LTRP2-2「Yellow Caution」

 EXCは夜、小さな混乱を引き起こした。サービス再開から数時間後、突如専用SNSがフォーマットされたからだ。SNSはデータベースサーバの一部分で構成されているが、専用AIが巡回し、アドミニストレータAIに違反を報告しつつ、自動的に投稿を削除する流れだ。
 ゲームの運用には影響が出ていないのは幸いだった。担当はそれぞれの自宅からサーバにアクセスし、修復を試みる。
 結論から言えば、データはサーバに残っていて、単にSNS専用アプリで読み出すことができないだけだった。ただ、福岡に有るサーバからは全て消えていた。
 片方のサーバからデータが消えても、自動的にリカバリが働いて復元される。今も東京のサーバから復元したが、それだけで済んだのは幸いだった。
 アドミニストレータAIへの影響が無い時点で、椎葉が出る幕は無かった。全てのステータスが正常なのを確認し、眼鏡を外してベッドに寝そべる。全ては明日の自分に任せるだけだ。

 翌日、椎葉は山梨に向かう特急に揺られていた。ワーケーションとして近場の観光地に向かっているのだ。
 河月駅の改札を出て、タクシーに乗る椎葉。ユノディエールと指定した行き先は、人気のペンションの名だ。
 開業に尽力したフランス人の故郷のコミューン名を冠した2階建ての建物、最後に埋まった1室は完全に1人用だったが、寧ろそれが椎葉を落ち着かせる。
 部屋にはテーブルと椅子とベッド、電化製品は電気ケトルのみ。
 チェックインしてすぐ、ラップトップPCを開く椎葉。ケトルで淹れたインスタントコーヒーを啜りながら、キーボードを忙しなく叩く。昨日課題として残ったフィクスは3時間で片付いた。午前もオフィスで作業していたから、延べ6時間か。新宮が遺したシステムとの整合性も、問題無い。
 大きな溜め息をついて、背筋を伸ばす椎葉。同じ作業でも、環境が違えば進捗も変わる。
 窓の外は既に暗い。時計を見ると、そろそろディナータイムだ。椎葉はダイニングへと下りた。

 ディナーは、河月湖で養殖された淡水魚と周辺の野菜を使ったメニューだった。腹に入れられれば何でもいい、それほど普段は飲食に無頓着な椎葉も、珍しく堪能した。
 食後に選んだコーヒーを差し出すのは、シルバーヘアで中性的な顔立ちの少年。彼は軽く頭を下げると、共用リビングのテレビがニュースを報じた。トップニュースは、昨日澪が遭遇した通り魔事件の続報だった。流雫が
「アウロラさん……」
と呟く。悠陽の本名を知らないからだが、それが椎葉を突き動かす。
「アウロラ……?」
「え?」
と問い返した流雫に、椎葉は言う。
「今、君が言った……」
「あ……」
と流雫は声を上げる。
 アウロラこと悠陽は何故狙われたのか。そしてあの時、澪が何を思って戦い、自分に震える声をぶつけたのか。昨日の今日だが、未だに明らかにならない疑問に囚われていた。
 椎葉はデジタル名刺機能も持つIDカードを出し、名乗る。
「EXCのデベロッパー、エクシスの美浜だ」
「……中の人……?」
と流雫は言う。僅かに頷く椎葉は問う。
「スターク、その名前を聞いたことは?」
「何度か。一昨日、僕の目の前でアバターをキルされた……」
と答える流雫。
「その時、何か変な様子は……」
「居合わせた僕も狙われた……それぐらい……。僕がキルされ、次の日ゾンビになって……」
「ゾンビ?」
と椎葉は問う。
「かつてのユーザーの意思とは無関係に動き回るから、ゾンビ化したように見えて……」
「ゾンビとは面白い言い方だ。気に入った」
と椎葉は言い、流雫を部屋に誘った。ここから先は、PCが無ければ始まらない話だからだ。
 椎葉はドアを閉めるとベッドに座り、
「……IDは?」
と問う。椅子に流雫はスマートフォンを開いて見せ、椎葉が膝に乗せたPCに入力する。
 ……データベースから取り出した流雫のアカウント情報、そのプレイデータが画面に表示される。そのステータス枠は黄色を示し、中には赤色でA5と210の字が交代で表示されている。
「これは?」
と、流雫は向けられた画面を見ながら問う。椎葉は気になる枠に指を向ける。
 「本来は非公開だが……。黄色は、ユーザーのステータスがコーション……つまり要注意と云う意味だ。A5は、その原因としてプレイ中に問題を起こしたことを意味する。そして210は、アラートが掛かったユーザーとの接触だ。……実際、スタークはアラートが掛かっていた。奴と何を話した?」
「不可解なアバターのキル、そして復活のこと。……知りたいことが有って、その時初めてプレイした。スタークは怒り心頭だった」
と、流雫は答える。椎葉の頭で、彼のアバターが狙われた理由は瞬時に判った。
 「……つまり、君がスタークと接触し、会話したからAIがコーションだと判定した。挙動から発言まで、全てAIの判断材料になる」
「アラートのユーザーの言動には、全て否定的で敵対的な対応をしなければ、そう判定される。ましてや、初プレイでの接触はグルになるためのアカウントと捉えられかねない」
と椎葉は続け、コーション履歴を開く。
「初回数分のプレイだけでコーションが掛かるのは、余程だな。AIがスタークを敵視していたのがよく判る」
 初プレイでコーションのステータスを受けた、だから処刑され、自分のかつてのアバターと云うゾンビに襲われた。憶測でしかなかったことが、このエンジニアによって確証を得た瞬間だった。椎葉は思わず、溜め息をつく。
 A5はよく有るコーションのステータスだが、その200番台はモラルハザードと云うカテゴリ。スタークのようなプレイする関係者が有利にならないよう、エンジニアによる修正が不可能な領域だ。
 目を付けられないよう大人しいプレイを続け、何時か訪れるだろうコーション解除を待つしか無いのだ。それも全て非公開だが。
「アウロラさんは、スタークにストーキングされてると言った。そしてスタークが死んだ昨日、AIを崇める不審者に駅で襲われた。……僕の恋人が、彼女を助けて犯人を追った。EXCの内外で何が起きているのか……気になるんだ……」
そう言った流雫のオッドアイに、興味本位は見えない。
 「名前は?」
と問われ、
「流雫……」
と答える少年。ルナ、だからプレイヤーネームはルーンなのか。そう思った椎葉は次の問いをぶつける。
「何が起きているのか、追って何をしたい?」
「……平和に過ごしたい」
と流雫は答える。
 「オフ会が発端の殺人未遂、スタークの殺人、昨日の……」
「スタークの殺人……?」
椎葉は言葉を遮る。流雫の言葉が引っ掛かった。
「スタークは自殺じゃなくて殺された……そう思う」
「何故?」
 「昨日の駅の事件も、犯人はAIを崇拝するような口振り、そう聞いてる。アウロラさんは確かにAIに疑問を持っていたし、スタークもAIには批判的だった。だから飛び込み自殺に見せ掛けて粛清された……」
「AIを崇拝する?馬鹿馬鹿しい」
と椎葉は一蹴する。だが、それは彼の願望でもあった。

 時代は、謂わばAI戦国時代。猫も杓子もAIに飛び付いている。エクシスの直近の勢いもAIの恩恵によるもので、その意味ではAIを崇拝せざるを得ない。ただ、その程度であってほしかった。
 EXCのアドミニストレータAI、その生みの親として政治的、宗教的な思念が微塵でも絡むことを望まない。
「……だが、現にそう云う奴がいると云うのも事実か」
と続ける椎葉に、流雫は言った。
「だから、EXCで起きる一連の真相を暴くことで、リアルで平和に過ごせるなら……」
 ……この少年はバカだ。椎葉は眼鏡越しに映る流雫に、そう思った。捜査ツールとして見ている時点で、どうかしている。
 1人だろうとパーティだろうと、誰もが楽しめるのが本来のゲームのハズだ。戦う以上は誰もが勝ちたいと思うが、バトルの結果は一区切りを付けるためのものに過ぎない。EXC担当になった椎葉は、それまで全くの無縁だったゲームの存在意義をそう見出していた。
 遊ぶためではなく、事件を追うためだけにログインしていると云うのは、その意味では不可解でしかない。
 だがゲームが、EXCが殺人事件の引き金になっているのも事実。スターク……新宮は殺された、その見方では流雫と椎葉は合致する。自分が携わるコンテンツへのアプローチ動機は邪道でバカだと思うが、だからと蔑むことはできない。
 「……アバターのロストでステータスが変わることは……」
と流雫は問う。しかし、椎葉は明確に否定する。
「本来は変わる。だがこのカテゴリだけは変わらない」
 「ロストすると、再生成時に新たな武器や所持金が得られる。その多寡は統計によって増減するが、モラルハザード扱いのユーザーには常に不利になるよう、プログラミングされている」
「そもそも、エグゼキュータ……処刑のためのエネミーを投入された時点で、ロックオンされたアカウントが勝つ術は無い。オペレータAIやゲームサーバは、そうプログラミングされているんだ」
「確かに軽微なコーションならば、ロストを繰り返すことで救済される。ただ、モラルハザードは最初からアバターをキルされることが決定している。その予定調和に対しての救済は禁止、それがEXCの仕様指示に上がっている」
と続けた椎葉は、コーヒーを啜る。流雫がサイフォンで淹れたものは、少し苦味が強いが好きな味の系統だ。

 ……どうやってもコーション解除は有り得ない。ならば、アルスからも釘を刺されたがロストを繰り返せば……、と思ったが、それは叶わないことを流雫は思い知らされる。
 もし叶ったとしても、澪が認めない。犯罪行為に手を染めない限り、澪は何が有っても流雫の味方。EXCでも、それは変わらない。だから一昨日のようなロストを認められない。
 だが、自分といれば澪までコーションが掛かるハズだ。詩応やアウロラまで伝染していく可能性すら有る。
 アカウント上の安全か、EXCでの旅を楽しむためか。澪のためを軸とした最適解が流雫には見えない。EXCがゲームの世界だからこそ、陥っている。
 「そっか……」
とだけ言った流雫に、椎葉は釘を刺す。
「アバターの使い捨ては感心しないな」
「判ってはいるけど……」
と流雫は言う。そもそも、エグゼキュータに勝てないことが決まっている時点で、事実上の使い捨てだが。

 アバターは使い捨て、そのプレイスタイルは邪道としか言いようが無い。だが置かれている立場からすれば、流石に同情を禁じ得ない。
 それに、新宮がアウロラに目を付けていたことは、ストーキングと云う言葉で少なからず知っている。その点は有利に働くだろう。
 椎葉は数十秒置いて、思ったことを口にした。
「……君のアカウントをチートにすることはできないが、力を貸すことはできる」
「力を貸す?」
と訝る流雫。突然そう言われるとは予想外だったからだ。どんな裏が有るのか。
 少し警戒するような目付きになるオッドアイを見つめ、頷く椎葉。そして言った。
「アウロラと名乗るユーザーは俺も知っている。スタークが目を付けていたのもな。ただあいつは、寧ろアウロラを助けようと思っていた」

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