LTRA2-12「Dancing Blue」

 アリスに背を向けて立ち上がった澪と、扉の近くに立つ流雫。その2人に挟まれる形の男は3人。揃って着ているネイビーのスーツは、太陽騎士団の制服のようなものだ。
 アリスがクローンだと知っていたから、撃った。敬虔な信者としての正義が暴走したのか。いや、そこまで高貴なものじゃない。そもそもどうやって、アリスの秘密を手に入れたのか。
 2人のスマートフォンがほぼ同時に鳴った。しかし、通知に目を通すことはできない。それでも、流雫の頭に浮かんだ時系列が、一つの線を象る。
「イヤな予感がする……」
と流雫が呟く。
「まさか……」
と澪が続き、そしてイヤフォンでリンクする2人の声が重なった。
「犯人が秘密を洩らした……」
 ……捜査は澪の父、常願が所属するエムレイドが担当していた。臨海署に拠点を置くテロ専従の捜査課のことだ。
 恐らく、常願や弥陀ヶ原が知らないところでメディアが流したのだろう。父はリークに関与していないと思いたい。だが、リークされたのは事実だ。
 「聖女を庇うならお前もだ!」
グル認定された澪に銃口が向いた。
「澪!!」
流雫が銃を構えるが、別の男2人が流雫に銃口を向ける。
 高校生2人は小口径、大人3人は大口径。その威力では完全に不利。しかも、流雫の残弾は1発だけだ。この慌ただしさで、銃弾を補充する暇が無かった。澪も残り4発。
 だが、流雫は勝機を掴んでいた。澪もそれに気付いている。
 テネイベールの化身と名乗った、生意気な少年を黙らせる……そう決めた2人はわざと1人分外して撃った。正当防衛成立……しかし流雫は反撃に転じない、それどころか1歩後退る。
「怖いのか?口だけか?」
その挑発に、更に1歩、1歩と下がる流雫。彼の位置からは、礼拝堂全体が見渡せる。それは澪も同じだ。そして、微かに頷く。
 武器の差だけでは一見不利に見えるが、澪以外誰も知らない。今の礼拝堂こそ、戦場としては流雫が最も得意な環境だと。
 半分だけ開いたままの扉に背中が触れる。……怖じ気付いたフリは終わりだ。
「イキってんじゃねえぞ、悪魔が!」
と男が叫んだ瞬間、
「流雫」
と呟いた澪の声を合図に、流雫は左足を後ろに突き出す。大きな音と同時に、扉の角に靴底が当たった。
 角を蹴飛ばされた扉は、音を立てて閉まる。片側だけだが、それで十分。外から援軍が来たとしても、外から直接撃たれるリスクは多少なり減るハズだ。
「何がしたい?」
男の問いと同時に、オッドアイの持ち主はノーハンドで、長椅子の背もたれの縁に跳び乗った。
 「何!?」
1人が慌てて照準を合わせようとするが、ウサギ跳びの要領で両足を揃え、高さを稼ぎながら縁伝いに跳んでいく流雫に定めることはできない。上下左右に動く標的ほど厄介なものは無い。そして、男はその動きに完全に飲まれている。
「落ち着け!」
もう1人が怒鳴るが、苛立ちは募る一方だ。
 2人が同時に引き金を引く。だが、合わせて10発の銃弾は標的に掠りもしない。
「くそ……!!」
男の怒りに満ちた声が響くだけだ。
 音だけで、背後の手下が手子摺っていることが判るリーダー格の男は、澪に向けて引き金を引く。祭壇の金属製の装飾が3回、鋭い音を立てて砕ける。それが反撃の合図……。
「っ!!」
肩丈のボブカットが僅かに揺れる。小さな銃声はリズミカルに2発。
「くっ!」
男の顔が歪み、股関節の上から手を押さえ付ける。だが、前屈みながら耐えている。
「正義が……屈すると思うか!!」
男は痛みと闘いながら叫ぶ。
 カップル2人の残弾は合わせて5発。1発も外すワケにはいかない。そして、セブと瀕死のアリスは丸腰。下手に動けば撃たれる。2人を護るためにも、澪はこの場所から動けない。
 流雫の撹乱で生まれた隙を突くしかない……。

 ……犯人の供述より早く、この連中はアリスの秘密を知っていた。だとすると、双方を裏で操る黒幕がいる。この連中はその支配下か……。
 昼間の犯人との関連性が、頭に浮かぶ流雫。それでも身体は、礼拝堂に機械的な放物線を描く。
「目障りな……!!」
爆発寸前の苛立ちは、その口調で判る。
 流雫は縁を踏んだ足を右に突き出し、身体を捻る。そして通路の真ん中に着地する……と同時に、正対する男の懐に向かって地面を蹴った。
「!?」
男の頭に疑問符が浮かんだ、その一瞬が明暗を分けた。
「たぁぁっ!!」
流雫は強く握った銃身を、ノーガードの腹部に叩き付ける。
「ぐほっ!!」
目を見開いた、やや大柄の身体は前屈みになる。そして流雫は、一旦離れながら銃が握られた手を蹴飛ばす。
「ぐぉっ!!」
男は、醜い声と同時に大口径の黒い銃を手放した。その脇にスライディングしながら拾い上げた生意気な少年は、銃を構えた2人目の男に向かって、そのまま投げ付けた。
「がっ!!」
銃は額を捉え、その場に落下して小さく跳ねる。男は思わず額を押さえたが、粘着質の触感が掌を支配する。
 手を赤黒く染める痩せ型の男は、額から血を流している事実に、震えながら殺意を露わにした。
「悪魔……殺す!!」
痛みと怒りに叫ぶが、既に標的は足下で銃口を足に向けている。至近距離、外れるワケがない。
 男の顔に僅かに絶望が滲んだ瞬間、流雫は引き金を引いた。火薬が爆ぜる小さな音が、礼拝堂に反響する。
「ああああっ……!!」
太い声を絞り出す男の顔を、オッドアイの瞳で睨み続ける流雫。
 自分でも無慈悲なのは判っている。だが、生き延びるならこうするしか無い。
「悪魔……くそ……」
男はそう言い残し、膝を床に打ち付ける。苦し紛れに引き金を引いたが、流雫の隣の長椅子に銃弾を刺すだけだった。やがて倒れる男、その寸前に後退りして下敷きを免れた流雫は、身体を捻りながら立ち上がる。
 今のが最後の銃弾だった。正当防衛だとしても、犯人の銃を使ってはいけない。それならば、流雫の戦略は一つだけ。

 破壊の女神テネイベール、その化身だとオッドアイの少年は言い放った。しかし、強ち間違っていない……リーダー格の男は、足の痛みと戦いながらそう思った。
 目の前の少女から目を離すワケにはいかないが、背後の音だけで部下が苦戦しているのが判る。否、最早様相はワンサイドゲーム。こうなるハズではなかった。
 「何をやってる……!!」
背後の2人に目を向けないまま、男が怒鳴る。しかし虚しく響くだけだ。怒りに任せて銃を撃つが、澪の足下で跳ねるだけだった。
「あたしが居合わせたのが、誤算だったわね!」
と声を張り上げた澪の銃は火薬を燃やし、小さくも規則的な2発の銃声が、少女の鼓膜を揺らす。
 「ぐぅっ……!」
男は新たな激痛に顔を歪ませ、遂にその場に崩れる。殺意に満ちた目で睨むが、少女に抗うだけの体力は残されていない。
 ……2体の青い悪魔さえ、いなければ……。男は太腿の痛みに意識を奪われながら、最大の誤算を嘆いた。
 ……残るは1人。そう思った刑事の娘は、遠目に半分だけ開いた扉が閉まるのが見えた。その音に流雫も、犯人の動きに気を向けつつも怪訝な表情を浮かべる。
 突如、礼拝堂にけたたましい電子音が響く。
 ……二酸化炭素消火開始。その自動音声は処刑宣告のように聞こえる。
「な!?」
「流雫!?」
2人の高校生は目を見開く。次の瞬間、澪はアリスとセブに近寄り、英語で
「逃げて!あたしも助けるわ!」
と言い、聖女の背を手で支える。
 流雫は扉へ走る。だが、外から自動ロックが掛かった扉が動く様子は無い。
 「犯人ごと……聖女を殺す気だ……!」
流雫は言った。
 礼拝堂の消火設備は、二酸化炭素を放出するスプリンクラー。密閉された部屋に放出して酸素を遮断、火元を窒息させて消火する方式だ。
 主に水を使用できない場所で有効的だが、まさかこの用途で……。
「流雫!!」
澪は叫び、銃を恋人に投げる。流雫は走って銃を手にする。
「澪!?」
「撃って!!」
澪の声が、イヤフォン越しとダイレクト、双方から同時に伝わる。
「撃たないと死ぬわ!!」
 ……生き死にの瀬戸際、他人の銃など言っている場合じゃない。2発だけしか無いが、文字通り風穴を開けることができれば。
 流雫と澪の銃、違いは色と側面の小さなロゴだけ。自分のものであることを記したものだ。流雫はLunaを丸文字で、澪はMioの最後をハートで遇ったもの。使い勝手は変わらない。
 扉の前へと踵を返し、ロックに向ける流雫。……壊れろ、そう願って引き金を引く。
 最後の2発は綺麗に命中したが、破壊するには至らない。そして、スライドが動かなくなる。
「ダメだ……」
流雫は唇を噛む。澪は
「犯人の銃もダメ……」
と無情な一言を突き付けた。
「使い切ってる……」
 敵は3人、銃弾は合わせて18発。合法に持てる銃は6発しか装填できず、弾倉にはホログラムの封印が貼られてある。それこそが、合法を保証する印。それは全員の銃に貼られている。違法に銃弾を持っていることは有り得ない。
 そして、アリスが撃たれた瞬間から数えて、聞こえた銃声は18。つまりこの部屋に、銃弾は残っていない。
 ……助けを求めないと。そう思いながら互いのリンクを解除する2人。その瞬間、澪のスマートフォンが鳴る。
「澪!!」
その声に、
「詩応さん!?」
「教会に向かってる!」
その声に澪は、最後の希望を見た。
 「礼拝堂……閉じ込められた……!」
その声に、鼓動が大きくなるのを感じながら、
「もう着く!待ってな!!」
とだけ返した詩応は、通話を切る。
 ……詩応がやって来る。助かる。そう確信した澪の視界は、唯一撃たれていない男を捉えた。流雫に近付く光景が映る。

 少しずつ息苦しさを感じる流雫は、先に仕留めればよかったと、自分のミスに苛立っていた。銃を投げ付けた時点で、2人目の男は頭を怪我していたのだから、銃を撃てなくてもどうにかできたハズだ。
 僅かながら感覚が曖昧になる。脳に酸素が回っていない。一度で仕留めなければ。
 再度長椅子に跳び乗った流雫は、一気に方向を変えて通路に飛び下りる。男は、生意気な少年を捕まえようと身体を伸ばした。しかし、着地と同時に前のめりになり、
「ほっ!」
と声を上げながら突いた両手を軸にすると、同時に両足を後ろに突き出した。
「くっ!!」
男はガードが間に合わず、足の裏全体が下腹部に突き刺さる。
「ぶぼっ……!!」
男は前屈みになり、腹部を押さえながら倒れる。
「はぁ……っ……」
四つん這いになる流雫は、朦朧とし始めた意識で、最愛の少女に近寄ろうとする。
 澪だけは……助け……。

 澪は、セブと彼に抱き抱えられたアリスが心配だった。弱い吐息が何より気になる。
 「聖女……!」
澪は咄嗟に、半開きのアリスの唇に唇を重ねた。僅かだとしても、強制的に酸素を肺に入れられれば少しは違うハズ……。
「っはぁっ……」
息苦しくなり、唇を離した澪は頬を紅潮させる。
「お、おい……」
セブには目を向けず、澪はもう一度試みる。
「助かるわ……!」
と言った澪の、濡れる瞳には焦燥感が漂っている。しかし、彼女は諦めない。
 ……アリスは聖女。ソレイエドールは必ず彼女を助ける。助けないワケがない。
 しかし、澪の意識も朦朧としてくる。霞んでくる視界が捉えたのは、力尽きる瞬間の恋人だった。

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