LTRP2-9「Taste Of Bullet」

 澪のことは誰より知っている。ドアが閉まる直前に飛び込み、自分に向かってきているハズだ。何を言っても
「流雫を置いて逃げる、あたしにできると思うの?」
と言い返されるのは判っている。ならば、2人で仕留めるしかない。
「……流雫……」
澪の声がイヤフォン越しに聞こえる。無意識にブレスレットに唇を重ねる流雫。
「澪……」
彼女のためにも、屈するワケにはいかない。
 その間にも、視界の運転室の扉が大きくなる。行き止まり……だが、流雫にとってはそうではない。
 流雫が跳び上がりながら体を反転させると、薄い靴底が扉を捉えた。曲げた膝を伸ばし、今度は前に跳ぶ。
 一瞬でベクトルを180度変えた悪魔は、一気に間合いを詰める。咄嗟にその場に屈む男の頭上を越えた流雫は、床に手を突くと着地したばかりの足を、今度は後ろへ突き出す。馬の蹴りに似た一撃は、体勢を戻そうとした男の背中を突き飛ばした。
「がっ!!」
数歩よろけた男は、後ろを振り向く。しかし、既に立ち上がった悪魔はロングシートの端のポールを掴み、身体を振り回す。水平に振られる足が男の手首を捉え、銃をドアに弾き飛ばした。
「ぐぉぉぉっ!!おぉっ!!」
骨折したことが激痛で判る。痛みに顔を歪めながら、床に足を付ける流雫を睨む男の目に、奥から走ってくる女が映る。
「流雫!」
女は叫び、最愛の少年に先刻預かった銃を投げる。的確な放物線を描くガンメタリックの銃身は、伸ばした流雫の左手に吸い寄せられた。
 咄嗟にスライドを引く流雫に続くように、澪も銃を取り出す。
 男の目に映る男女は、構えてはいないが臨戦態勢は整っている。そして、その背中は乗務員室。追い詰められたのは男の方だ。
 カーキ色のジャンパーを着ている、それだけではない理由で汗が身体から滲み出る。
 逃げるなら、逃げ道は一つ。男はズボンのポケットから新たな銃を取り出し、背中の扉に銃口を押し当てる。
 3発の銃声と同時にひび割れたガラスに、銃身を叩き付けて割った男はその奥に手を入れて鍵を開け、運転席に侵入する。しかし、自動運転システムは運転不可を示していた。動かすことはできない。
 動かすことができなければ、下りるしかない。男は運転席の隣、非常用の貫通扉を開け、線路に飛び下りた。
「待て!!」
流雫は叫び、後を追う。澪は乗務員用の小さな扉を開け、駅員に
「線路に下りました!!」
と叫んだ。
 列車の数メートル前で、白いヘッドライトに照らされる流雫。澪は、ライトの切り替えスイッチに目が止まる。
「これだ」
と呟き、澪は手早くスイッチを押した。
 ヘッドライトが消え、同時に赤いテールライトが点く。目への負担は減るが、周囲は暗くなる。この地下鉄では危険だが、流雫は線路に下りた瞬間、障害物の位置関係を完璧に把握していた。だから今暗くても問題無い。
 駅員と乗務員が駆け付けるが、男が威嚇で撃った1発は駅員の肩に命中した。
「僕に任せて!!」
流雫が張り上げた声が、地下を貫くトンネルの壁に反響する。そして、赤い光に照らされた少年は、片手射撃の反動に振り回される男の腕と頭を掴み、ライトのレンズに顔を押し付け、目を閉じて顔を下に向ける。
 その瞬間、澪は2つのスイッチを同時に押した。
「ああっ!!」
男が声を上げたのは、視界が真っ白になったと同時に目に強烈な刺激を感じたからだ。
 赤い光と云うクッションが有ったとは云え、ヘッドライトを、それも走行用のハイビームを文字通り目の前で照らされたのだ。これこそ目眩まし。流雫と澪だからこそのコンビネーションは、常にテレパシーでリンクしているかのようだ。
 男は咄嗟に目を閉じたが、強烈な光が残像として残っている。力任せに暴れ回るしかない。
 ヘッドライトを再度消した澪は
「流雫!」
と声を上げて線路に下りる。その瞬間、男は体を仰け反らせた。力任せで流雫を弾き飛ばす。
 目障りな少年を、車内で仕留められなかったことは誤算だった。しかし、EXCでキルされたことは一度も無かった。リアルでも同じでなければならない。
 男は銃口を澪に向けようとしたが、照準が定まらない。撃ち出された銃弾はヘッドライトのレンズを割った。発砲の勢いによろけながらも、男は次第に正常な視界を取り戻す。
「ふざけやがって!!」
その声を、流雫が掻き消す。
 「あの事故は、お前が企んだのか!!」
澪は背筋が震えた。流雫がお前呼ばわりをするのは、犯人に対してだけだ。それも滅多に口にしない。それだけ、犯人への怒りが強いことを意味している。
 男は銃口を澪に向ける。この女を撃てば、生意気な男にも揺さぶりを掛けられ、突破口が開けるハズだ。しかし、
「撃ってみなさい?」
その一言に呼応した銃弾は、トンネルの壁に弾かれる。
 ……赤いLEDライトに照らされたダークブラウンの瞳に、男は恐怖を覚えた。撃たれない絶対的な自信すら覗かせ、それが男の理性を侵食した。
「た、弾の味を堪能するか!?」
男はイキって叫ぶが、残された銃弾は1発。しかし、適当でも当たる可能性が有るのが銃だ。
 だが、正当防衛は自分の危険に対してのみ、適用されるものではない。
 「澪!」
流雫は男の肩に向け、引き金を引く。小さくも反響する銃声に続いて、
「ぐぅぅっ……!!」
と、男の顔が醜く歪み、腰を仰け反らせる。
「それが弾の味だよ」
と流雫は言った。
 流雫も過去に一度、太腿を撃たれている。流雫の同級生の身代わりになった澪を、助けようとした時のことだ。起死回生のコンビネーションで犯人を仕留めたが、意識を失う直前に見た澪の慟哭が、今でも脳の奥深くに焼き付いている。
 撃たれる怖さを知っている、だから撃てる。それも、初めて引き金を引いた時からの教訓の一つだった。
 残り1発。至近距離からなら外さない。男は流雫に振り向く。流雫は踵を返し、目の前の構造物にノーハンドで跳び乗りながら反転し、更に跳び上がる。
 「クソがっ!!」
腕を伸ばした男の視界が揺れた。レールに躓き、爪先に痛みを感じる。流雫は咄嗟に男の右腕を掴み、反対の手で肩を突き、雪崩れながら後ろに押し倒した。
「ぐっ……くっ……!」
「助かった……」
流雫は言い、男の腹部に膝を乗せると銃を喉元に突き付け、澪も万が一に備えて銃口を向ける。男は押し倒された弾みで銃を手放している。手が届く位置に無い。
 ……この地下鉄の特徴は、電気を頭上の架線からではなく、進行方向左側の3本目のレールから得ていること。流雫が跳び乗った構造物は筒状で、各種配線が格納されていると同時に、この給電用レールのカバーを果たしている。
 しかし、男は躓いて給電用レールに飛び込むところだった。比較的低めの電圧とは云え、感電すれば無事では済まない。
 跳んだところまでは計算通りだった。位置関係の把握も完璧だった。だが、犯人の男だけが予想外だった。だから、男が感電せず助かったことに安堵していた。
「そこまでだ!!」
と警察官が駆け付ける。男は体を跳ねさせるが、力が入らず流雫を弾けない。
 警察官に男を引き渡した流雫の隣に、澪が近寄る。
「流雫……!」
「サンキュ、澪」
と流雫は言い、最愛の少女を抱き寄せる。澪のアシストが流雫を終始有利にしたが、何より澪が無事だった事が嬉しい。
 しかし、今は気になることが有る。
 澪は流雫との通話を切り、悠陽のアイコンをタップした。あの事故はどうなったのか。

 流雫と澪が地下へ消えて数分、ようやく消防車が駆け付けた。救助隊が漏電を解除して男を救出したが、AEDを使ったものの助かる見込みは無かった。
 これが内燃機関の車なら、すぐにでも救出を試みることはできた。しかし、電気が車体に流れている可能性が有る以上は迂闊に触れない。それが電気自動車の最大の問題だった。そしてその初動の遅れが、文字通り命取りになる。
「今、乗っていた人が運ばれていったわ」
と、悠陽はスマートフォン越しに澪に言う。救出された人を遠目から見るも、顔までは判らない。
 2人は、自分たちが連行される交番を待ち合わせの場所に指定した。それは目鼻の先。

 悠陽と合流した2人は、交番から臨海署へ連行されることになった。父親の職場であることがその理由だ。
 常願は呆れるばかりだった。事態が事態だけに今回は不問に終わったが、地下鉄の線路上で犯人と戦ったとは。
 犯人は病院で手当を受けている。流雫の銃弾は威力が弱いだけに貫通せず、体内に残る。摘出が必要になるから厄介なのだ。
 事故を起こした車の男は、救急車の中で死亡が確認された。死因は急性心不全と診断されている。
「何故男が怪しいと思った?」
と、常願は娘の恋人に問う。流雫は事故の瞬間から、一部始終を話す。
 「正義と悪魔、その言葉を頻りに使っていた」
そう言った瞬間、澪の目が曇る。
 ……イヤフォン越しに聞こえていた。流雫が悪魔のような目をしている、と。
 流雫は悪魔、澪はそう思っている。自分が手を握った少年の力で、テロから生き延び続けてきた。その対価は、死の先で悪魔の正体を現した彼に抱かれ、支配されながら久遠の時を過ごすこと……だったとしても、寧ろ本望だと思えるほどに。
 重苦しく痛々しい、人が聞けばそう思うだろう。しかし、それほどに彼の力になりたい想いは偽りじゃない。
 だからこそ、他の誰かが侮蔑の意味で流雫を悪魔呼ばわりすることが、澪には我慢できない。
「その悪魔すら討伐できないとはね……」
と澪は言う。流雫をバカにされた怒りを、そうして鎮めようとしていた。流雫は無意識に、彼女の隣に腕を出す。澪は弱々しく掴むと、漸く冷静さを取り戻す。
「討伐?」
と常願は問う。
「……自分たちが正義なら、あの事故は正義の鉄槌」
と言った澪に、流雫は続く。
「最初からあの場所で下すと決めていた。……だとすると、事故の原因は運転ミスじゃない……?」

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