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ボストンに雪嵐が激突したその週末 〜ハーバード大学アスリート留学記〜

大学1年生。2018年1月の1週目。

アメリカの東海岸にスノーストームが襲来した。雪嵐。大学はまだ冬休み真っ只中である。ただ、同時に試合シーズン真っ只中でもある私たちアイスホッケー部は、10日ほどの短い冬休みを各自家で過ごした後、年明け前にはキャンパスに戻っていた。冬休み中も試合があるアイスホッケー部と、バスケ部と、冬休みもキャンパスで研究をしている生徒しかいない、ガラガラのキャンパス。いつもは朝から夜までたくさんの生徒とすれ違う寮も、自分一人なのではないかと思うほど静まり返っている。

大学1年生も、もう半分が過ぎてしまったことに、時がちゃんと流れている安心感をおぼえると共に、この後3年半どうなっていくのかを考えようとすると気が重過ぎた。入学した頃から、まだ自分は何も進んでいない。英語もコミュニケーションもチームメイトと近づくのも。

NCAA(全米大学体育協会)に所属するアイスホッケー競技では大体の場合が、金曜・土曜に試合がある。学期中でも、このように冬休み中でも、そのスケジュールは基本的に変わらない。これがアウェイ戦の場合は木曜日の午前中に大学を出発し、木曜・金曜と試合会場の近くに宿泊し土曜日の試合後にキャンパスに帰ってくることになっていた。だからアスリートは自然と取れる授業も限られてしまうし、出来るだけ週の前半に授業を詰めようとする。

ただ、この週末のアウェイ戦は、アメリカ東海岸に雪嵐が激突する予報があったことから、急遽水曜日の夜にキャンパスを出て3泊することになった。冬休み中で授業もなく、基本的に練習・ 試合・遊ぶこと以外にやることがない時期なので、当日に言われても誰も文句なくその日のうちに出発する準備ができる。

その日は朝に練習があり、キャンパスを出発するのは夜と言われたので、夕方にはチームメイトで映画を観に行こうということになって、ピッチ・パーフェクトシリーズの3作目を映画館で見た。渡米して半年余りでまだチームメイトにも友達にも打ち解けたとは言えない私は、半ばみんなに言われるがままついていった形だ。

実はアメリカの映画館で見る初めての映画。椅子にリクライニングがついて寝ながら見れることにびっくりした。当たり前だけど字幕はなくて、登場人物の英語は当時の私にとって早すぎて、内容も半分ほどしか理解ができない。ちなみにこの映画を5年後にネットフリックスで見たら、記憶と内容が違いすぎて自分でもびっくりした。

映画から帰ってきて、日が沈む頃にバスに乗りキャンパスを出発。対戦相手の大学の近くのホテルには4時間ほどで到着した。ここから私の心臓はドキドキと鳴り始める。

そう、ホテルに着くとロビーで行われる運命の部屋割り発表。遠征での部屋割りは毎回変わる。私にとっては遠征先での居心地を決めるかなり大切なガチャなのだ。日本にいた頃は部屋割りだけでそんなに緊張することもなかった。高校生の時に、かなり歳の離れた先輩と同部屋だと気をつかうな、と思っていたくらい。なったらなったで楽しく過ごすことはできた。でもアメリカ1年目の私は違った。

アメリカに来て英語を喋る私は、日本で過ごしてきた今までの私とは性格もキャラも全く異なる別人になっていた。あらゆる場面で自信をなくし、自分が面白いと思うことでも自信を持って笑うことができなかった。練習に行ってリンクで3、4時間過ごしても一言も発せない日々も少なくなかった。返し方が分からないから、言葉を発して注目を集めたくないから、話しかけないでくれとすら思った。話さないから「つまらない奴」になるのは当たり前だった。

私のチームは私以外皆んな、カナダかアメリカ出身で、白人のバックグラウンドを持った子ばかりだった。ただ、その違いを埋めようにも、みんなのことをもっと知りたいし自分を知ってもらいたいと思おうにも、本人のコミュニケーションスキルも、この性格を表す手段も圧倒的に足りないのだ。内心で「私は本当はもっと面白いんだよ、みんなを笑わせられるし、ちゃんと良い奴なんだよ」といつも思っていたけどそれも表せなければ伝わるはずがない。自分の中では、未だかつてない大きな転換期を、精一杯、自分のできる範囲で乗り越えているつもりだった。ただその環境の変化が大きすぎた。この順応のプロセスを見守ってくれるチームメイトもいれば、そうではない子もいた。多様性を強調するハーバードといえども、身近にアジア人がいるのが私が初めてというチームメイトもいた。そういう世界に私は来た。周りからリスペクトも得るのに時間がかかることも、それは勝手に与えられるものではなく、どれだけ時間がかかっても自分でなんとかしなきゃいけないことだとも気づいていた。ただそれは想像以上に、労力も時間も気力もかかることだった。

さて、問題の遠征の部屋割り。1対1でチームメイトと同じ部屋になり、ゆっくり話すことができるチャンスという楽しみさや期待がある反面、最初から私と何かしらの理由で仲良くしたくない子が仮にいた場合は、地獄の時間となる。この頃には、チームメイトが大体どんな子達なのか、誰が優しくて誰が少し意地悪なのかは分かっている。だから尚更、週末の居心地を決める部屋割りは大切だった。そして運命の瞬間。私の部屋っ子はお見事に、チームの中でも割とあからさまに意地悪さを放ってきていたKちゃんになった。

すぐに自分との作戦会議に入る。私は今までKちゃんに何かしたわけではないし、自慢でもなんでもないが、直接会話をしたことはほとんどない。彼女に限らず、いつも消えいるような声量でコミュニケーションをとっていたし最低限の発言しかできずにいた。

チームとして同じ空間にいる時の態度から、Kちゃんが私のことをあまりよく思っていないこと、陰で何か言っていることは気づいてしまっていた。だからといって私はそれを誰かに相談することも、気づいて本人に話に行くこともできなかったのだけど。

ただ今回はとりあえず部屋に2人きりになるのだから、出来るだけ私の方からは勇気を出して最低限のコミュニケーションはとり、自分からは仲良くなれる努力をしよう。あとは嫌われないように、出来るだけ余計なことはしない。という、謎だけど当時の私にとっては至極真面目な決め事をした。心臓は何故かバクバクだったし、きっと私は不自然極まりなくて自分の一挙一動に自信がなかった。私は私で元々の気を遣いすぎる性格に拍車がかかって、物音ひとつ立てないように気を遣った。だけど挨拶やコミュニケーション取りたいことは、はっきりと言おう。モゴモゴしたら余計嫌われる。この時はまだ、「ここで話し始めたら意外と打ち解けて仲良くなれることがあるかもしれない」「1対1だと意外と仲良くなれるかもしれない」なんて淡い希望も抱く余裕があった。

でも結果として、Kちゃんはものすごく、びっくりするくらい手強かった。同じ部屋にいるのに、目を合わせようとせず、私が朝起きて「おはよう」と言ったら、びっくりしたような顔をして「Hi」とだけ言った。 その顔には嫌悪感を隠そうなんていう気遣いのカケラもなかった。この辺で私の心はほぼ折れた。 私はもう、同じ空間にいるのが怖くなって、これも極端だけど、部屋の中でずっと掛け布団を被ってその下で過ごした。それがもう、私にできるせめてもの対抗。こっちだってちゃんと嫌だよ、って表現する唯一の方法だった。そう、こんな時に限って3泊なのだ。おい、スノーストーム。これより前にも後にも、週末の試合が3泊になることは特別な試合を除いて4年間、一度もなかった。どうしてくれるんだスノーストーム!!!

3日目の夜、掛け布団の下でノートを開きながらぐるぐると考えた。私はいつから間違えたんだろう。 入学した瞬間からもっと勇気を出して喋っていたら良かったのか。恥ずかしがらずに飛び込んでいけばよかったのか。「本当の自分」だったら、誰とでもある程度いい関係を築くことができる。楽しい輪に入っていられるし、嫌われることなんてない。今からってやり直せるんだろうか。勇気を出せなかった自分のせいだよな。毎日一生懸命に前に進もうと過ごしているはずなのに、アメリカに来た日から何も進んでいない。「誰もいない」そう思ってしまった。味方がいない。他のチームメイトもいい子でも、私が腹を割ってこんなことがあったと話せる子はまだいなかった。私がそこまで到達していなかった。

はじめて、千切れそうな思いをした。だからノートに書き殴った。「こうなってるのは自分のせい。自分が最初から思い切って飛び込めなかったから。恐れずに飛び込みきれなかったから。このまま本当に辛くなって日本に帰りたかったらいつでも帰れる。いつでも帰っていい。でも、ここに来たのはホッケーのため。こんなことに気を取られてホッケーまで楽しくできなかったら意味がない。とりあえず、全力でホッケーしよう」ここまで書くと、少しスッキリした。これに気を取られて自分の本当の目的まで忘れてしまったらどうしようもないことに改めて気がついた。本当に自分がダメになると思った時は自分に帰れる場所がある、と言うのを自覚して、少し気が楽になる。自分を最低限の装備で守ってあげられた気がした。

次の日の私は吹っ切れていた。朝は相変わらずKちゃんと目が合うことも、彼女が私に対して言葉を発することもなく、同じ部屋には彼女と私と空気がバラバラに存在していた。でも私には昨日の夜ノートに書き殴った魔法がちゃんと効いていた。とりあえずホッケーをしよう。これに囚われて何もできなくなったら私がここにいる意味も目的も何もない。

その日の試合はいつも通りプレーしたら余裕で勝てるような格下の相手だったにも関わらず、チームは苦戦し、まさかの負け試合となった。長く続くホッケーのシーズンではよくあることだ。だけど、私の プレーは物凄くよかった。自分で思うだけじゃなくて、試合後に他の選手の親たちがわざわざ私のところに褒めにきてくれるほど良かった。

試合が終わった後のミーティングでコーチが怒りのスピーチをする中、チームに問いかけた。「格下相手でも、どんな試合でも練習でも、一生懸命に全力でやらなきゃ勝てない」と。そして続けた「でもこの試合を通してずっと全力で全てを出してプレーした選手がいる、ルナだよ」と。そしてそこにいた選手何人かに、私がいつもどういう風に練習に取り組んでいるか聞いて回ったのだ。そしてまさかの、最後に当てられたのが同部屋だったKちゃん。彼女は悔しそうな顔をしながら、もしくは機嫌の悪そうな顔をしながら、私のいいところを言った。というか言わされた。相変わらず彼女と目は合わなかった。でもそれが、私にとっては思ってもみない、スカッとな瞬間すぎた。現実版スカッとジャパン。この時本当に、人でもない誰でもない大きな存在が、誰かが、ちゃんとみてくれていると思ったのだ。ピンチの時でも、何もうまくいかないと思ってる時でも、大切なものを見極めて、それに対して少しでも希望が残っていたら、大丈夫だとちゃんと感じた。

その頃の私を安心させるようにちゃんと書いておくと、この後には続きがある。何も進んでいないと思っていた私は少しずつでも進んでいたようで、2年生になると、みんなに自分のことをよりさらけ出せるようになり、周りから同じくらいのリスペクトを得てチームで楽しめるようになってきた。3年生になると、長期休暇でチームメイトの家に遊びに行ったり、オフの日には一緒に出かけたりするようになった。Kちゃんとも普通に話したり練習後に一緒に寮に帰ったりするようになった。4年生は自分が本当に苦しかった時期で、それはそれで色々と大変だったのだけど、チームメイトが救ってくれた。あんなにかけ離れた存在だと思っていたチームメイトと、心から信頼できる関係がいつの間にか出来ていた。

あの時は、「ホッケーのためにここに来た」と自分に言い聞かせていて、それは本当だけれど、そのホッケーを通していつの間にか、自分を支えてくれる友達ができていた。ハーバードでの4年間はハードモードなことも、壊れてしまうんではないかと思うことも正直あって、やっと振り返ることができるようになった今もたまに、その跡が疼く。でもその中に散りばめられた嬉しいとか成長したに支えられて卒業し、今がある。今の私は、過去の私が安心して、「今があるから未来の自分がある」と思えるような私でいたい。

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