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宇多田ヒカル「桜流し」がヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qの主題歌として完璧すぎる


まえがき

先月3/11(土)筆者は新宿バルト9にいました。
目的は、シン・エヴァンゲリオン劇場版を映画館で観るためです。

以前One Last Kissの記事でもチラッと触れましたが、筆者はエヴァにクソデカ感情をこじらせた結果Qを10年以上放置していたため、シン・エヴァンゲリオンを映画館で観なかったのです。

去年ようやくアマプラで観て大号泣してから、もう後悔しても仕切れなくて、なんとか映画館で観ようと再上映のチャンスを待ち続けて、ついに新劇場版の聖地とも言えるバルト9でのBD&DVD発売記念再上映チケットを手に入れました。(席も頑張って中央ど真ん中をゲットできました)

観終わって、もう、胸が一杯でした。
何回観てもEDのOne Last Kissが流れ始めるところで泣いちゃうんですよね・・・。
やっぱり映画は映画館で観てこそ映画なんだ、と改めて感じました。

このままシンエヴァを映画館で観れないまま死んだら化けて出そうなくらいだったので、本当に本当に観れてよかったです。

そして、再上映を観てからエヴァ熱が一気に再燃しまして。
もう1回初めから全部観直して改めてシンエヴァを観たい!という熱量のままに、TV版→旧劇場版(DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に)→序破Q→シンと見直しました。
※DEATH編は実は今回が初履修でした。ずっとただの総集編だと思ってたので・・・。

ササっと観るつもりだったのに、見始めると結構忘れてた設定とか見落としてた描写とかあって気になっちゃって、結局考察サイト巡りして前の話数に戻ったりしてかなり時間を掛けてしまいました。
なんかこの「観て、考察サイト読んで、その考察を検証するためにまた観て」っていう流れが、TV版エヴァにハマった高校生の頃にやっていた事そのまんまで、とても懐かしい気持ちになりました。
大袈裟に言うと青春を取り戻した感じですね。

今のところ旧世紀版はNetflix、新劇場版はAmazon Prime Videoで独占配信なので、両方に加入してて本当に良かったと今回ほど思ったことはありませんでした。

そんなわけで、高まったエヴァ熱そのままにまだ書いていない新劇場版の宇多田さんの主題歌も書こうと思いまして。
今回は新劇場版3作目「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の主題歌、宇多田ヒカルさんの「桜流し」を紹介しようと思います。

「桜流し」を書こうと思った3月下旬頃、ちょうど関東は桜の満開に合わせたように本当に桜流しの雨が連日続いて、タイミング良いなぁって思っていたのに考察サイト巡りとかに時間使いすぎて数週間も経ってしまいました。
エヴァはダメなんですよ、一回見始めると止まらなくてですね・・・。

※以下、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qのネタバレに触れる記述がありますので予めご了承下さい。

【追記:2023/05/18】
「新劇場版:序」の主題歌「Beautiful World」も書きました。

曲紹介

作詞: 宇多田ヒカル 作曲・編曲:宇多田ヒカル、Paul Carter

2012年11月17日公開の映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の主題歌。
筆者が始めて聴いた宇多田さんのアルバム「Fantôme」のエンディング曲でもあります。
2011年から2016年まで「人間活動」としてアーティスト活動をお休みしていた宇多田さんが、エヴァンゲリオンのために特別に書き下ろした曲。
にも関わらずこの圧倒的クオリティ、凄すぎませんか・・・。

歌詞

「桜流し」は桜の開花時期に降る雨を表す言葉。
桜を散らすような雨を「桜流し」って表現するの、素敵ですね。
日本人の美意識が表れている美しい表現だと思います。

歌詞全体としては、若くして亡くなってしまった愛する人への気持ちを歌ったものと解釈しています。
桜が散るのと死を関連付けるのってありがちな組み合わせなので、よっぽど上手くやらないと凡庸な詩になってしまうと思うんですが、宇多田ヒカルという天才にはそんな心配は全く不要でした。

Qの主題歌としても本当に作品に合っていて素敵なんです。
カヲルくんを失ったシンジくんの気持ちにも、ユイさんを失ったゲンドウの気持ちにも、どちらにも自然と重ねられて。
One Last KissもBeautiful Worldもそうなんですが、作品と寄り添いつつ作品抜きで曲単体で聴いてもしっかり成立してて、かつアーティストとしての自分自身の個性も確固として発揮されているって本当に並大抵のことじゃないです。
※歌詞は歌ネット(https://www.uta-net.com/song/139269/)から

1番

開いたばかりの花が散るのを
「今年も早いね」と
残念そうに見ていたあなたは
とてもきれいだった

もし今の私を見れたなら
どう思うでしょう
あなた無しで生きてる私を

Everybody finds love
In the end

曲名が「桜流し」と分かっているので、「開いたばかりの花」が桜で、雨が降っているのも自然と伝わってきます。

そして、それに続くフレーズがとてもオリジナリティがあると思うんです。
咲いたばかりの桜が散る姿もまた美しい、だったらありがちですが、それを「残念そうに見ていたあなた」がとても綺麗だった、なんですね。

雨の中で散っていく桜を見ている「あなた」と、
そんなあなたを見て綺麗だと思う「私」。

「今年も早いね」なので何年か一緒に過ごして桜を見てきたんだろうか、それとも昔から桜が好きだった「あなた」と初めて過ごす春なんだろうか。

本来の寿命より早く散っていく桜と、それを見ているあなた。
その両者に何か重なり合うものを感じてしまって、その悲しいほどの儚さがとても綺麗だった。

もうこの風景だけでとても絵になるというか、小説1本書けてしまいそうな情報量があります。

このフレーズから自然と感じてしまう「あなた」の儚さは、続くフレーズで確信に変わってしまいます。
「もし今の私を見れたならどう思うでしょう あなた無しで生きてる私を」

あなたはもうここにはいない。
今の私の姿を見ることはもうできない。
ただの別れではない死別の気配が漂ってきます。

あなたもこの桜のように若くして命を散らしてしまったんだろうか。
あなた自身も、自分の命がもう長くないと薄々感じていて、散っていく桜に自分を重ねていたんだろうか。
私は、そんなあなたの桜のような儚さを綺麗だと思ったんだろうか。

先程のフレーズに、更に具体的なイメージが肉付けされていきます。

「あなた無しで生きてる私を」が物凄く切ないです。
「私」はどこか罪悪感を感じているんですね。

あなたを失った時、あんなに悲しかったのに。
あなた無しでは生きられないとすら思ったのに。
今、私はこうしてあなた無しで生きてしまっている。
自分一人だけ、生き残ってしまっている。

あなたへの私の気持ちは、結局その程度だったんだろうか。
代わりなんていない、唯一無二だと思っていたあなたの存在は、
無くてもなんとか生きていけるようなものだったんだろうか。

そんな今の私を、もしあなたが見たらどう思うのだろう。
元気そうでよかった、と安心するだろうか。
薄情だね、と失望するだろうか。
私の存在なんてその程度だったの、と傷つくだろうか。
それとも、私のことなんてもうどうでもいいと思っているのだろうか。

筆者は、このフレーズからそんな心情をとめどなく感じてしまいます。

また、音と歌詞の取り合わせも凄く素敵なんですよね。

静かなピアノの音と歌声がメインですが、ピアノの音って自然と雨の音を連想させます。
ピアノは鍵盤を押すと内部のハンマーが弦を叩いて音を鳴らす仕組みなので、雨が地面を叩く音や波のさざめきなど水音をイメージさせます。
優しく降る桜流しの雨と、舞い散る桜の花びらが地面に落ちる様子が音だけでも伝わってくるようで、それに歌詞が合わさって自分もそこにいるみたいに歌の世界に入り込んでしまいます。
(かつ、Qの劇中でカヲルくんがピアノを弾いていることにも自然とリンクします)

なんていうか、シンプルなものの組み合わせなのに物凄い効果を発揮していて、唯一無二の説得力を持ってしまっているというか。
シンプルなもので独自性を出すのが一番難しくて凄い、っていうのをここまで体現している曲は中々無いと思います。

ちょっと脱線するんですが、あだち充先生の名作野球漫画「H2」にこの情景にとても近いと感じるシーンがあります。
ひかりの母親が急死し、少し経ってからひかりの父親が比呂に心情を打ち明けるシーン。
単行本が手元に無い&何巻か忘れてしまって正確なセリフが確認出来ないんですが、「こうやってメシを食って、テレビ見て笑って、なんだかんだ生きてしまってるんだ。そんな自分が時々嫌になる。」みたいなセリフだったと思います。

凄く印象的で、H2の中でも特に好きなシーンなんですが、
「もし今の私を見れたならどう思うでしょう あなた無しで生きてる私を」ってまさにこういう気持ちだと思います。

話を元に戻して、1番の最後になる「Everybody finds love in the end」も色々な意味を含んだフレーズだと思います。

誰もが最後には愛を見つける。
あなたも、亡くなる瞬間には安らかに眠りにつけたんだろうか。
私も、あなたを失った悲しみからいつかは立ち直れるんだろうか。
そして、Qが新劇場版4部作の3作目であることを踏まえると「Qがこんなに絶望的な終わり方でも、最後には素敵なエンディングが待っているよ」というメッセージすら感じられるというか。

まさにカヲルくんがQの劇中で言った「希望は残っているよ、どんなときもね。」を体現しているようにも感じられます。

既に触れましたが、カヲルくんを失ったシンジくんの気持ちにも、ユイさんを失ったゲンドウの気持ちにも、どちらにも自然と重なりますよね。

なんで1行にこんなに沢山のイメージを無理なく入れられるんですかね?本当に天才としか言いようがない。

2番

あなたが守った街のどこかで
今日も響く健やかな産声を聞けたなら
きっと喜ぶでしょう
私たちの続きの足音

Qを鑑賞済みの方には説明不要かと思います。
シンジくんが起こしてしまったフォースインパクトを止めるために、自分の命を犠牲にして世界を守ったカヲルくん。
現実に当てはめると、警察官・消防官・軍人など命懸けで誰かを守って命を落とした人に特に当てはまりそうです。

でも、一般の方だって生きてるだけで誰かに必要とされ、誰かを支えて生きています。
そういう営みの積み重ねで街や世界は今日も平和で幸せに動いている。
そう思えば、「あなたが守った街のどこかで」は誰にでも当てはまるフレーズかもしれません。
病気で愛する人を失った時、私はお見舞いに来たり看病することしか出来なかった、みたいな状況でも充分感情移入できますよね。

そんな世界に今日も新しい命が生まれる。
あなたが守ってくれたお陰で、世界の営みは続いている。
それは、私たちが一緒に見たかった安らかな世界の続きでもある。
あなたがこの景色を見れたなら、きっと喜ぶでしょう。

ここもQのストーリーと自然と重なりますよね。
二本の槍とエヴァ13号機があれば、僕達二人で世界を修復できる。
元の世界を取り戻すことはシンジくんの願いでもあり、シンジくんの幸せを願うカヲルくんの願いでもありました。
(まあシンジくんは、自分が起こしてしまったサードインパクトを無かったことにしたくて意固地になってた面もあるわけですが)

Dメロ~ラスサビ

Everybody finds love
In the end

もう二度と会えないなんて信じられない
まだ何も伝えてない
まだ何も伝えてない

開いたばかりの花が散るのを
見ていた木立の遣る瀬無きかな

どんなに怖くたって目を逸らさないよ
全ての終わりに愛があるなら

ラスサビに向けての音の盛り上がりがとてもエモーショナルです。
強くなっていくドラム、高鳴るギター。
音数が少ないのに効果が抜群で、シンプルなまましっかりクライマックスに向けて聴き手の感情が高まっていく。
毎回思うんですけど、宇多田さんは編曲力もとんでもないんですよね。
この曲は連名ですけど、大半の曲を自身で編曲されていてその編曲の素晴らしさに毎回驚かされます。

その高まりの中で、ついにハッキリとあなたの喪失が明言されます。
「もう二度と会えないなんて信じられない まだ何も伝えてない」

そして次のフレーズ、筆者がこの曲で1番凄いと思う表現です。
「開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな」

開いたばかりの美しい桜の花が散っていく。
その様子を、ただ側で見ていることしか出来ない木立(立ち並んで生えている木々)の、なんとやるせないことか。

愛する人が命を散らしていくのを、自分は何も出来ずただ見ていることしか出来なかった。助けることが出来なかった。

美しい桜である(価値のある)あなたが散ってしまい、ただの木立である(価値のない)自分だけが生き残ってしまった。
本当はあなたが生き残るべきだったのに。
私に生き残る価値なんてないのに。

ここまで積み重ねてきた歌詞の流れに組み込まれることで、風景を描写しただけのこのフレーズからこの曲の本質とも言うべき「喪失感と罪悪感」がハッキリと浮き彫りになります。

そしてこのフレーズが、自分のせいでカヲルくんのDSSチョーカーが作動するのをただ見ていることしか出来なかったシンジくんにも、ユイさんが初号機のコアに取り込まれていくのを止められなかったゲンドウにも、双方に当てはまるのは1番と同様ですね。
(まあ、厳密にはユイさんは自らの意思で初号機の中に残ったんですが)

宇多田さんは本当に風景描写が凄いです。
何気ない風景描写に物凄い情報量の心情が詰まっていて、ゴチャゴチャ説明しなくても言いたい事が全部伝わってくるというか。
かつ、風景描写としてとても美しい映像にもなっていて、映画で時々ある「言葉よりも雄弁な風景のカットイン」みたいな効果があります。
宇多田さんの風景描写だけで1記事書きたいくらい好きです。

最後は「Everybody finds love in the end」の念押しのようなフレーズ。
「どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら」

カヲルくんを失って茫然自失のシンジくん。
ユイさんと再会するために、あらゆる犠牲を払ってでも、人間を捨ててでも計画を進めようとするゲンドウ。
そして、シリーズ完結作となる次回作「シン・エヴァンゲリオン」に向かっていくエヴァンゲリオンという作品そのもの。

全てに対するメッセージに感じられます。

そして、エヴァという作品抜きにして曲単体で捉えても、生き残った私が喪失感と罪悪感を抱えながらも覚悟と決意を持って踏み出そうとしていく、という一貫したテーマの締めくくりになっています。

歌詞の文字数も少なめだし曲もピアノ主体でシンプルなのに、むしろシンプルだからこそ強烈に伝わる悲しさとやるせなさと美しさ。
そして、絶望の先に少しだけ見えた「生きよう」という決意。

いくら言葉を並べても、この曲の凄さは説明しきれる気がしません。
なにより、こんな理屈をいちいち考えなくても、ただ曲を聴くだけで多くの人を感動させられる。シンプルに良い曲だなぁと思わせられる。

宇多田ヒカルという人の凄さをただただ実感させられます。

あとがき

・喪失感と罪悪感の先に微かに見えた「生きよう」という決意
・シンプルだからこその圧倒的な説得力と美しさ

いやぁ、今回も長くなりました。

書こうと思ってから書き始めるまでも長かったし、歌詞自体は短いからササっと終わるかと思いきや書き始めたら無限に言いたいことが出てくるし。

やはり、宇多田ヒカルという大天才は一筋縄ではいかないですね・・・。

もう4月中盤で関東の桜は終わってしまいましたが、これから桜が咲く地域もまだまだある(ClariSが住んでる北海道とかね!)ので、桜流しの雨を見た時にこの曲を思い出して頂ければ嬉しいです。

「桜の季節のうちに桜流しを記事化する」という目標をなんとか達成したので、次回からはリクエスト企画に戻りたいと思います。
(大変お待たせしてしまい本当に申し訳ない・・・)

では、以上となります。

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