほぼ理想的な結末をもたらす。そして、裏切りから一触即発の事態に陥った4人の高校生に、同士討ちの自滅を期待した。
 ……勝利を掴んだ瞬間、人は油断する。そして、微塵も疑わなかった。この全てが、流雫がアルスとの短い通話中に練ったエチュードだったことを。2人の男子高生の掌で転がされていたことを。

 モンドが口角を上げる。先刻まで背振の近くに立っていたスーツの男が1人、モンドに近寄る。それは片手で上に銃を向け、引き金を引いた。
 大きな銃声が反響すると同時に、改札前に残るギャラリーは我先にと逃げ惑った。
 大口径の銃だが、反動に耐えている。
「……何だ……?」
と詩応が声を上げる。小城の後ろ首に銃を突き付ける澪は、流雫を見上げ
「まさか……」
と声を震わせる。その続きは、流雫も判っている。
「……駒……」
 今の発端となった騒動で、背振を殺すことができなかった場合に備えてのオプション。背振の護衛を装って近寄り、仕留める。ただ、出番は無かった。
 しかし今は、殺すべき敵ができた。小城とモンドに歯向かう異色の高校生集団。
 流雫は男を駒と言った。それが本当なら、役目が終わった時点で口封じされる。
「……しかし、どうしてそこまで」
と言った澪に、流雫は答えた。
「クローンだとすれば……」

 背振を撃った男は、見る限り流雫と同世代。そして、銃を手にする男も。ただ、大口径銃特有の反動を片手で抑えている腕力は、明らかに常人ではない。それが、小城が進めているクローンの成果だとするなら、合点がいく。
「持たせたのは生殖機能だけじゃない。多少の肉体強化も……」
「肉体……?」
と澪は言う。
「少し運動能力が高くて……。それでも僕からすれば超人だけど」
と言った流雫は、シエルフランスの機内で観たSF映画に、似たようなものが有ったことを思い出す。
 ……つまり、正攻法では勝てないことを意味する。だが、勝たないことは死ぬことを意味する。
 ……正攻法でなければ、勝てる。流雫の目には、生き延びる未来しか見えない。

 フランス人の少年は倒れた少女の前に膝をつき、
「……パルムドールでも狙うか」
と呟くように言う。プリィは
「カンヌで待ってるわ」
と言い返し、血糊で汚れた顔を少しだけ上げる。
 セバスは動かないが、開いた目は日本人3人がモンドに対峙する様子を捉えている。
「……見てろ。これが聖戦だ」
とアルスは言い、詩応に目を向けた。
「シノ!2人を頼む」
その言葉に詩応は
「ああ!」
とだけ返す。
 仮にプリィやセバスに牙を剥くなら、抑止力としての銃が必要。アルスは外国籍故に持てないから、詩応に任せるしか方法は無い。
 ……ムッシュ・エピュラシオンの息子であり、血の旅団を何よりも蔑む男。それが今、目の前に立ちはだかっている。自分をターゲットにしたいハズだ。
 ならば、俺が撹乱する……そう思ったアルスは、
「ルナ!」
と名を呼び、その隣へ走る。そしてモンドに目を向け、言った。
「お前にとっては悪夢だろうな」
 血の旅団信者の前に劣勢に立たされる、これほど屈辱的なことは無い。目の奥に殺意混じりの怒りが見える。
「此奴らに手を出せば、俺はお前を殺す」
「聖女候補を殺して今更何を」
「殺した?」
とアルスが言うと、プリィとセバスが起き上がる。顔の下半分を赤く汚しているが、それ以外はアルスに襲われる直前と何も変わらない。モンドの目には、ついに殺意が浮かび上がる。
 アルスはポケットから取り出したカプセルを前歯で挟み、一息に噛み切ると、赤黒い液体が唇を汚す。フランス人2人の顔に当てたハンカチで、血らしきものを拭き取ったアルスは呆れ口調で言った。
「この程度の絡繰りに気付かないとはな」
 今朝流雫がガレットを焼いた後で、アルスはコーンシロップを手にした。澪の母美雪が洋菓子の材料として、室堂家のキッチンに置いていたものだ。それと着色料さえ有れば、口に含んでも平気な血糊を簡単に用意できる。
 使うことは無いだろうが、何かの時に備えて用意するのも悪くない、そう思ったのがきっかけだった。ただ、こうして活躍するとは思わなかった。逆に言えば、この程度のことに簡単に引っ掛かるほど、モンドはアリス失脚しか見ていなかった。
「……バカにしやがって……」
そう声を上げたモンドのすぐ後ろまで近寄る男。モンドはドイツ語で
「フランス人だけは殺して構わん。それ以外は殺すな」
と指示を出す。アルスは反射的に叫んだ。
「シノ!!」
唯一ドイツ語が判るフランス人に反応した詩応は、銃を構える。威力では不利だが、それが全てではない。
 ボーイッシュな少女に銃口が向いた瞬間、詩応は引き金を引いた。2発の銃弾は男の腕を掠める。震える手では掠めただけでも上出来だ。だが、スーツに血を滲ませる男は何事も無かったように銃を構え、4発撃った。詩応に掠りもしないが、痛みを感じず反撃できることが脅威だ。
「痛覚遮断……!?」
と詩応は呟く。それが聞こえていたかのように、流雫は
「肉体強化されてる!!」
と声を上げる。
「ただ、遮断にも限界は有るし、それが裏目に出る」
それが流雫の勝機だった。
 痛みの本質は危険信号。身体が危険を知らせ、無意識の防御反応を取らせようとする。それが遮断されることは、身体の危険を自覚できないと云うこと。異変を感じた時は、既に手遅れなのだ。
「……くっ!」
詩応は銃を構える。その勝機を忍びないと思っている、しかし生き延びるためだ。
「悪く思うな……」
と呟き、ボーイッシュな少女は引き金を引いた。
 大きな銃声を伴った2発の銃弾が、男のスーツの肩口に穴を開ける。一瞬で肩が赤黒く染まる。異常事態に漸く気付いた男は、しかし目を見開くだけで呻き声を上げず、そのまま地面に膝から崩れ落ちた。
 恐らくは助からない。しかし、先に撃ったのはこの男だ。アタシは何一つ悪くない。そう思わなければ戦えない。
 詩応は全方位に意識を向ける。
「シノ……!」
と名を呼ぶプリィに、詩応は言葉を返した。
「アタシは護る。アンタたちの明日を」

 モンドの気を逸らすべく動いたのは、アルスだった。
「やれるならやってみろ!」
と声を張り上げる生意気な18歳に、銃を向けるモンド。怒りと焦りに捕らわれる様は、アルスにとっては滑稽で、そして哀れだった。
 アルスが信仰する女神ルージェエールは経典上、悪魔ゲーエイグルに陵辱された挙げ句、混血のテネイベールを産み落とす。そして、ソレイエドールを護るために処刑を望み、拒まれたことで叛逆を演じ、処刑された。
 それは創世の女神の慈悲深さを強調するものではあったが、中にはその後のテネイベールによる混沌の元凶として、ルージェエールを断罪する解釈も有る。その持ち主こそツヴァイベルク家なのだ。
「邪教の傀儡の分際で!」
「馬鹿の一つ覚えかよ!!」
と言い返すアルスに気を取られるモンドは、澪と小城から離れていく。
 その澪に取り押さえられる小城は、抵抗を諦める。何処で何を間違ったのか。走馬灯のごとく蘇るクローンへの関与を拾ってみても、全てが遅過ぎる。
「殺人罪が有って助かったわね」
と生意気な口調で小城に告げる澪。法も正義も無ければ殺している……裏を返せばそうだ。刑事の娘らしからぬ言葉だが、澪も人間だ。
 気を緩めず全体重を掛け続ける澪は、唯一残った敵に目を向ける。
 「俺は予言する。ルージェエールとテネイベールが、ソレイエドールを蹂躙する悪魔を討伐する」
とアルスは言った。モンドは、その悪魔が自分であると受け取った。しかし、目の前のフランス人は丸腰だ。
 モンドはアルスではなく、シルバーヘアの少年に銃を向ける。
「ルナ!」
アルスが叫ぶと同時に、流雫は引き金を引く。モンドのスラックスに穴を2つ開けたが、血が滲まない。
「防弾……!」
流雫は呟く。スーツ自体が防弾素材か。そうなると、流雫の小口径銃では足止めできない。
「流雫……!」
と無意識に反応した澪に、流雫は
「一つだけテが有る」
と言った。命を狙う覚悟で撃つしかない。本来、正当防衛ならそうしても構わないのだ。
 その瞬間、流雫に向けられた銃口が火を噴く。白いシャツの右胸に血飛沫が飛び、それがガンメタリックの銃身にも散る。精悍な顔を歪めるシルバーヘアの少年は銃を落とし、膝から崩れ落ち、そのまま右腕から地面に倒れた。
 「るっ……!!」
澪は小城から離れ、最愛の少年に駆け寄る。
「澪!」
咄嗟にその名を呼ぶ詩応は、彼女の代わりに小城に馬乗りになる。
「流雫ぁぁっ!!」
絶望の悲鳴が、雨粒を避けながら周囲のビルに反響する。
 ……流雫が撃たれたのは二度目。またしても、自分の目の前で。そして今、途切れそうな意識と戦っている。
 澪は流雫の前に膝を突く。
「流雫!流雫!」
何度も呼ぶが、少年は顔を歪めたまま手を地面に這わせる。それは澪ではなく、銃に向かっていた。
 「み……お……」
弱々しい声を上げながら手を伸ばす流雫は、血に濡れた銃身に触れる。しかし、腕はそこから動かない。
 澪は目を閉じ、乗り出した身体を力なく戻す。胸の前で両手を重ね、祈る。
 もう戦わなくていい、ただ流雫が生きていれば、何もいらない。美桜さん……流雫を助けて……!

 澪の悲痛に満ちた表情とは対照的に、モンドは
「次はお前だ、アルス・プリュヴィオーズ」
と宣言し、銃口を向ける。どう足掻いても、勝ち目は無い。
「……俺が殺されたところで、ソレイエドールは全てを断罪する」
と言ったアルスは、流雫と澪に目を向けない。……何も怖くない。
 モンドは、今度こそ勝利を確信した。ソレイエドールが断罪するのは、このモンドリヒト・ツヴァイベルクに牙を向けた馬鹿共だ。
 地面を打つ雨、そのノイズに勝る大きな銃声が鳴った。

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