LTRR5-7「Heartless Farewell」

 「伏見さん、アッリ!」
イヤフォン越しの恋人の声に、思わず口角を上げた澪。
 かつての恋人や姉……大切にしたかった人を殺された、その悲しみと憎しみを抱える2人だからこそ、生きたい、生きていてほしいと思うのは誰よりも強い。だからテロなんかに、殺されるワケがない。
 その女子高生に追われる唐津には、3人が悪魔にしか見えない。だから正義の力で討伐し、久遠の勝利を手にするだけだ。
 3倍近い年齢差の男を追う少女は、その距離が少しずつながら詰まっていくのが判る。ただ、銃を持っている。
 ふと、男の挙動が変わった。澪は勢いを殺さない。……振り向くその身体の端に、銃身が見えた。
「!」
火薬が爆ぜ、女子高生の右を飛ぶ銃弾。
「5……」
澪は呟く。しかし次は来ない。
 中年の総司祭は、撃ったのはいいが反動で腕が跳ね上がり、戻すのに必死だった。生まれて初めて銃を撃ったが、これほどに大変だったとは。しかし、悪魔を止めるなら5発以内に仕留めるしかない。
 再度銃口を向け、引き金を引く唐津。澪は体勢も表情も変えず、
「4……」
とだけ声に出す。
 見境無く撃っても、ビギナーズラックが通じるのが銃撃。そして、それが何よりも怖い。……だから、後は運に任せるだけ……。
「はぁっ……はぁっ……」
と息を切らす少女は、更に唐津との距離を縮める。
 後ろを振り返る一瞬すら惜しいが、それはイヤフォンが役目を果たす。
「流雫……詩応さん……」
澪はその名を呟いた。

 2人合わせて、手持ちの弾は12発。しかし、高校生の男女は多勢に無勢とは思っていない。
「流雫……?」
「伏見さんは右、僕は左に行く」
その言葉を合図に、二手に分かれた。……3人が流雫を追う。残る1人は、ショートカットの少女を追った。
 1対1……アタシならどうにかなる。そう思った詩応は、後ろを一瞥した。脚力で撹乱させ、動きのミスを狙い、その隙を突く。流雫と澪の戦い方を見て、自分もそれが合うと思った。
 ……行ける。詩応は一気に方向を変えた。その一瞬の減速を逃さなかった男は、銃口を向ける。しかし、腕を左右に振るよりも速い動きに、男はついていけない。
 左から重い銃声が聞こえる。しかしターゲットは動じない。そして、反動は大きいが、コントロールできている。だから1発のインターバルが短い。
 目下の不安は、残された少年だった。分かれたものの、相手は3人。彼の戦い方なら1発も外すことはできない。そして、全員を仕留めたと同時に弾切れになる。パルクールができるとは云え、銃相手に丸腰で挑むのは危険だ。
 早く仕留め、流雫と合流してサポートに回る。そう決めた詩応は、男を睨み付ける。
「詩愛姉……見てて」
そう呟くと、グリップを握る手に力が入った。
 左足を軸に、その場でコンパスのように90度ターン、その動きに任せつつ銃身を上げた。流雫や澪よりは大きい銃口が、スーツを着た男の太腿を捉える。その瞬間、怪我の後遺症で震える指が動いた。
 リズミカルな銃声が3発、と同時に、男の身体のバランスが崩れ、同時にスラックスに雨粒とは違う色のシミが滲む。
 膝を突いて震える男を警戒する、しかし銃を手放して四つん這いになると、立ち上がれなくなった。銃を手にしたとしても、追ってくることはできないだろう。
 自分の戦いは終わったが、もう1人は後ろを見る限り、苦戦しているように見える。
「……流雫……!」
呟くような彼女の声は、少年の耳に届いていない。通話中のスマートフォンに、着信が重なったからだ。

 全員が自分を狙えば、詩応がフリーになって澪に早く合流できる。1対4、圧倒的不利は避けられなかったが、そうなってほしい……その目論見は、見事に外れた。
 上下の動きには長けているが、それも障害物が有ってこそ。それが少ないこのエリアで、どう動けばいいのか。流雫はそう思ったが、答えは数秒で出た。
 制服のワイシャツが透け、下のシャツのロゴが浮かぶ。……フランスの誇り、それが流雫を立ち上がらせている。
 高校に入るまで疎まれてきた、元々フランス国籍であること。日本人らしくない見た目をしていること。しかし、それは昔から変わらない彼自身の誇りだった。
 そして、今はアルスやアリシアも彼に期待している。祖国の2人の想いも抱え、戦っている。世界一大好きなトリコロールをモチーフにしたシャツは、流雫にそう感じさせた。
 男たちが銃口を向ける。しかし流雫は、全く動じない。その場で180度ターンすると、スキップするように後退りし、一瞬だけ間を詰めさせる。
 薬莢に詰める火薬を増やした、それは威力を強めた反面、火薬が爆発した反動も大きい。弾倉を延長しているとは云え、リズミカルに続けては撃てない。そして、何本弾倉を持っているかは判らないが、弾を使い切るより腕が限界に達する方が早い。
 だが、それまで逃げ切れる……とは思っていない。3人いるからだ。
 後ろ向きのスキップ、その着地と同時に今度は敵の方向へと走り出す。距離が一気に縮まり、そして手首の骨に銃身の角を叩き付けた。
「ぎぃ……っ!!」
と呻く1人。銃を持ったまま、骨が砕けた手首を押さえて構えようとする。しかし、遅い。男の後ろで踵を返し、右肩に向けた銃の引き金を引いた。
 肩透かしのような小さい銃声2発、その弾丸は肩に埋まる。
「ぐっ……あ……!!」
力が入らない手から滑り落ちた銃を拾えない持ち主は、痛みに屈してその場に崩れる。……残り2人。

 久々の東京に少し戸惑う少女は、日本最大の展示場の最寄り駅に乗り付けたバスを降りると同時に、軒下に走った。雨が降るとは思っていなかった。
 バスだと遠回りだったが、鉄道が全滅と云う異常事態だから仕方ない。……その原因を耳にすると、全滅なのも納得せざるを得ない。ただ、到底容赦されるものではないが。
 恋人には、東京に行くとは一言も言っていない。必死で止められるのは判っていたし、朝が早いからそれよりも寝たかった。それでも、高速バスでも降りる1時間前までは寝ていたが。
 ただ、行かなければならない、と云う使命感だけが、恋人のスマートフォンを鳴らそうとする彼女を突き動かしていた。だから昨日の夕方、地元の教会の帰りに慌てて高速バスの乗車券を手に入れたのだ。
 バックパックの奥底には、レザーホルダーに収まった真新しいガンメタリックの小さな銃。貯めていた金を使い果たしたが、銃と云う必要悪の守り神がどうしても必要だった。
 そして財布には、昨日の日付が載った資格証。このための講習を予約していたから、本来東京に行く予定を組めなかった。
 ポニーテールが特徴的な顔写真の隣に記された名前は、鶴舞真。

 まさかの反撃パターンに、少年に銃を向けようとした2人は怯んだ。この動きを想定していなかった上に、銃声が聞こえなかったからだ。しかし、その怯んだ隙が明暗を分ける。
 再度、流雫の身体に銃身を向けようとする2人。だが、オッドアイの瞳で睨む少年のステップの方が速い。
 蹲る男の頭上を、膝を曲げて跳び越えた流雫は、着地点のすぐ先に転がっていた銃身を蹴って自分の銃を構える。利き手の左手に収まるグリップに力を入れ、太腿を狙った。
 小口径で威力が弱い反面反動が小さく、制御もしやすい。どうにかなる……と思いたい。
 規則的な銃声が2発、続けて鳴った。
 3人の真ん中にいた男は、シルバーヘアの標的の銃口が自分に向いたことまでは判った。しかし、次の瞬間太腿に激痛が走った。
 低い声で悶えながら、破れたスラックスの上を押さえる……。銃は手放さないものの、再度銃口を向けるだけの力は入れられない。
 残りは1人。残りの弾は2発。使い果たして、後は伏見さんに澪を頼む、それが現実的……そう思った流雫の耳に
「流雫!」
と響いた。イヤフォン越しではなく、ダイレクトに。そして、ボーイッシュの少女が走ってくるのが見える。
 「伏見さん!?」
思わず声を裏返した流雫の前で止まった詩応は、敵を睨みながら
「アンタは澪を!」
と言った。
 その言葉に、少し戸惑う流雫。彼女の方が少しばかり先行していたのに、戻ってくるとは……。
「でも……!」
そう言った流雫の言葉を、詩応は遮る。
「真が来る。今知った」
「鶴舞さん……?」
流雫は言った。ほぼ話したことが無いが、詩応がいるなら心配は無い……のか?
 「アタシは真をサポートする」
と言った詩応は、少しだけ優しい目付きを流雫に向けて続けた。
「澪の隣は、アンタだけのポジションだ。2人ならやれる」
……一時とは云え、置き去りにする詩応が気になる。だが、彼女は自分に澪を託そうとしていた。詩応が、それが最善だと思っているなら、そうするだけのこと。自分はどうにでも動けるからだ。
「……伏見さん、サンキュ」
とだけ言い、足下の薬莢を拾うと地面を力強く蹴った。

 何故か、少年の背中が1年前までの自分とリンクするのを詩応は感じた。
 ……姉もこう云う風に、決戦の舞台……400メートルトラックへ走り出す自分を見ていたのか。そう思った詩応は、残る1人に身体を向けながら、マイク越しに恋人に問うた。
「……真、今何処?」
 「東京テレポート……?」
と遠目に駅の看板を見て答えた真だったが、すぐに
「どきんしゃあっ!!」
と声を張り上げた。避難と同時に安全地帯でギャラリーと化した連中を、掻き分けようとしているのか。
 「……其処の歩道橋から、高速を越えて!後は左!海側を!」
と詩応は言った。何度か訪れる中で、簡単な位置関係と動線だけは覚えていた。半分は遊びではないのだが、皮肉と云うか何と云うか。
 その間も、詩応は自分の目鼻の先から意識を逸らさない。しかし、反撃の危険は少なそうだ。少しだけ安心した少女は銃を強く握り、後ろに小さなステップを刻む。銃を握った男の手が動き、銃口がスポーティーな少女を捉えようとする。
 デニムのホットパンツとオレンジのシャツが雨に濡れ、引き締まった肌に張り付き、僅かに重みを感じる。しかし気にする暇は無い。詩応はその手の動きを見ながら、左に身体を振った。男は、その反応が遅れた。咄嗟の変化に弱いのか……?
 「それなら……」
そう呟いた少女は立ち止まり、ショートカットに乗る雨を一度だけ乱雑に払い落とす。その間に、男の銃口が標的に向いた。
「はっ!!」
詩応は更に左に回る。男は、右足を軸に身体を捻りながら引き金を引いた。
 大きい銃声が、雨の音を掻き分ける。しかし、ボーイッシュの少女から1人分ずれて飛んでいく。そして窮地に陥ったのはスーツを着た男の方だった。
 身体を捻りながらの不安定な体勢で撃った反動で、バランスを完全に崩した男は
「うわっ!」
と声を上げながら、背中と尻で水飛沫を跳ね上げる。そして致命的なことに、銃を手放した。
 その瞬間を逃すことなく駆け寄る詩応は、
「これで私設軍隊か……」
と呆れながらも、片膝と片手で両足を思いっきり開かせ、足の付け根に銃身を突き立てた。男の顔は引き攣り、怯えた声しか出ない。
 ……見た目からして、日本人らしくない。先刻澪が言い放ち、以前流雫も言っていた不法難民と云う名の駒か……?
「……!」
詩応は震える手で引き金を引いた。怯えた表情に撃つのは忍びないが、狙われた以上は正当防衛だし、あくまでも動きを封じて攻撃できなくするだけだ。
 乾いた銃声が、一度だけ雨音を切り裂く。
「がっぁ……っ!!」
太腿を押さえ、身体を捩って悶絶する男を尻目に、詩応は2人の背中を追うことにした。

 アリシアを一度部屋から追い出し、着替えるアルスのスマートフォンが鳴った。
「シャルル・ド・ゴールでテロ未遂、日本人含む3人逮捕」
と云うフランス語の見出しに、ブロンドヘアの少年は腕時計を手にしながら画面をタップする。
 ……空港の第2ターミナルで、日本人1人とアジア人2人が逮捕された。持ち物からは、12本のガラス製のスピッツが見つかった。大小2本が1セットで、大きい方の中に小さい方を入れ、両方に液体が封入されている。
 検査の結果、互いに混ぜることで塩素ガスが発生する物質だと判明した。
 2種類の前駆体を分けた状態で持ち運び、犯行の瞬間に叩き割ることで混合させ毒ガスを発生させる、所謂バイナリー兵器の簡易版。毒ガスそのものを持ち運ぶより簡単で、新宿駅で起きた塩素ガス事件も、或る意味同じ。
 ……一種の牽制か。そう思ったアルスは部屋を出る。
 「Sont-ils stupides ?(バカなのかな?)」
階下のリビングでプリュヴィオーズ家の家族に混ざってテレビを見ていたアリシアは、そう呟いた。アルスは後ろから答える。
「C'est vrai. C'est pour cela qu'ils ont monté le dossier.(バカだろ。だから起こした)」
「Exactement ?(正しくは?)」
「Ils sont stupides lorsqu'ils font de ces trois-là des ennemis.(あの3人を敵に回した時点でバカなんだよ)」
そう恋人に答えたアルスに、アリシアは
「C'est tout à fait toi.(アルスらしいわ)」
と答えて家族が出した紅茶を飲み干し、
「Allons-y.(行く?)」
と言って立ち上がった。

 ペデストリアンデッキの端は、地上に行ける階段の上をループ状に通っている。息を切らしながら、女子高生から逃走する唐津は地上に回ろうとしたが、雨でスリップして、尻餅をついた。
「いたたた……!」
その隙に距離を縮める澪は、少しだけ離れたまま、立ち上がる男を睨む。銃を手放していないのは判っていたから、近寄って返り討ちに遭うことを避けた。
 「愛国を求めるのに、愛すべき国でテロを起こす……クレイガドルアも呆れてるわ!!」
そう声を張り上げた刑事の娘を、日本の王を手放しそうになる男は睨み返す。
「お前らにとっては悪魔だが、俺にとっては正義だ」
「それが正義なら、あたしは悪魔を護る!!」
そう叫んだ澪の目は、流雫でさえも目の当たりにしたことが無いほどの怒りに満ちていた。
 ……思想を隠れ蓑にした、私利私欲に塗れたテロ。そのために、どれだけ流雫や詩応が苦しみ、泣き叫んできたか……。
 そして、流雫はあたしにとっての悪魔。死の後、この手を掴んで二度と放さない、そう……例えるならメフィストフェレスのような存在。ゲーテの有名な作品で、ファウストに対して献身的なのは、彼があの台詞を唱えるまで死なないように、と云う思いから。
 そう解釈すれば、あたしはメフィストフェレスに、流雫に魂を捧げるためにも、テロなんかで死ねない。それが、死の恐怖さえも寄せ付けない澪の今の原動力。
 「正義が勝つ!それが歴史の必然だ!!」
そう言い放った唐津は、銃を構える。しかし、澪は怯まない。
 銃声、しかし目障りな女は倒れない。
「3……」
澪の呟きは、イヤフォンを通じて流雫の耳にも入る。残り3発……。しかし、3発も残っている。それに、唐津も残弾数ぐらい把握しているだろう。
 そして、流雫は勝機を絶対的なものとした。澪は知らないが、真がこの場所に駆け付けている。もし残りの3発で3人が倒れても、1人は残る。尤も、4人全員が生き残らなければ、意味が無いのだが。
 「くそ……!!」
大きな反動に振られた腕を、舌打ちしながら戻した唐津は再び銃を澪に向ける。
 「澪……鶴舞さんがこっちに向かってる」
流雫は言った。
「え!?」
澪は、小さくも驚きの声を上げる。そして表情には呆れが滲み、最後は微かに微笑む。
 それは唐津に、不敵な笑みをもたらした。反撃を諦めたから、口角を上げたか。ならば、最初から抵抗しなければいいものを……。愚かな連中だ。
 そう思った男の、やや視力が落ちた目に追っ手が映る。雨に煙るペデストリアンデッキを、シルバーヘアの少年が走ってきているのだ。目の前の女を人質にすれば、男の戦意を削ぐことができる。そうすれば、残り1人の女など怖くない。
 大きくなる悪魔に向けて、唐津は引き金を引く。わざと3人分左に外したが、澪は
「流雫!!」
と、後ろを振り返りながら叫んだ。
「澪!!」
流雫は声を上げ、思いっきりタイルを踏む。そして銃を取り出し、銃口を……澪の胸に突き付けた。その延長線上には心臓。
 「え……?」
少女の顔を、驚きが支配する。その奥では唐津も
「……!?」
と、何が起きているか判らない困惑の表情を浮かべる。
 「る……流雫……!?」
目を見開いた澪は、恋人の名を震える声で呼ぶ。困惑と恐怖。……最愛の少年に殺される……?
「どうして……流雫……?」
小刻みに震える瞳と瞼、その視界が一気に滲んでいく。
「裏切りの女神、その血が目覚めた……。……なんてね」
その言葉に、澪は思わず銃を落とす。……何のために、戦っていたのか……何も判らなくなる。しかし、もう抗うことはできない。足掻けない。
「僕は澪に出逢えて幸せだった。楽しかったよ。……サンキュ、澪」
その処刑宣告は、少女の背後の男にも聞こえていた。オッドアイの少年の裏切りに、薄汚い目付きで静かに笑っている。
 「……」
少年の口が動き、そして……澪が
「やだ……、……やだあぁぁぁぁぁぁっ!!」
と力の限り叫んだ瞬間、飛んだ薬莢が2人の足下に落ちる。3秒だけ置いて、セーラー服に包まれた身体は膝から崩れ、愛した少年の足に縋り付くように地面に倒れた。
 ……正義の傀儡を見下した後で、流雫は凜々しい目付きを総司祭に向けた。


次回 https://note.com/lunatictears/n/n92696d590a91

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