LTRA2-13「Bit Of Light」

 「る……な……!?」
そう口にした澪の頬が濡れ、絶望と焦燥感が少女を支配する。
 やだ……!
「流雫……!」
最愛の少年の名を呼びながら近付く澪。その身体を抱え、唇を重ねる。この身体に残る全ての酸素を送りたい。
「……っ……!」
今人工呼吸しても、何の役にも立たないことぐらい判っている。しかし、何が何でも流雫を救いたい。その唇と絡めた指に残るほのかな熱に、一縷の希望を託して。

 大教会の前は騒然としていた。聖女が撃たれたことへの戦慄、その聖女がクローンだったことへの怒りが交錯している。
「退け!!」
と叫びながら、群衆を押し退ける詩応は、銃を取り出しながら教会に入って行く。
 礼拝堂の扉はロックが掛かっている。制御装置は見当たらない。内側は流雫が撃ったがダメだった。
「……待ってろ……澪……流雫……」
焦燥感を露わにする詩応は、扉のロックに向け、震える腕を押さえながら引き金を引く。6発の中口径の銃弾は半分だけロックを破壊したが、後は指を入れれば回せる。
「くっ!!」
詩応は指を入れ、左に回す。小さな金属音が鳴った。
「ぐっ……っ!!」
扉を開けた詩応は、静まり返った礼拝堂の真ん中に倒れる2人に目が止まる。流雫を抱えたまま倒れる澪。
「澪……!!流雫……!!」
2人の頬を叩く詩応、しかし反応は無い。その奥には、聖女とセブもいる。しかし、2人の容体を気にすることはできない。それほど、追い詰められている。
 背後から救急隊員が駆け付けた。担架に乗せられる高校生2人に目を向ける詩応は、同行者として救急車に乗る。
「澪……流雫……」
と名を呼ぶだけだ。そして先刻連絡先を交換したばかりのアルスと通話を始める。
「ミオとルナが病院に運ばれる」
「は!?何が有った!?」
「アタシも知らない。ただ、礼拝堂に閉じ込められたと」
と言った後で、詩応は隊員から告げられた病院を合流場所に指定し、通話を切る。
 ……2人は何を見たのか。まさか、聖女アリスが狙われたのか。そして、助けようとしたのか。
「……女神よ……2人を救い給え……」
と詩応は呟く。ルージェエールとソレイエドール、双方の守護を受けているのだから、死ぬワケがない。そうであってほしい。
 平静を装う詩応は目を閉じる。しかし、床に落ちて砕ける小さな雫を止めることはできなかった。

 「ミオとルナが病院に運ばれる」
その一言にアルスは、驚きと苛立ちを隠さない。通話が切れた後で、アルスは詩応が告げた病院に行くよう指示する。
「お前は?」
とセバスに問われたアルスは、
「教会に行く。後で駆け付ける」
とだけ答え、地面を蹴った。
 ……何が起きたか、想像に難くない。流雫と澪が気になるが、紅き戦女神の守護によって、必ず生き延びると信じている。
 2人のことは詩応に任せる。今は教会で何が起きているのか、探るだけだ。
 全力で走ったアルスは、教会の前の騒ぎに苛立ちながら、英語で
「退け!!」
と叫びながら、先刻の詩応よろしく強引に押し退けて中に入る。
 ……複数の血痕が、礼拝堂の床を汚している。祭壇のすぐ近くにも点在している。
「まさか……」
とアルスが呟く、その後ろから
「何が起きた!?」
と大きな声が響いた。弥陀ヶ原だ。何度も聞いたから、その日本語だけは覚えた。アルスは振り向きながら
 「ルナとミオが病院に運ばれた、とは聞いている」
と英語で答え、近寄った。
「洩れた供述より前に、アリスの秘密を知っていた奴がいる。狙ったのは、恐らくそのグルだ」
「目的は?」
「総司祭の失脚。そのためにアリスを亡き者にしようとしたんだろう」
とアルスは答える。
「だが、シノから聞いた。ミオが礼拝堂に閉じ込められたと。犯人の口封じも兼ねて、ルナごと一網打尽にする気だったんだろう……」
と言ったアルスの目には、怒りが漂っている。
 「……犯人への報復で殺しても、無罪にならないのか?」
と言った少年の目に、生意気な少年の面影は無い。流雫と澪を殺されかけて、黙っていられるワケが無い。
 冗談っぽさが微塵も無い言葉に、弥陀ヶ原は
「言いたいことは判るがな」
とだけ答える。
 アルスは
「……俺は病院に行く。ルナとミオが気になる」
とだけ言い残し、何時しか張られた規制線の外へ出た。
 教会前にいる連中は、相変わらず騒がしい。しかし、礼拝堂で発砲事件が起きたことに対する怒りより、聖女がクローンだったことに対する怒りが、圧倒的に強い。日本語で捲し立てる罵声の意味は判らないが、時系列で容易に想像がつく。
 ……日本は、悪者を社会的に再起不能になるまで叩くと云う風潮が有る。罪人だから当然の報い、そのロジックで武装した自称正義の味方が排除するのだ。謂わば集団私刑。ただ、アリスは教団にとって禁断の存在と云うだけで、何か犯罪を起こしたワケではない。
 ……腐ってやがる。アルスはそう思いながら、地面を蹴ると同時にスマートフォンを耳に当てた。

 「はい!?」
と声を上げた少女はアイスティーをテーブルに置くと、PCの画面を見ながら
「フランスでも速報が出てるわ……」
と小さめの声で言う。
 怖れていたことが起きた。恐らく先刻見た教会の騒ぎは、これから大きくなるだろう。そして当然、ダンケルクも対応に追われるハズだ。
 ……ダンケルクと言えば。赤毛の少女は、思い出したかのように言った。
「……一つ、気になる名前が有るの。ルートヴィヒ・ヴァイスヴォルフ」
「……ドイツ人か?」
とアルスは問う。個人的に、ドイツ人は何となく苦手だ。
 「そう。現地だとバロン・フォン・ヴァイスヴォルフと呼ばれてる。ドイツ側の教会にいた後、マルティネス家に移ってる。でも、不思議なことが有って」
「何だよ?」
「フランスに移ったのを機に、名前を変えてる。エルンスト・ギョームに」
「対外的に偽名を使ってるのか?」
「ただ、偽名よりも厄介なことが有るの」
とアリシアは言い、アイスティーを啜って続けた。
 「マルティネス家失脚の後、メスィドール家に仕えてる。つまり、今でもダンケルクにいるのよ」 
「ダンケルクにいる……?」
「そう。マルティネス家を離れたの。今の立場は知らないけど」
 アリシアの言葉は、アルスに新たな謎を呼び起こす。
 ドイツをルーツとするなら、東部教会サイドにいた方がメリットは大きいハズだ。無論、総本部にいる
メリットを選んだからだと云うのも判る。ただ、それだけの理由ではないハズだ。
「……総司祭一家に仕えるメリットは何だ……?」
とアルスは呟く。その声を拾った赤毛の恋人は答えた。
「教団の中枢に近い場所にいられる」
 その答えは、アルスも最初から想像していた。そして、それが大凡正しいことを確信した。
「裏で牛耳る気か?」
「ヴァイスヴォルフ家は処世術に長けた一家だから、十分有り得るわね」
とアリシアは言った。その瞬間、アルスは自分の言葉に疑問を感じた。
 ……裏で牛耳る?メスィドール家を?何のために?自分の利益のためにか?
「待てよ……」
「どうしたの?」
「……後で連絡する」
と言って通話を切ったアルスの脳は、バックグラウンドで一つの可能性を組み始めていた。

 救急病院の待合室は、何処か慌ただしい。その端で俯いたままの3人は、処置室にいる4人が気懸かりだった。
「容体はどうだ?」
と問いながら近付くアルスに、最初に顔を上げたのは詩応だった。
「未だ誰も出てきていない……」
と答えると同時に、処置室のドアが開いた。その奥から出てきたブロンドヘアの男は
「……お前ら……」
と声を上げる。
 「セブ!!」
プリィはベンチから立ち上がり、愛しい弟に駆け寄る。
「プリィ……俺は無事だ……」
と言ったセブは、セバスに顔を向け
「無事そうだな」
と答える。
 その光景にアルスは安堵しながらも、しかし出てこない3人が気懸かりだった。
「……アリスはICUだ。肩を撃たれてる」
セブのフランス語に、プリィとセバスは目を見開く。その後ろでアルスは
「やはりな……」
と呟いた。祭壇前の血痕はやはりアリスのものか。
 妙に冷静なアルスに、詩応は些か不気味ささえ感じる。しかし、それは先刻浮かんだ可能性に意識を向けていたからだった。

 ヴァイスヴォルフ自身の利益のために、メスィドール家を牛耳る。
 セバスが、セブの代わりに渡日すると云うのも、総司祭から伝えられていたとすれば。フリュクティドール家に渡されたネックレスのトラッカーも、ヴァイスヴォルフが準備したとするなら。トラッカー情報を共有して追跡できる、だから何度もピンポイントで狙うことができた。
 そして、自身も日本に同行するとして総司祭を説得すれば、アリスを直接監視できる。聖女とそのオリジナルを同時に監視し、最大の秘密を手に入れる。
 目的は、その秘密で脅迫した末の巨額の現金か、次期総司祭の座か。現総司祭が指名すれば、聖女は変わらず総司祭だけ交代することが可能だからだ。
 しかし、それほど簡単な話だとは思わない。想定外の真実を突きつけるのが現実だからだ。
 アルスは溜め息をつき、無意識に呟いた。
「……鍵を握るのは……奴か……」

 アルスとの通話を終えたアリシアは、スマートフォンを机に置き、ランチを口にする。
「恋人から?」
と問うたのは雇い主だった。ブロンドヘアを三つ編みにした淑女に
「ええ。日本、何か色々大変なようで」
と言った少女に、淑女は
「でも、心配無いわよ。私のルナが一緒だもの」
と言った。
 流雫の実家が、アリシアのバイト先。オッドアイの持ち主が紹介して、アスタナがその場で採用を決めたのだ。
 小さなオフィスの一角でPCに向かうアリシアの働きぶりは、夫妻揃って評価している。
「離れていても、我が子を常に想うのが親の愛と云うものよ。それが無いようじゃ、私はルナの母を名乗ってはいけないと思うの」
と言ったアスタナを見ながら、微笑むアリシア。
 ……あの芯の強さは、この親の遺伝。納得だわ。そう思ったアリシアの脳は、しかし淑女の言葉をリフレインさせ始めた。
 ……母性的な愛を知らず、ただ教団や一家にとっての道具として扱われてきた存在。それはアリスだけじゃない。
 アリシアはサンドイッチを咥えたまま、キーボードを叩く。アドレスバーには、こう文字列が並んでいた。
 マルガレーテ・ヴァイスヴォルフ。

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