LTRo5-1「Will Back To Back」
日本と云うのは特殊な国だ。八百万の神……つまり神は星の数ほどいる。他教徒が崇める、所謂唯一神でさえも、日本では神と云うカテゴリーで一括りにする。いや、神どころか仏まで含む。だからか、中東や欧州で見られるような宗教間の対立を背景とする事件とは無縁だ。
そして、それ故か他教の厳かな行事ですら、ただのイベントとして愉しもうとしている。節操なしと云えば身も蓋もないが、その意味では日本はカオスな国だ。
そして、街は年末に訪れる最大のイベント、クリスマスに向けて華やかさを日々増していた。街のライトアップは一層カラフルに、そしてそれっぽい装飾が商業施設に施され、店内には定番のBGMが流れ、ホリデーシーズンの先陣を迎える準備が整えられていく。
11月最後の日、山梨県東部の都市、河月ではついに雪が舞い始めた。3ヶ月予報だと例年より寒くなるらしいが、しかし雪は予想外だった。
お気に入りのネイビーの長袖シャツの上から、UVカットパーカーに袖を通した、シルバーの外ハネショートヘアの少年は、右足に違和感を抱えつつも、東京行きの特急列車に乗った。
……ようやく期末試験も終わり、クラスの会話の話題も冬休みの予定が増えていた。特に1年後は、大学入試直前で殺伐としているだけに、最後ののんびりできる機会だ。彼だけはこの話題も1人蚊帳の外だったが、だからと気にする様子も無い。
……この1年で、何度東京に行っただろうか。彼は片手の指を折って数えたが、軽く1周した。その回数に思わず苦笑いを浮かべつつ、駅のコンビニで手に入れた紙コップ入りのコーヒーを啜る。
少しくたびれたA5のルーズリーフを、黒いショルダーバッグから取り出し、最初のページを開いた。それも、今日のために持ってきていた。
……10回を超える東京行きのうち、何事も無かったのは半分。そして、今日の目的は、残り半分についての話をするためだった。遊びではないことに溜め息しか出ないが、その後は……。
アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が追う、文字と簡単な相関図で埋め尽くされたページ、そこに何度も出てくるのは、テロと云う2文字。しかし目を背けたいそれが、今の日本の現状だった。
1年前の2023年8月、後にトーキョーアタックと呼ばれることになる、東京同時多発テロ事件が起きた。それ以降、東京を中心にテロが相次ぐようになる。
政府も特殊武装隊を再編成し配備を進めるか、同時に究極の自助として、国民に一定の条件を課した上で拳銃の所持と使用を認めることにし、銃刀法改正に踏み切った。
世界一銃と銃犯罪に厳しく、銃撲滅運動の先進国だった日本は、この1年で一転銃社会としての道を歩むことになった。
そして彼も、その当事者の1人だった。
新宿駅、東京方面のプラットホーム。乗車用の待機列から外れ、ベージュ色のケープ型コートを羽織る1人の少女が、ダークブラウンのセミロングヘアを揺らして立っている。少し強めのブレーキで止まった列車に顔を向けた彼女は、ドアの窓越しに見える少年に微笑みを投げた。
「流雫!」
少年がプラットホームを踏むと、少女はその名前を呼ぶ。
「澪!」
流雫と呼ばれた少年は、澪と呼んだ少女の目の前で微笑んだ。
……宇奈月流雫と室堂澪。高校2年生同士の2人が周囲と最も大きく違うのは、既に銃を握り、何度も撃ったことが有ることだった。
1年以上前にとある出来事を機にSNSで知り合い、8ヶ月前に初対面を果たし、今では相思相愛の恋人同士。共依存と云う問題を抱えつつも、互いに背中を預けていられる。それは、銃を握ってテロに殺される恐怖と、何度も戦ってきたからこその言葉だった。
流雫が東京に行く時は、新宿駅の東京方面ホームで合流し、同じく新宿駅の山梨方面のホームで別れることが基本になっていた。澪も埼玉方面から列車を使うだけに、1分でも2分でも長くいたいなら、待ち合わせも別れも新宿駅のホームが最適だった。
2人は今日の目的地、臨海副都心へ向かうため、新橋方面に行く列車に乗り換える。そこからは、りんかいスカイトレインと云う小さな列車に乗り換えることになる。
……2人はメッセンジャーアプリを介して、毎日色々な遣り取りをしているが、それでも3週間ぶりに会うことには敵わない。
「……今更だけど、足……どう?」
2人掛けの座席に並んで座り、スカイトレインの発車を待っている間に澪は問う。
……4週間前、河月のアウトレットで起きた襲撃事件で、流雫は澪の目の前で右太腿を撃たれた。それでも、流雫の起死回生の反撃がきっかけで逆転し、2人は生き延びた。
流雫は病院へ運ばれたが、貫通していたことで摘出の必要も無く、何より命に別状は無かったのは幸いだった。しかし、撃たれたことそのものに罪悪感を覚える澪は泣き叫び、医師に我が侭を言って一晩中病室に付きっ切りだった。
「寒いと違和感は有るよ。でも前よりはマシかな」
流雫は答える。走っても多少の違和感は有るが、日常生活には問題無い。
「無茶はだめだよ?」
澪の言葉に、流雫は頷いて言った。
「判ってる」
東京同時多発テロ事件、通称トーキョーアタックは2箇所で起きた。そのうち、1箇所は渋谷だった。
アイドルの広告でカモフラージュされたアドトラックが、スクランブル交差点で爆発した。そして、河月から遊びで渋谷に出ていた流雫のかつての恋人、欅平美桜が犠牲になった。
流雫はその時、もう1箇所……東京中央国際空港の国際線ターミナルで爆発と銃乱射に遭遇した。彼は夏休みを使ってフランスに帰郷していたが、この日帰国して、列車に乗ろうと地階へ向かっていたところだった。
スーツケースを置き捨てて走った流雫は辛うじて逃げ切り、怪我も無かった。しかし、空港署での警察の事情聴取の直後に、同級生から美桜の死の一報を聞かされ、絶望の底に沈められた。膝から崩れ落ち、狂ったように、青空に向かって泣き叫んだ。
……僕は銃を、持てるものなら持ちたい。それで二度と泣かなくて済むのなら。悲しい……の一言で済ませるにはあまりにも残酷な過去を抱える流雫だからこそ、そう語る資格が有った。そして、SNSのニュースのコメントにそう書いていたのを、澪は見つけた。
刑事の娘として、銃そのものと銃社会にどう向き合えばよいのか彷徨っていた澪にとって、彼の言葉は100字にも満たないものながら、否……満たないからこそ、重く感じられた。……彼と話せば、何らかの折り合いを付けられる……そう云う気がして、話をしてみたい……とメッセージを飛ばしていた。
そう云う、あまりに複雑な事情と経緯が2人を引き寄せた。そして、美桜の死の上に今の2人が成り立っている。……その現実に、時々悲しくもなる。ただ、悲しんでばかりだと美桜が浮かばれない……そう思った流雫は澪の、澪は流雫の恋人であることに、誇りを持っていた。
流雫と澪が初対面を果たした場所のシンボルは、日本一の高さを誇る大観覧車トーキョーホイール。其処からよく見える警察署が、臨海副都心の西端に建つ臨海署。それが今日の目的地だった。
最寄り駅でりんかいスカイトレインを降りて少し歩くと、何度も入ったことが有るエントランスに辿り着く。2人は軽いため息をついて自動ドアを潜った。
受付前では、2人の刑事が待っていた。
「わざわざ悪いな、何時ものことだが」
そう言った中年の刑事に澪は
「あたしは別にいいし、何なら家でもいいけど。でも流雫は近くないから……」
と言った。
その言葉に対して
「流石に家で仕事をする気にはならんからな」
とだけ言い返した刑事は、室堂常願。澪の父親で、特にトーキョーアタック以降はテロの専任になっている。
その隣で高校生2人と干支1周分も離れていない刑事が
「ただ、ここまで協力的なのは有難いことでね」
と言った。それに流雫は
「弥陀ヶ原さん……まさか褒め言葉?」
と返した。
弥陀ヶ原陽介。常願の後輩刑事で、彼もテロ専任。時々澪の父に振り回されている感は有るが、本人は気にも留めていない。
流雫と澪は、弥陀ヶ原とは3月、そのトーキョーホイールが建つ商業施設、アフロディーテキャッスルで起きたテロ事件の事情聴取で、臨海署に連行された時に知り合った。
その時は、まさかこんな頻度で会うことになるとは思っていなかった。つまり、それだけテロや、テロと思われる通り魔事件に遭遇していることを意味する。
「前にも言ったが、君たちは鋭い。それに、不憫には思うがテロの遭遇経験も多い。だから、言い方は悪いが期待しているんだ。何を見聞きしたのか、その瞬間其処にいたからこそ知れることに」
そう言って、弥陀ヶ原は取調室へ案内した。
何度目かの殺風景な部屋に4人。その最年長、澪の父は切り出した。
「……秋葉原のハロウィンの件、あれはただ大騒ぎを起こして暴れたかった奴らがしでかしたことだと判った。だがな……」
弥陀ヶ原は手帳を開き、その続きを先輩に代わって語る。
「SNSに直接犯行を仄めかす投稿は無かったが、遡ると9月末に一度、フォロワー同士のオフ会を犯人4人で開いていて、そこからはメッセンジャーで遣り取りしていたようだ。ただ、このアプリの会話履歴は端末から削除されていて、辿り着くまで時間が掛かった」
「ただ、連中に共通項は有った。……それだけで決め付けるのは時期尚早だが、どれもあの政治家の影響を受けている。……澪、お前が名を口にするのを憚る、あの男だ」
父の言葉に、澪は無意識に眉間に皺を寄せる。
……8月、台風に見舞われた空港で澪が撃った政治家のことだった。その男はそれが原因で入院したが、1ヶ月後の退院日に病院のエントランス前で、そして報道陣の目の前で、かつての部下に射殺された。その名を、伊万里雅治と云った。
「日本は今、右傾化勢力が声を大きくしている。その一因は、あの男だ。あの思想に共感した、影響を受けた連中も少なくない。地滑り的にとは云え補欠選挙に勝ち、一度ながら国政進出を果たしたしな」
「……そして奴らは、あの男が言っていた難民問題も含む、社会への不満を爆発させ、凶行に及んだ」
「右傾化が悪いとは思わん、だからと左傾化が悪いとは思わん。悪いのは、武力や暴力に走りたがる過激派だ」
と続けた常願に、弥陀ヶ原は更に続けた。
「その凶行がヤジ馬を集め、通り魔的犯行への義憤が生まれ、社会への不満を上乗せし、犯人を鬱憤晴らしのように銃殺した。……正当防衛と称した公開処刑だ。更には人をデスゲームの駒として、その結末を愉しもうとした」
その言葉に、流雫は秋葉原での出来事を思い出した。
……その駒とされたのが流雫と澪で、ヤジ馬は2人が犯人を銃殺することを期待していた。だから、銃をあくまで鈍器として使い、撃つことなく、殺すことなく取り押さえ、駆け付けた弥陀ヶ原に身柄を引き渡した。
その期待外れの結末に激怒したヤジ馬が2人に罵声を浴びたが、2人が撃たなかったのは最早プライドの問題だった。銃を撃つことがどう云う意味を持つのか、誰より判っていると思っていた流雫と澪は、護身が結果的に他人を愉しませることとの板挟みで、プライドを選んだ。銃を撃つことは、娯楽なんかになってはいけないのだ……。
何度思い出しても、流雫にとって……そして澪にとって、今まで遭遇したテロや通り魔の中で、最悪の後味だった。尤も、銃を撃って後味がよいことなど、端から存在し得ないのだが。
「……あれだけは……」
そう呟いた流雫は目を閉じる。
秋葉原で偶然ハロウィンイベントに遭遇した流雫は、一緒にいた澪の策略に嵌まり、彼女がハマっているゲームの最推しキャラのコスプレ体験をすることになった。一緒に澪もやるのが交換条件だったが、受け入れた彼女のためにと吹っ切れた流雫の、美少女騎士の……所謂男の娘のコスプレは、何だかんだで楽しめていた。
それが一転して、コスプレイヤーが突然男に刺されたことに起因したあの事件に遭遇し、流雫と澪はコスプレのまま、ヤジ馬に囲まれる中で犯人と戦わなくてはならなかった。剣で戦うキャラの衣装を纏いながら、銃で戦うことになるとは。
偶然居合わせた澪の同級生2人が無事だったことは幸いだったし、流雫も澪も怪我しなかった。しかし、今まで銃を手に、テロから生き延びてきたことを嘲笑われた気がして、そして美桜の死さえもバカにされた気がした。……今でも不意に思い出す。
「流雫……」
澪は、隣に座る少年の名を呟く。
「……流雫くんが思い出すのも無理は無い。俺も、あの時の動揺ぶりは覚えている。……ただ、それだけ強いと云う証左だ」
と弥陀ヶ原は言い、一目置く少年の肩を叩く。
「強いなんて……僕はただ……」
そう言い掛けて流雫は止まる。
……全ては自分が死なないため、澪が殺されないため……、そして美桜を失った時のように、悲しみに魂を壊されないためだった。正義感だの何だの、意識した覚えは無い。
「俺は強いと思っている。そうでもないと、銃なんて撃てるものか」
弥陀ヶ原は言った。
……銃を握っても、その本質を見失わないこと、それが弥陀ヶ原が言う強さだった。
自分の力で完全に制御することができないものを手にした時に、どう自分を律して悪用しないか。車も同じだが、それが何よりも問われるのが、銃だった。
そしてその強さが、如実に表れたのが秋葉原のハロウィン通り魔事件だった。
「それと似た流れだったのが、河月のアウトレットで起きた事件だった」
と言った常願は、紙コップ入りの濃いめのコーヒーを喉に流し、続けた。
「あれも、社会への憤りから同志が集い、画策し、そして犯行に及んだ。ただ、どうやら秋葉原のハロウィンの件に影響を受けたワケではないようだ。……伊万里の暗殺をきっかけに、今でも支持する別々の連中が起こした、と言えるだろう」
と常願は言う。
「……あれも、ヤジ馬に囲まれて……。流石に殺されると思って撃ったけど、すぐ階段に跳び上がって逃げて……。でもまさか、ヤジ馬に殺されてるなんて……」
と流雫は言った。
……澪と流雫の同級生から逸れて1人、現場に駆け寄った流雫。突然聞こえた、救急車のサイレンの音が気になったのがきっかけだった。
ヤジ馬が邪魔だったが、ネット上の3分間科学動画と、何度かフランスへ飛ぶ飛行機内で観たアクション映画の見様見真似だった、簡単なパルクールで逃げ切った。太腿を撃たれる数分前の出来事だった。
しかし、その直後最初に対峙した犯人は別のヤジ馬2人に射殺された。それも、生きた敗者への罰としての処刑、と云うデスゲームの感覚で。それは後々澪の父から知らされる。……やはり、犯人の自業自得とは云え、後味が悪い。
「それに、連中も何も言わなかった……」
その少年の言葉に
「流雫が撃たれた時も、何も……」
と被せた澪は、しかし声を震わせていた。あの地獄の瞬間を思い出しているのか……。流雫は思わず、コートを椅子に掛けて座る澪の背中に触れた。
「……そもそも、トーキョーゲートだって犯行声明が何も無かった……」
澪は言う。その言葉に真っ先に反応したのは父親だった。
「澪、流雫くんの前でそれは……!」
トーキョーゲート。そのワードは警察内部でしか使われていない。外部には未だ秘密の言葉だ。
「……そもそも、どうしてあたしが知ってるのか……」
と澪は言う。
……家で酒を飲んでいた父が、つい澪に口を滑らせたことが、娘がトーキョーゲートと云うワードを知る原因だった。ただ、澪は福岡の修学旅行中に流雫と通話していて、周囲を警戒しながら洩らした。そのことは父には知られていなかった。
「ただそれとこれとは……」
常願が言い返すと同時に
「犯行声明……。出るワケが無い……」
と流雫は言った。弥陀ヶ原は流雫の目を見据えて問う。
「出るワケが無い?」
「……宗教テロだとよく見るけど、あれは敵対する国や異教に対する警告、牽制の意味。そして時には、世界の同胞に向けたメッセージ。諸君よ、今こそ立ち上がれ、と……」
「でも日本は、昔の宗教テロでさえ犯行声明は出なかった。強制捜査撹乱のためのテロだし、日本乗っ取り計画がバレてはいけなかったから。……そしてトーキョーゲートでも。犯行声明を出すワケにはいかなかった、政治家生命に直結するから」
「その代わり、SNSで支持者が賛同し合い、己が掲げる正義を強固なものとして、そして義憤に駆られたと言って、正義の鉄槌を下そうとした」
そこまで続けた流雫に、澪は気になった言葉をリピートした。
「……賛同し合う……」
「SNSで言うフォロー……、本来は従う、ついていくと云う意味なんだ。だからフォロワーは従う人、ついてくる人。……つまり意見に従う者、意見を支持する者。フォロワー同士が意見を支持し合うことで、相乗効果で俺の意見は正しいと云うのが強まっていく」
「だから他の意見は排除される。これだけの支持者がいる俺の意見が間違っているハズはない、議論するほどの価値は無い、と。たとえ他の意見が、どんなに正論で正解だったとしても」
そこまで続けた流雫に、弥陀ヶ原は言う。
「自薦の用心棒、と云うやつか」
その言葉に、流雫は頷く。
「自薦の……用心棒……?」
初めて耳にする言葉だったらしく、澪は問う。流雫は頷く。
「自分の意見を守るための用心棒、その役目を自分から名乗り出る。そして論破の無双を展開する……」
「論破の無双……と言ったところで、そう思っているのは本人だけで、ただ周囲から煙たがられ、距離を置かれているだけだがな」
と弥陀ヶ原は続いた。
……流雫の知識を最も評価しているのは弥陀ヶ原だった。元々流雫は知的好奇心が強いが、特にトーキョーアタック以降は、今までのテロと相違点から何が起きているのか、そしてその本質を見出そうとしていた。探偵ごっこと言われてもいい、とにかく美桜を殺されたことへの謎を解き明かしたかった。
「今回のような支持者同士の結託による犯行は、これからも十分起き得る」
と常願は言った。
「あの時、連中が何も言わなかったのは、僕たちの頭で判るようなものじゃない、だから言うほどのものでもない……」
「……相容れないから、判ることは無いがな」
流雫に続いた弥陀ヶ原に、常願は被せる。
「……仮に、俺たちが追っている全ての事件が解決したとしても、昔のように銃を持てなくしたとしても、こう云う事件は起き得る。今までが何も起きなかっただけだ」
「……流雫くんには以前にも話したが、銃が使えなくなるのは、なるとしても年単位で先の話だ。社会として、銃を持つのが正解なのか、持たないのが正解なのか。こうなった以上、最早誰にも判らん」
と続けたベテラン刑事に、流雫は
「僕は……澪と僕がテロから生き延びることができるなら、それだけでいい……」
と呟くように言った。それに澪も続く。
「……あたしだって、流雫とあたしが死ななければ、殺されなければ……ただそれだけで……」
……自分は後回しで構わない、とにかく流雫は澪が、澪は流雫が生きていることを最優先して、そして自分も命を落とすこと無く、絶対に生き延びる。背中を預けていられる2人は、互いに同じ思いを抱えていた。
高校生と云う年頃らしくない悲壮感は、それだけテロと云う脅威がフィクションではないこと、そして何度も2人が生き死にの境界線で戦ってきたことを意味していた。
取調は昼休憩を挟み、夕方前まで続いた。
OFAと略される難民支援NPO法人、ニッポンサポートワンフォーオールがトーキョーゲートに全面的に関与し、伊万里が黒幕だったことは既に判明している。ただ、それぞれの事件の経緯の解明は未だ道半ばで、全ての発端となったトーキョーアタックも詳細までは解明されていない。
そこに発生したのが、福岡で起きた空港での自爆テロ、そしてそれに端を発する海浜エリアでの暴動だった。流雫は、自爆テロは実行部隊とされる残党が支援者、協力者によって匿われ、それが起こしたものだと見ていた。尤も、その実行犯も日本での……大変だとしても祖国に比べれば遙かにマシに思える……生活を夢見て、不法ながらも移住を果たそうとした末の、或る意味では被害者ではあるのだが。
伊万里に影響を受けた男たちの暴走だった、秋葉原駅前と河月のアウトレットでの事件が、当然断罪されるべきものではあるが未だ可愛く思える。ただこれからは、そう云う影響を受けただけの連中による犯行が増えることは、容易に想像できた。
そして澪が以前言っていた、娯楽感覚での犯行が増えれば、いよいよ手が付けられなくなる。それが合わさった時のことは、想像を拒みたい。
臨海署を出る前に、最上階の休憩室へ行った。紙コップ入りのコーヒーを奢られた高校生2人は、観覧車が見える景色を眺めながら、数時間の頭の疲労を少し癒やして出ようとした。
「……テロから生き延びることはデスゲームじゃない。だが、そう見ているだけのギャラリーを罰することはできないし、諭したところで手を引くワケがない。警察としても頭が痛いよ」
と弥陀ヶ原は言った。未だ三十路ではない刑事に、年齢が離れた兄のような親近感を流雫は覚える。そして流雫は言った。
「僕は弥陀ヶ原さんを尊敬したい。そうやって、トーキョーアタックやトーキョーゲートを全て解明しようと、僕や澪がテロに怯えなくていいようにと尽力してるから」
「俺だけじゃない。室堂さんもだし、それに他にも大勢いる」
弥陀ヶ原は言い、続ける。
「尊敬されるほどのことじゃないが、尊敬されるのは悪くない。それに応えるためにも、早く解明しないとな」
……漠然としたことだし、それほど現実は甘くないのも判っているが、将来は弥陀ヶ原陽介のような刑事になるのもアリだ、と流雫は思った。そうやって、平和のために必死になることができるなら。
「それに、流雫くんは大概無茶する。室堂さんからも話を聞くが、これ以上は危なっかしくて見ていられないからな。だから早く解明したい、と云うのも有る」
と言いながら、弥陀ヶ原は濃いめにしたブラックコーヒーを飲み干す。
「危なっかしくても、そうするしかなかったから……」
流雫は言った。
危なっかしいのは、流雫が誰より判っている。恐怖心を押し殺して、銃を握り、アクション映画の見様見真似のパルクールも使って……。今思えば、何度もテロに遭遇しては銃を握ってきて、怪我したのが太腿への1発だけだったのは奇跡としか言いようがない。
しかし、それが生き延びるために彼が咄嗟に見出した唯一の勝機なのも、弥陀ヶ原は判っている。未だ未成年の流雫が、そう云う環境に置かれていることが何よりも不憫で、それが弥陀ヶ原の意志を強めていた。
「君に死なれても困るからな」
と弥陀ヶ原は言った。
「流雫が、あたし以外と打ち解けるの……珍しいかも」
2人の様子を見ながら、澪は父に言った。しかも、相手は年が離れた刑事。離れているからこそ、逆に懐きやすいのか。
「結奈や彩花にも、そこまでなのに」
「男同士と云うのも有るだろうが、パーソナルスペースと云うのか、そのガードが極端に堅いんだろう。ただ、一度ドアを開いて受け入れれば、後は依存するほど仲よくなる。その端的な例が澪、お前だ」
と父は言った。
……SNSで知り合い、メッセンジャーアプリだけで話していた時から、オンラインと云うクッションが有ったから、としてもルナ……流雫はミオ……澪を或る程度は受け入れていた。そして澪は、自分が彼のパーソナルスペースにいる唯一の存在だと思っている。
しかし彼は、普段から顔を合わせているハズの同級生には、ガードを緩めていない。
「あたしは同じ学校じゃないから、逆に流雫も入れやすかったと思うわ」
澪は言った。
そして、複雑な事情を抱えているとは云え、せめて河月のアウトレットで出会った少女1人には、少しはガードを緩めてもいいのでは……と、澪は思っていた。その前の日に遭遇した別の同級生とは対照的に、流雫を少なからず心配しているようだった。尤も、出しゃばるものではないことぐらい、判ってはいるのだが。
2人はコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。幸い、東京は雪は降っていなかった。
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