LTRP2-8「Eyes Of Devil」

 池袋駅前に戻った3人は、ドーナッツ屋に入った。話したいことは終わったが、或る意味では今日の目的だ。
 最初の話題は翌週のイベントだった。悠陽はEXC以外にも回ってみたいブースが有る。一方の流雫と澪は、EXC以外何が有るのか把握していない。そもそも、椎葉からの無料チケットでイベントの存在を知ったほどだ。
 スマートフォンで会場マップを開く2人は、その時初めてEXCが右端のホールを半分使っていることを知った。イベント中最大規模だ。公式サイトでも大々的に告知しているのを見ると、改めてコンテンツの勢いを感じる。
 マップを頭に入れた流雫は、レモネードを飲みながら2人の話を聞いていた。
 話題がEXCに変わると、流雫はついていけない。ただ、最愛の少女が悠陽と仲よく話している光景は、見ていて安心する。平和を感じていられるからだ。
 流雫はEXCを開き、専用SNSに目を通す。アルバに関する投稿が目に止まった。
 池袋での射殺事件でメンバーが4人に減ったコミューンは、新たなマスターの下で今も活動を続けている。しかし、チート制裁の余波で今も大幅な不利を強いられている。その理由を知らない4人は、EXCに対する不満を連ねていた。
 批判的な投稿がAIによって振り分けられた結果、流雫と同じコードに引っ掛かる可能性が高い。しかし、文句一つ言わずプレイするにはハンデが大きい。半ば飼い殺し状態……スタークでさえ、ここまでは望んでいなかっただろうか。尤も、流雫にとっては澪に被害が及ばなければいいだけの話だが。
 スクリーンショットを撮った流雫は
「僕が強くなると、澪が苦しむだけだから……」
と言った。2人が先日の、流雫の幻の初キルについて話していることは判っていた。
 澪には意味が判る言葉は、悠陽にとっては不可解だった。強くならないままで遣り過ごそうとするMMOプレイヤーは初耳だったからだ。
 やはり流雫は異端だ、と悠陽は思った。澪とは反対に相容れない。しかし、澪が流雫を中心に据えている以上、彼を無碍にすれば澪との仲にすら亀裂が入りかねない。だから今は、腫れ物に触るように接するだけだ。自分のプレイの足枷にならなければいい、と願う。

 ドーナッツ屋を出ると、3人は駅の雑貨屋に向かう。悠陽が、流雫が2日前に河月で見たエグゼコードのグッズを見たい、と言ったのだ。そのまま別れるのも癪だからと、2人はついていくことにした。
 駅前の大きな交差点に並ぶ3人。赤に変わった信号で止まる路線バスの斜め後ろに、銀色のセダンが飛び込んだ。金属がひしゃげる轟音が、周囲の建物によって反響する。
「事故……!?」
澪が呟く。刑事の娘としての本能が、華奢な少女を震えさせる。
「助けなきゃ……!」
そう声を上げると同時に、銀色のセダンが現れる。それは車道を挟む広場の中心、地下街への階段の白い外壁に衝突して止まった。崩壊した外壁が階段に散乱する。
 悲鳴と怒号が混ざる中、
「悠陽さんは此処にいて!」
と叫んだ澪は、先に地面を蹴った流雫に続いた。

 バスに衝突した後、二度目の衝突までエンジン音が聞こえなかった。つまりは、内燃機関ではなく電気自動車。
 前者なら出火していない限り救助できるが、後者はそう云うワケにはいかない。高電圧バッテリーが破損していた場合、漏電している可能性が有る。迂闊に触れない。
 「澪!触るな!」
と後ろから追ってくる少女を言葉と手で制した流雫は、1歩ずつ前に足を出す。
「流雫!?」
「ダメだ、漏電してる」
と流雫は言葉を返す。外から見える液晶のメーターパネルが、警告マークと共にその2文字を示していた。消防車が来るまで開けられない。
 エアバッグに凭れている男が気になるが、流雫の目はスマートフォンを車に向ける男を捉えた。カーキ色の薄手のジャンパーを羽織る数人のヤジ馬とは何か違う……?
 ふと、男と目が合った。男は走り出し、瓦礫が散乱する階段を駆け下りる。
「待て!!」
流雫は叫び、その後を追う。
「流雫!?」
澪も慌てて、後に続く。何が何だか判らないが、こう云う時の流雫の直感は当たっている。

 段差を瓦礫ごと跳び越えた流雫は、男の背を捉える。しかし、人混みで距離が縮まらないことに僅かな苛立ちを感じる。だが、こう云う時こそ冷静でなければ。
 イヤフォンの電源を入れた流雫の目に、地下鉄の駅看板が見えた。
「まさか……」
澪との通話を始めた流雫は呟く。地下鉄に乗って逃げる気か。
 男は改札のゲートを突破する。事務所から駅員が飛び出ようとするが、流雫は
「後で!!」
と言い残し、銃を取り出しながら駅員に向かってバッグを放り投げ、自動改札機に手を突き、ゲートを跳び越えた。その一部始終を見ていた澪は駅員に
「電車を止めて!!」
と叫ぶ。
「彼、犯人を追ってるんです!!上の事故の!!」
その言葉に偽りを感じない駅員は、有人改札から通した澪の後ろから、先に行った2人を追う。
 発車チャイムが鳴り終わり、ドアが動き始めた瞬間、男は赤い列車に飛び乗る。これで逃げ切れると思った。だが、甘かった。
 階段を駆け下りる流雫は、ドアが閉まり始める列車に向かって銃を投げた。ブーメランのように回転する銃身は、バレルとグリップの角で2枚のステンレスドアを止める。車掌が再度ドアを開けると同時に、支えを失い落下を始めた銃を、走ってきた流雫の手が拾い上げ、そのまま車内の床が靴音を立てた。
「馬鹿な!」
と男が声を上げると、車内放送が響く。
「当駅で非常事態が起きたため、運転を見合わせる」
「くそっ!」
男は舌打ちし、流雫がプラットホームに目を向けると、追ってきた駅員の前に立つボブカットの少女と目が合った。駅員が車掌に通報して列車を止めさせた、そのきっかけとなった澪のファインプレイに感心しながら、流雫は男に目を向け
「何を企んでる?」
と問う。
「列車を止めるなど……!」
「駅前の事故に関与しているのか?」
と、流雫は男の話を無視して再度問う。尤も、答えが返ってくるとは思っていないが。
「銃など持ち出して、俺を殺す気か?」
「警察に引き渡す、それだけのこと」
と言った流雫の声に、澪は身震いする。声色と口調で、最愛の少年の怒りが判る。そして今は、相当なものだ。
 「澪、持ってて」
とイヤフォン越しに言った流雫は、背後へ向けて銃を投げる。澪は、懐に向かってくる銃身を的確に捕まえた。
「丸腰だと?」
「殺す気は無い」
と流雫は言う。
「正義に楯突くとは……」
「僕には僕の正義が有る」
その言葉が引き金だった。
 男が天井に向かって発砲すると、乗客が一気に飛び出す。
 澪はその混乱を掻き分け、3両先にいる車掌まで辿り着くと
「閉めてください!犯人を閉じ込めないと!」
と声を上げる。
「彼なら無事ですから」
と続く少女に、車掌はドアのボタンを押す。その瞬間、澪も鞄から銃を取り出し、車内へと飛び込む。想定外のことに
「おい!!」
と車掌が叫ぶが、声はドアに遮断された。専用のドアから車内に戻ったが、澪が銃を見せ付けると、それ以上動くことを本能が制止した。
 褒められることではないし、父親にバレれば大目玉。それぐらい判りきっている。しかしそうしてでも、他の人を避難させたい。後は、このことがバレないようにと願うだけだ。
 ……他に乗客はいない。細長い密室で2対1。油断さえしなければ、どうにかなる。
 犯人は流雫にしか意識が向いていない。それでも、車両の連結部分を仕切るガラス製の扉からは見える。
 座席沿いを走り、手早く扉を開ける。その繰り返しで、なるべく相手から見えないように進んでいく。FPSゲームさながらの動きは、全ては死なないためだ。
 3両分走った澪は
「……流雫……」
とだけ呟き、左手のブレスレットにキスをする。カーネリアンのティアドロップに、イヤフォン越しにリンクする流雫の守護を感じていられる。
「待ってて」
と声に出した澪は、連結部分の扉を開けた。

 澪の声に続いて扉が閉められると、流雫は勝機を感じた。隠れることができる障害物こそ無いが、踏み台にできるものは多く、どうにかなる。
 そして澪には、1対1を外から見守る選択肢は無かった。逃げろと言っても、それだけは聞き入れないだろう。それなら、戦略は一つ。
「威勢はいいが、丸腰でどうする気だ?」
と男は銃を見せ付ける。大口径だ。
 「これは正当防衛だ、犯人の濡れ衣を着せられたからな」
「あれじゃ逃走したと思われても、文句を言えないハズだ」
と流雫は言い返す。
「何が目的だ?」
 冷静さを欠かない少年が、その見た目も相俟って不気味に映る。まるで悪魔のようだ。アンバーとライトブルーのオッドアイが、特にそう思わせる。
「悪魔のような目をしやがって。心まで悪魔か!」
その挑発と同時に響いた、鋭く乾いた銃声は、流雫の背後のドアに刺さった。合図だった。ここからは、何をしても正当防衛になる。
 ワンテンポ遅れて、流雫は踵を浮かせる。そして右に身体を振った。
「逃がすか!」
声を上げた男が銃口を向ける。しかし流雫に合わせることはできず、銃弾は車内の壁に弾かれる。
 狭い車内でも斜めに走りながら、撃たれないようにと撹乱する流雫。車両間の扉を開ける僅かな時間は不利だが、オーバーアクションを仕掛けると簡単に引っ掛かった。
 男はEXCのプレイヤーで、大型の銃火器を使い分けている。火力こそ正義のスタイルだ。しかし、入力デバイスやスマートフォンと実際の銃は、使い方が大きく異なる。男は照準を合わせられないことに冷静さを欠いている。
「撃たれろ、死ね」
そう呟きながら、悪魔と云うエネミーを追い詰める男の目に、悦楽が滲み始めた。脳内では、この戦いがリアルFPSの様相を呈し始めている。
 そのまま逃げても運転室で行き止まり、袋のネズミと云うやつだ。しかし男は知らない、追い詰めているのではなく、追い詰められていることに。

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