LyPR 01
「これでゲット、と」
ネイビーのブレザーを纏った少年は呟き、目の前のポスターに向けたスマートフォンに満足げな表情を浮かべる。烏羽色のショートヘアが目印の少年、その隣に同じ服装の少年が近寄り
「遥」
と名を呼ぶ。
「何してるんだ?」
「今日から配布なんだよ、NFTラリー」
と遥と呼ばれた少年は答える。有明遥。都内の私立高校2年生。今日は午前中で授業が終わった。
NFTラリー。今日から始まった通学に使う大手私鉄のイベントで、駅の改札前に貼られたポスターのコードからNFTを集めると云うものだ。スタンプラリーの進化版と言える。
NFT、それは非代替性トークンの略。デジタルグッズやコンテンツに、所有権を示す特別な証明書がセットされたものだと思えば早い。最初から発行数を限定してあるため、それ自体が少なからず価値を持つのだ。そして、ユーザ間での売買も専用サイトを仲介すれば可能だ。
「まあ、無料NFTは所有権こそ有れど事実上無限だから、今のところ価値は無いけどな」
と遥は言ったが、その眼前にいるブラウンヘアの少年には聞き覚えが有った。
「確か、FSCにも……」
「最近流行りのアレか。アレ自身、ブロックチェーンを軸としてるからな。採用するどころか中核だ」
と遥は言った。
半年前にリリースした国内最大のVRMMO、ファンタジック・スケープ・チェーン。略称FSC。高性能化とコストダウンを両立させたチップセットを核とする、NGSと呼ばれるシステムを搭載したVRデバイス専用。今では海外5ヶ国でも配信されている。
最大の特徴は、チェーンの名が示す通り、ブロックチェーンを採用していること。だから厳密には、VRMMO形式のブロックチェーンゲームだ。
様々な情報を格納したブロック、その情報を更新する度に、新しいブロックが古いブロックに連結される。これが繰り返されることで、ブロックが1本のチェーンのように連なる。これがブロックチェーンだ。全ての取引履歴も記録され、改竄が非常に困難で、極めて高い安全性を誇る。
「部活のノートに似てる」
と遙は言う。途中のページを書き換えれば、前後が通じなくなるのと同じだ。
「しかし、暗号資産を結び付けたVRMMOは世界初だからな」
ゲーム内で入手した宝石を、FSCトークンと云う仮想通貨に交換し、他の仮想通貨や円やドルに交換することができる。そのためには、ウォレットと呼ばれる仮想通貨専用のデジタル財布を登録しなければならないが、誰でも簡単に登録できる。
遊びながら稼ぐ、それは若者を中心に新たな小遣い稼ぎの手段としてブームとなった。
「ただ、ゲームバランスは崩れてる」
と言いながら、遥の隣に並ぶ女子。2人と似たような制服を着ている。ダークブラウンのポニーテールが特徴的だ。
「どうせこうなることは目に見えてた。ゲームは遊びじゃない。稼ぐ手段だから。……だろ?」
と遙は言った。
トークンが取引所に上場したことを機に、ゲーム内の宝石の流通が活発化した。今までゲームを一切プレイした事が無いプレイヤーが、大量に参入してきたからだ。しかし、その3割は投機目的だ。
取引所で購入したトークンを宝石に交換することが可能で、それはゲームを有利にするための原資になる。つまり、リアルマネーを武器にFSCで成り上がり、やがて原資以上の仮想通貨を手に入れる。
「どっかのインフルエンサーがそう言ったから大変なことになった」
と言った少女を
「明日凪が言いたいことは判る。まあ、何らかの是正は入るだろ」
と遥は宥めた。
明日凪と呼ばれた少女は、天宮明日凪。隣のクラスにいる。遥の恋人だ。
「ただ、昨日のレイド戦は面白かったけど」
と明日凪は言った。
珍しく平日の夜に行われたレイド戦。週末にイベントを控えているから、その前哨戦と云う位置付けだったが、レベルは低めに設定されていた。
名前のスペルを一文字変えたアバター、アシュラは紅いケープを翻して襲い掛かる敵のNPCを手早く蹴散らし、労せずリワードを獲得し、レベルアップした。
「レイド戦か……僕はいいや、初心者には向かない」
と、ブラウンヘアの少年は呟く。
「環、どうした?」
遥が問う。環と呼ばれた雛瀬環は、少し気まずい表情で答えた。
「昨日キルされた」
初めてのレイド戦は、環にとっては苦いものだった。レイド戦でキルされることは確率的には低いものの、有り得ないことではない。そして、環のアバターであるオーブは、今回唯一キルされた。
レイド戦で宛がわれるNPCは、ユーザのレベルによってカテゴリー分けされる。オーブは16有るカテゴリーのうち最低のD4だが、本来は少し頑張れば簡単に撃破できるように設定されていた。低いクラスでもレイド戦勝利と云う成功体験を与え、ゲームエクスペリエンスを向上させたい、ベンダー側の思惑だった。
ところが、他のユーザと同じように攻撃しても、オーブだけは与えられるダメージがそれらの3パーセントだけだった。一方で受けるダメージは大きく、呆気なくキルされた。当然、リワードは無い。
所有するアイテムは手元に残ってはいるものの、環はそのままログアウトした。キルされるのはこの1ヶ月で12回目。しかし、前回のキルから少しでも強くなっていると云う感覚は一切無い。経験値の増え方も遅く、最弱のままだ。
ただ、それは暗号資産を持たないからだ、と環は思っている。持つ者と持たざる者の差か。
「遊びじゃないとは云っても、所詮はゲームだ。お前のやり方で遊んでいればいいんだよ」
と遥は言う。その隣では明日凪がロングヘアの少女と少し話している。
「誰だっけ?」
と環が問うと、遥は答えた。
「隣のクラスの新星だよ」
新星悠奈。清楚感漂う優等生と云う印象だが、それだけだ。環も遥も話したことは無いが、そもそも明日凪以外と話している光景を目にしたことが無い。
「……遥はそう言うけど、FSCには向いてないよ。全然レベルも上げられないから、昨日も歯が立たなかった」
と言った環に、悠奈が顔を向ける。
「……昨日……?」
その問いに、環は頷く。
「レイド戦で……キルされて……」
「……見てたわ」
意外な言葉に、環は目を見開く。
……オーブとして戦う環は、体力を削られていく中で、一度だけ目が合った。シルバーのロングヘアを揺らす、シルバーとブルーの女戦士……。
誰もが眼前の敵に夢中になる中で、何故か自分と目を合わせた。その直後、環の視界をゲームオーバーの赤字が覆った。
……無様な瞬間を見せた、と環は思っている。
「……少し話をしたいの」
と悠奈は問う。遥と明日凪は顔を見合わせ
「珍しい……」
と口を揃える。特に明日凪はよく知っているが、悠奈は明日凪以外と話さない。誰も彼女に近寄らないのだ。疎外感を受けている中で、明日凪だけが彼女の味方だ。
その悠奈が、しかも異性の環と。接点がFSCのレイド戦とは云え、珍しいことだ。
近くのファストフード屋に入った4人は、混み合う店内で二手に分かれて座る。とは云え隣同士だ。
「今更だけど、私は新星よ」
「雛瀬。よろしく……」
とだけ言葉を交わす2人。そして悠奈は
「ステータスチェックの画面を見せて」
と言い、環はそれに従った。
プレイにはVRデバイスが必要だが、保有する暗号資産の取引にはスマートフォンやPCが必要になる。その延長で、ステータスチェックもVRデバイスを必要としない。
「……異常だわ」
と悠奈は、一通りオーブのステータスを見た後で言った。
他人と交流もせず、ただクエストをプレイするだけの環。その戦績からして30以上は有るハズのオーブのレベルは9。一方で敵のランクは、レベル30で解放される4階級上のC4だ。つまり、敵のレベルだけが正常に上がっている。
1階級上のランクの敵と戦うことは時々有るが、4階級差は有り得ない。そして、4階級差の勝率はゼロパーセント。絶対勝てない敵を宛がわれているようなものだ。
「ここ数日、毎日キルされてる。これほど難しいとはね」
と言った環に、悠奈は言った。
「……これ、逆チート状態に陥ってるの」
「……え?」
と環は思わず声を上げる。逆チート、それはNPCの敵がチートと云う意味だ。
「戦績に連動して敵のレベルは上がってる。でも、オーブのレベルだけが置き去りになってる。それどころか、経験値すら上がっていないわ」
「どう云うこと?」
「判らない。私も、こう云うの初めてだから」
と悠奈は言う。バグとしては大きいが、次の強制アップデートで修正されるとは思う。だが、環が言うには、1ヶ月以上常にクエストに苦戦する状態が続いている。
「経験値やレベルが上がっていないのは判らなかった。何故か勝てない、としか思ってなくて」
と言った環に、悠奈は呆れるばかりだ。経験値やレベルも気にせずプレイするユーザがいるとは、思わなかったからだ。
何一つ判らないまま、画面から目を逸らした悠奈は、最後に一つ気になるものを見つけた。
「真実の剣?」
「え?」
「NFT配布……レアアイテムよ、それ」
と悠奈は言う。
FSCの大きな特徴の一つ、それはレアアイテムがNFTで配布されていることだ。コモン、アンコモン、スペシャルティ、レジェンダリーの4種類が有る。レア度が高い程ドロップ率は低いが、その分得られるメリットが大きい。
入手したNFTは自動的にウォレットに保存され、ウォレットにアクセスして有効化することでレアアイテムとして初めて機能する。
環は1ヶ月前、クエスト中に偶然手に入れた。敵がドロップしたボックスを開けると、真実の剣だった。
しかし、NFTだから珍しいとは思っていたが、それが何かは知らなかった。そして何も知らないまま、アクティベートした。
「真実の剣はスペシャルティ、だからオーブのランクからすればチート級の威力を誇るハズ。なのに、1階級上の敵にすら苦戦する……」
と首を傾げる悠奈に、環は
「装備しても適用ランク外だったりして」
と言う。
「それは無いわ。レジェンダリー以外は全てのユーザ共通だもの」
と否定する。
「ただ、オーブの場合はNFTが規定の効力を発揮していないし、そもそもレベル設定にバグが出てる。サポートに問い合わせるしかないかも」
と悠奈が言うと、環は言った。
「……NFT、外してみる。NFTをリンクさせた頃から、敵が強くなっていって、頻繁にキルされるようになったのもこの頃からなんだ」
環はウォレットにアクセスし、NFTを解除する。アクティベート以外をスマートフォンからできるのは、NFT売買を前提とした仕様だからだ。
「ただでさえ弱いから、NFTのゲインが無くても変わらない」
と言い、環はNFTを解除する。NFTのステータスが変わった後で、ステータスチェックに戻る。しかし。
「……消えた」
と無意識に口にする環。
「え?」
「オーブが消えた……」
オーブの上に、赤字で大きくロストと表示されている。履歴を閲覧することすらできない。
「……どう云うこと……!?」
悠奈は思わず口にする。
真実の剣のNFTを解除する、環がこの僅かな時間にしたのはそれだけだ。その間に何が起きた?
意外なことに、悠奈の方が驚いている。環はFSCに思い入れが有るワケではなく、アバターも再生成すればいいと思っている。大したアイテムもゲーム内通貨も無かったし、リセットしただけだと思えば早い。
そもそも環は、ゲームで仮想通貨を稼ぐことは微塵も思っていなかった。ただSNSのキャンペーンで手に入れたVRデバイスを使うために、基本プレイ無料のゲームとしてFSCをインストールしたに過ぎない。
ただ、仮にこれで悠奈が指摘する異常が是正されるなら……と思った環は、FSCについての通知に気付いた。画面をタップすると、そこにはこう表示されていた。
「パラメータ異常が不正行為と判断されたため、アバター抹消と未変換通貨の没収措置を執った」
「……アカウント抹消の次に重罪じゃない……!」
悠奈は声を上げる。その隣で、環は引っ掛かっていた。
……NFTを解除したことで逆チートは是正された。だが、逆チートでもパラメータ異常に変わりは無く、AIは不正と判断した。本来は公式にチート級の強さをもたらすハズが、真逆に働いた。
悠奈の説明が全て正しいなら、自分が拾った真実の剣のNFTは何なのか。NFTそのものにバグが有ったのか、真実の剣を名乗る別の何かなのか。
ウォレットに、真実の剣は残っている。ただ、アバターとのリンクは解除されているから、あのような事態は防げるハズだ。
「……私と組まない?」
と悠奈は言う。
「……いいよ」
と環は返した。
「再開する気にはならないし、組んだところでレベルが違い過ぎる。このままじゃ、新星さんの足手纏いになるだけだ」
誘いを拒否する言葉に、悠奈は
「私がサポートするわ。レベルもすぐに上がるわよ?」
と被せる。
悠奈のアバター、エトワールのカテゴリーは中級扱いのB2。強い敵は悠奈が弱体化させて環がトドメを刺すことで、効率よく経験値を重ねていく。悠奈がレベル差を足手纏いと思わない限り、これほど美味い話は無い。
しかし、環にとってはそうではなかった。アバター抹消の瞬間、一瞬でFSCへの熱が冷めた。思えば、偶然入手したVRデバイスを持て余さないためにプレイしていたようなものだ。
だが、今は悠奈の誘いに乗るしかない。彼女がレイド戦でのオーブの挙動が気になったことが、全ての始まりだろうが、今は真実の剣が気になるハズだ。そのNFTは安全を鑑みれば、自分が持っているべきだ。
……共闘するのは、悠奈が真実の剣の真相を暴くため、それだけだ。そう言い聞かせ、環は
「不定期でいいなら」
と言った。
アバターが消えた、隣のテーブル席から聞こえてくるその言葉を訝る恋人同士。
「……悠奈がパーティーを組む……?」
「しかも環と……?」
2人にとっては不可解にすら映る光景。だが、明日凪にとっては少し微笑ましい。彼女にとっては2人目の、話せる相手になるからだ。
環は遥より頼り無げだが、悪い奴ではないことだけは言える。そう思う明日凪の前で、遥は環が言っていたNFTが気になっていた。
逆チートの付与による弱体化、そのトラップを置くのは流通可能なNFTである必要は無い。そして、もし逆チートによるパラメータ異常を不正認定するまでが、1セットだとすれば。
……NFTもデジタルで構成されるものだが、ウォレットやアプリに起因する予期せぬバグとは思えない。単なるバグなら、本来のゲインを得られない程度で、装備して逆に弱くなることは有り得ないからだ。
「……明日凪はNFT、何か持ってるのか?」
と遥は問う。明日凪は自分のステータス画面を見せて
「真実の剣だけ」
と答えた。高難易度のクエストで偶然手に入れた。
「これが有るから、簡単に倒せる」
その言葉を聞きながら、環はステータスに目を通す。
確かにアシュラは、スペシャルティなNFTの恩恵を正しく受けていた。最近の彼女の強さの源だ。それだけに、環が被った逆チートは不可解だった。
恋人のアバターのステータスを眺めていた遥は、一つの可能性に辿り着く。
「偽造か……?」
明日凪は、そう呟く恋人の言葉に、眉間に皺を寄せる。
NFTは、個人でも作成してマーケットに出品することが可能だ。適当なNFTに、真実の剣と名づけて売ることができる。
だが、FSC内にアップロードすることはできない。チート武器の裏取引が盛んになった場合、ゲームバランスが崩壊するからだ。それ故にFSC公式のNFTだけが、ゲームフィールド上で出回っている。
……偽造ではないか、と遥は思った。しかし、公式だったとしても、それはそれで引っ掛かる。
「環が真実の剣を拾った。ただイミテーションだった。誰が置いた?」
「ディープクリプトが仕掛けたとでも?」
と明日凪は問う。遥は答えた。
「有り得ないとは思うが……」
ディープクリプト。仮想通貨の取引所からスタートした後、中堅ゲーム会社を買収してFSCをリリースしたブロックチェーン関連企業。後発で規模は大きくないが、世界のゲームチェンジャーランキングの4位に入っている注目株だ。
……何故、無価値としか思えないトラップをNFTとして組んだのか。ゲームエクスペリエンスを高めるためとは思えない。
「はあ……」
遥は溜め息をつき、残ったアイスティーを吸った。
……面倒なことにならなければいいが、と願うばかりだ。尤も、そう云う時は望まない、悪い方向に転がるものだと判ってはいるが。
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