見出し画像

官僚だったときのこと

東京で文系の大学院(修士)を修了した後、数年ほど省庁で働いていた。

振り返ってみると、国家のあり方や自分のキャリアについて色々と考えさせられた経験だったので、少し書いてみたいと思う。渦中にいて働いていた時は、短かったけれども、精神的にも体力的にも物凄く大変だった。今までに経験した中で、間違いなく一番きつい仕事だったといえる。


新入省員だった私の主な仕事内容は、大臣・政務官等の国会答弁用原稿の作成補助である。

議員から大臣等への国会での質問内容が前日に通告されるので、割り当てられた担当課が次の日の早朝までに答弁を作成することになる。課の国会対応窓口となる新入省員は、問いが出たあとの答弁作成課の割り振り調整、関連課・省との調整、答弁作成、答弁作成後の諸々の事務手続き(フォーマットの作成、所定の部数の印刷、提出など)を行う。


官僚の残業が多いことは知られていると思うが、実際に4月に入省したその日から訳もわからず国会対応に回されて終電帰りとなり、その次の日からは国会が閉会する初夏まで大体深夜のタクシー帰りであった。

秋にはまた臨時会があり、その後年明けから夏までの国会期間中は大体同じような時間に帰っていた。終電で帰れた日も週に数日はあったはずだが、よく思い出せない。月の残業時間は100時間から200時間いかないくらいだった思う。省内でおそらく最も忙しい課に配属されたおかげで、この残業時間は同期と比べても多かった。しかも残業代は6割も出ない。


なぜそこまで残業する必要があるかというと、大方の原因は、議員からの問いが通告されるのが前日の夕方と遅いからである。また、問いが全部出ていなくても関係課、少なくともその窓口は待機をさせられる。基本的に野党議員からの質問通告が遅いのは、官僚への嫌がらせだと思う。

なぜ問いを前日にしか通告しないのか、数日前の通告では何が不都合なのか私には全く理解できなかった。官僚を残業させるとそのタクシー代や残業代に税金が余分にかかるのだから、国民にとってより不利益になるはずではないか。

しかも、その問いの内容が緊急性を帯びているのであれば話はわかるけれども、大抵はそんな種類の質問ではなかったはずだ。確かに大臣その他が質問に答えることに意味はあると思うが、それでも同じような質問を何度もするのはなぜなのか、過去の答弁を読めばいいのではないか。ちなみに、逆に問いの質が良いと思ったのは共産党だ。すごくよく調べているし、核心をつく質問をしてくる。


とにかく、問いが出るのが大抵夕方、遅いと夜中になるのだが、その後から問いの割り振りを調整して答弁作成、印刷と提出をすると終わるのが午前3時くらいである。一年上の先輩と私はこの後タクシーで家に帰っていたが(そのあと朝9時半登庁)、直属の上司はその後、課内のソファで仮眠をとって、朝イチで始まる議員へのレクチャーに行っていた。超人である。こんなことを週に何回もやるので、この人はむしろなぜ死なないのかと不思議だった。

この上司は特に超人だと思ったけれど、恐ろしいのは、幹部候補となればこのくらいの仕事量をこなすのが普通とされていることである。どう考えても私にはできそうになかった。



省に入る前は大学・大学院と、それなりにマイペースでのんびりした生活を送っていたので、このくらいの急な環境の変化はなかなか受け入れ難いものがあった。もちろん官僚の残業が多いのは知っていたし、国家のためなら多少自分の時間を犠牲にするくらいは受け入れられるだろうと思っていたが、甘かった。

このくらい残業して睡眠時間が削られると、頭も働かなくなってくる。官僚の仕事の核はいかにミスをせずに事務処理をこなすかということにあると思うのだが、段々と仕事に慣れて処理が早くなっていったとはいえ、何にせよ待機時間があるうえに仕事量も多すぎて睡眠時間を削るしかなく、そうすると効率が悪くなってくるしで悪循環になっていた。



また、なぜこんなに仕事量が多いのかというと、仕事を一つこなすのに、先例や法令で定められた所定の手続きを行う必要があるからである。しかもその手続きというのが、信じられないくらいアナログである。具体的には、決められた決裁者の分だけその人の部屋に赴いて判子をもらってくるだとか(判子!)、所定のフォーマットに印刷した書類を決められた部数だけ印刷するだとか、もううんざりするくらい煩雑な手続きが多い。今思い出すだけで頭が痛くなってくる。

法治国家として公文書を扱うのに注意と形式が必要なのはわかるのだが、あまりにも不要そうに見える手続きを、片端から処理させられるのには全く閉口した。そして、こんなにも煩雑な手続きを必要としながら、一方でなぜ昨今の公文書改竄問題などが起こったのか、本当に理解に苦しむ。完全にカフカが描く不条理の世界である。規則が何を目的としているかが曖昧になる一方、その細部だけがクリアだ。



ネガティブな側面ばかり書いてしまったが、幸いなことに職場の人間関係には非常に恵まれていたと思う。上司も先輩も本当に尊敬できる方々だったし、短い間ではあったが一緒に働くことができて今でも光栄に思っている。あんな殺人的な忙しさの中で、ほとんど愚痴も言わず淡々と仕事ができるというのは本当にすごいし、頭が下がる。


とはいえ、仕事に一旦慣れてきたところで、流石にこれをあと約40年間続けるのは私には絶対に無理だという結論に達した。両親は強く反対していたけれど、ちょうど年次の節目に退職届を出した。省を辞職したあとは、もう一度大学院に戻って博士課程に進むか、外資のコンサルに転職するか迷って、このときは結局後者の道を選んだ。


官僚を目指す学生が減っているという記事を目にすることも多くなったけど、まあそうだろうなと思う。官庁の労働環境は本当にきついし、国を良くしたいという志を持っていても、そこで働いていくのは本当に大変だ。この環境は政治が変えていくしかないだろうにしろ、そんな気概を持った与党が現れるかどうかはわからない。少なくとも私には、残念だが逃げること以外にできることがなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?