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神様のいる場所

去年、いとこが牧師をしている教会のクリスマス礼拝に参加させてもらった。(ポストに招待状が届いていた)
絶望の淵にいた羊飼いの元にイエス・キリストが誕生したという説法を聞いて、讃美歌の「きよしこの夜」なんかを歌うと、キリスト教信者ではないものの、なんとなく感慨深い気分になった。今までほとんど考えたことのない天や宇宙や神様やイエスの奇跡。そんなことに意識を向けていると、ちょっとしたアクシデントとシンクロニシティが同時にやってきて「おや?もしかすると神様っているの?」と思い始めるようになった。私の周りにはキリスト教信者(所属している宗派は違うけれど)やカトリック教徒もいるが、母もよく「神さまに祈ると答えが返ってくる」と言っていた。だけど、私は母の言うことなどまったく信用していなかった。それでも「もしかすると母はこの感覚のことを話していたのかな?」と思う瞬間が確かにあった。が、それはその時だけの出来事で、きっとこれからも特定の宗教を信仰することはないだろう。タイ古式マッサージもタイ仏教が基本にあるが、そんな難しいこと、というか宗教理論や哲学的なことはよくわからないし、私は感覚で物事を視ている。けれど、いつの間にか、「ここ」に意識を向ける(周波数を合わせる)と、「自分の思う通りに進んでいい」という感覚がやってくるようになった。「ここ」は意図して探したわけではなく、自然の流れで「ここ」が既にあった?という感じ。この感覚は物事を考えて「どうしようか?」と決める時に使っているだけで、他の何かに役に立つという話ではないのだけど、神様は私のイメージしていたソレとはだいぶ違っていた。私の場合、やはりイメージ=思考は信用できない。
ところで、「本気で望めば願いは叶う」というのは本当だと思うけど、人が人生の中でそこまで強く望む瞬間なんてそう多くはない。が、心の底から祈れば奇跡は起きる。昔はそんなこと信じていなかったけど、今はそう信じるようになった。


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