LTRA3-2「Lost Place」

 父の職場に泊まるのは初めてだったが、流雫とアルスが何処で夜を明かすか、と思えば逆に好都合。澪はそう思った。そうやって、少しでもポジティブになるものを見つけなければ、やってられないのが本音だ。
 性別の都合で流雫とは相部屋にできないのは、仕方ないが不満。だから澪は、隣のコンビニに行く口実で流雫を外に誘った。
 冷たいココアを口にした後で、臨海署裏の岸壁に並ぶ2人。こうして隣にいるだけで感じられる安寧に、何時までも浸っていたい。しかし。
「……流雫」
と名を呼んだ澪は、無意識に最愛の少年を抱きしめた。
「……怖かった……!」
そう嗚咽混じりの声を漏らす少女。
 ……自分が死ぬ恐怖、何より流雫が殺される恐怖に襲われた澪の感情が、2人きりになったことで爆発した。
「流雫ぁ……流雫ぁ……っ……!!」
壊れたように何度も名前を呼ぶ澪の身体に、流雫の熱が感じられる。それが少しずつ、恐怖を溶かしていく。
 何も言わず、今この瞬間の感情を受け止める存在が、どれほど心強いか。だから澪は、流雫の絶対的な味方なのだ。流雫を護る……美桜と夢で交わしたあの約束も、その信念が根底に在るからこそだ。夢に出てきた美桜は、澪の背中を軽く押したに過ぎない。
 流雫は何も言わず、ただ澪の頭を撫でる。……澪に抱き抱えられ、人工呼吸された記憶すら無い。しかし、澪はそのことに触れなかった。助かったからどうでもよいことなのか、恐怖を思い出すからなのかは判らないが。
 一頻り泣いて、澪は漸く落ち着きを取り戻す。
「ありがと……流雫……」
と、息を切らせて言った澪に、流雫は
「サンキュ、澪……」
と囁く。澪がいるから、死ななくて済んだ、と思っている。
 ボブカットを揺らして、最愛の少年の視界を支配する澪。その唇に、流雫の唇が触れた。
「ん……、……んっ……ぅ……」
先刻とは違う息苦しさに抗うように、絡めた指に無意識に力が入る。その微かな痛みと、唇に伝わる熱が愛しい。互いの生を、何よりも感じていられる。
「っ……はぁっ……、……っ……」
今までで最も長いキスを交わし、唇を離す2人は、互いの瞳に誓う。このキスを最後にしないと。

 翌朝。疲労が溜まっていたのか、4人は夢を見ること無く目を覚ました。しかし、男子2人は眠そうだ。
 再開された取調、そのスタートは昨夜のアルスの言葉だった。それと同時に、寝ている間にアリシアから恋人に届いていたメッセージを、流雫が翻訳する。
 ……マルティネスの死は、他殺と断定された。直接の死因は水死だが、体内から大量のアルコールが検出されたことで、急性アルコール中毒状態だったことが判明した。
 そうなるほどにアルコールを摂取して、歩くどころか立つことさえ侭ならないハズだ。元総司祭に同伴し、運河に転落させた何者かがいる……その線で捜査が進められている。
 そして、マルティネスはストラスブールを出発後サン・ドニに向かい、翌日ダンケルク入りする予定だった。その一方、パリの中央教会には立ち寄らなかったことが判明している。
 酒を飲ませた相手は中央教会とは無関係。つまり、フリュクティドール家は無実。焦点は、元総司祭は誰と会っていたのか、だ。
 「……ダンケルクでの部下……?」
と流雫は言う。アルスがアイコンタクトする、それが合図だった。
 「マルティネス家に仕えていた頃からの部下がいるなら、それに指示を出した。元総司祭とほぼ対等に話せる立場の人物となると、かなり絞られると思う」
「ミヤキがサン・ドニからデータを持ち出したから、サン・ドニに行けば真相を掴めると言って、マルティネスを向かわせた」
「その時点で、ヴァイスヴォルフは聖女の秘密を既に知っていた」
「そして夜、その部下と酒を酌み交わした。恐らく、メスィドール家失脚の前祝い。そこで大量に飲まされたマルティネスは、意識を失う」
「そして部下が介抱を装いつつ、隙を見て運河に転落させた……」
 そう交互にフランス語で語る男子2人の会話を、翻訳アプリで追っていた日本人3人は唖然としていた。仮に、この2人が実行犯だとしても驚かない、それほどのリアリティが有るからだ。
「だが、詰めが甘い。俺が犯人なら、転落させた後ですぐ警察を呼ぶ。そうすれば、事故死に見せ掛けることができる。人が落ちたから通報した、自分も助けようとしたが、叶わなかったと」
と言ったアルスは、それがヴァイスヴォルフサイドの致命的なミスだと信じていたかった。
「僅かな間でも、フリュクティドール家に疑惑の目を向けさせる。それができると思ったから、事故に見せ掛けなかった」
とアルスは言い、
「それが前提だが……」
と続きを流雫に振った。
 「その死の連絡の後で、ヴァイスヴォルフは自分の味方となる日本の信者に秘密を話し、義憤で犯行に及ばせる。それが、僕が見たあの騒ぎ……」
「……でも」
と、澪が流雫に目を向けながら口を挟む。その声に、少しの怒りが滲んでいた。
「アリスの秘密をバラすだけで失脚させられるのなら、何故撃ったの?殺そうとしたの?」
「……恐らくは、義憤の暴走……」
と流雫は答える。
 「敬虔な信者故に、禁断の存在を生かしたままにはできなかった。ただ、それがヴァイスヴォルフにとっては誤算だった。だから消火設備で、犯人を殺そうとした……罰として」

 部屋に戻った流雫とアルスは、隣にいながら互いに背を向け、2時過ぎまで延々とメッセージを送り合っていた。時間も時間だし、小声でも話すのは憚られたからだ。
 今澪がぶつけてきた疑問は、流雫も気になっていた。そしてアルスとの遣り取りのうちに、ヴァイスヴォルフとしては殺す気ではなかった……その答えに辿り着いた。
 消火設備を使えば、犯人は死ぬ。しかし、聖女も死ぬ。ただ、どっちにしろ失脚は確定しているのだから、アリスの生死は最早どうでもよかったことになる。
 だが、そのために流雫と澪が殺されかけた。とばっちり以外の何者でもない……。

 詩応は話を聞いているだけで、何も言わない。しかし、その苛立ちを露わにした表情で、彼女が何を思っているのか、澪には判る。
 ……アリスを救いたい。何もかも知っているアルスがいるからこそ、聖女の弱さを知ることができて、そう思うようになった。
 そして、彼女が最早教団での居場所を完全に失ったことは明白だが、だから一層救いたい、と思う。人工的とは云え生まれてきた、彼女の命そのものを。
「……絶対救ってみせる。詩応さんには、あたしも流雫もいるんですから」と澪は言った。
 ……そう明確に言える澪の慈悲や強さは、何時でも詩応を立ち上がらせる。他の人が言えば安っぽく聞こえる言葉も、澪が言えば、絶対的な強さに感じられるのだ。
「……ああ」
とだけ答えた詩応は、微かな微笑を浮かべる。それが取り繕いではない、と判った澪は微笑を返した。

 臨海署に背を向ける4人、その行き先は決まっていた。
 この数日で何度も足を運んだ渋谷、トーキョーアタックの慰霊碑に正対する流雫は
「……サンキュ、美桜」
と呟く。自分を助けたのは澪だったが、澪を助けたのは美桜……そう思っていた。
 僕は美桜に何もしてやれなかった、なのに美桜は護ろうとしている、僕や澪を。その守護に頼ってばかりだ……そう思っていた流雫の隣に立った澪は言った。
「ありがと、美桜さん」
 慰霊碑に向き合うあの2人にとっては、この場所こそ聖地。詩応とアルスにはそう思える。
 流雫はその2人に振り返り、言った。
「……行こう」
その瞳には、新たな決意が宿っている。
 何が有っても、立ち向かえる、戦える。この目に映る3人がついていれば。誰もが、そう思っていた。

 「結局、聖女とは何なのかしら……」
無機質で殺風景な病室で、ブロンドヘアの少女はベッドに身体を預けたまま、言った。目を覚ました1時間後のことだ。
 隣には、自分と瓜二つの少女がいる。一方、セブとセバスは外にいる。この1人用個室にいるのは、聖女とそのオリジナルだけだ。
「……本当は、私が身代わりなのに……」
と言ったプリィに、アリスは
「私の秘密がバレた時点で、身代わりも何も無いわ……」
と言葉を被せ、目を閉じる。そもそも、身代わりと云っても、影武者とはニュアンスが違う。
 「……セブが日本に渡り、心配だったから追った。褒められたことではないけど、私は貴女を咎める気は無いわ。尤も、渡ったのはセバスだったけど」
「クローンの秘密がバレた。メスィドール家栄光の時代は短命に終わるわ」
と続けたアリスの声は、何処か安堵が混ざっていた。聖女でなくなることは避けられないが、それが立場からの解放をもたらすからか。
 しかし、プリィの目を見つめ、諭すように言う。
「ただ、これは始まりに過ぎない。そう思ってるわ」
「ベースの遺伝子を持つ私や、私の一家も標的になる……?」
「それよりも大きなこと」
とアリスは言い、一呼吸置いて続けた。
 「次の聖女は、恐らくマルグリット。彼女自身は、それに相応しいだけの人物だと思うわ。ただ、その背後が問題なの」
「でも、元総司祭は既に……」
とプリィが言ったと同時に、病室のドアが開く。聖女の目が捉えたのは、血の旅団の信者だった。
「聖女アリス、お前に会わせたいフレンドがいる」
「……立ち去りなさい……」
と、アリスはアルスの言葉に被せる。だが、教会で見た時のような勢いは感じられない。
「会わせるために連れてきた。帰すワケにはいかない」
そう言ったアルスが外に目を向けると、それが合図となって、僅かに見覚えが有る2人が入ってくる。
 「……昨日の……」
とだけ言ったアリスは、しかしそれ以上何も言わない。あの惨劇を思い出すからだ。
 しかし、空港と礼拝堂では遠目からだったが。今は至近距離。日本人らしくない少年と日本人の少女、それらの顔が鮮明に判る。
 「……一命は取り留めたようで、安心しました……」
「ソレイエドールの守護が有ったからよ」
と、澪に答えるアリス。それと同時に、アルスは黙って退室する。今、自分は邪魔だからだ。そして、介入するまでもない。
 「……僕はルナ」
「あたしは……ミオです……」
そう名乗った2人に、アリスは
「……改めて、アリスよ」
とだけ答え、オッドアイの少年に目を向ける。
 ……破壊の女神、テネイベールと同じパターンの目。やはり目立つ。しかし、今は何処か頼もしく見える。
 流雫は、愛する祖国の言葉で言った。
「僕は……アリスを救いたい」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?