あの日絵を盗んだ君に、今ありがとうと言いたい

あの日絵を盗んだ君に今ありがとうと言いたい。

私は歌が上手かったわけではなく
合唱が有名な中学校だったにも関わらず全く目立つこともなく
それどころか今も、歌を習ったことはない。
でもただただ音や声が好きで、歌を気持ちよく歌ってみたくて
盗まれないものが欲しくて。

中学生のとき。
精神病で入院後戻った学校生活
一部のいやがらせで、唯一自己表現できる絵や詩などの作品を、
破り捨てられたり盗まれたりしていた。

体育の授業から戻ると
作品が破られ、廊下に散らばっている
机の中の色鉛筆すら、消えている

創作に関しては熱心、というか未熟ながらずっと本気だったので、
作品は頻繁に賞の対象になったり学校の代表になったりしていた。

それがきっと鼻についたのだろう。
誰かの、鼻に。

卒業制作で作った絵本も、教室から消えた。


入院生活は長かったので、既に自分の知らないところで
いわゆる友達グループは構築されていたから
誰かをうたがうことも、誰かを頼ることもうまくできなかった。
優しい友人や先生方が何人か放課後も探してくれたけれど
私が中学校を去る日まで、ついに見つかることはなかった。

昔、絵の道にゆくと、家族や友人誰もに思われていたし
私もそのように思っていた
しかし絵は盗まれてしまうから
もう描かない、と決めた。
代わりに自分の身体を楽器に、武器にしてやると
そう決めた。
そうすれば、誰にも盗まれない
自分が自分を捨てない限りは
そんな風に思った。

元々、音声に魅入られて
幼少期からラジカセを片手に、生活音や自分の声、川の音や靴音、
そんなものを毎日録音しては、
妄想で話をこしらえラジオドラマを作る
そんな遊びを6才ころからしていたので
音の道への軌道修正は容易だった。
むしろ必然だったのかもしれない。

人知れず、夜通し人のいない畑道や公園で歌った
夜、夜明け、朝
好きな歌や、でたらめなオリジナルソングを空に向かって歌うと、
すこし自分が解放されたように感じた。
上手くはない。悔しい。
もしかしたら歌は、自分自身の中身と連動しているのではないか、
そんなことに気付いてからは
自分を変えようとしてきた
弱くて後ろ向きな自分の中身を。

そして型やぶりなことをするためには
まず型を知ることだと
色々な国の歌唱や、様々なジャンルの歌を練習した。

今思えば、学生時代に表現の分野へ足を踏み入れてから
嫌な思いをしたり
大切な仲間が向こうの世界へ行ってしまったり
一筋縄ではいかないことは常にあったけれど
それも、生きていれば、
どんな環境や仕事でも起こること。
音楽を嫌いになることはなかった
もう、盗まれやしない

まだまだ道は長い
変わりたいなと思う
一生変わり続けたいとそう思う
正解はなくても。

大好きな作品に少しでもたずさわれる体になってよかった
誰かに少しでも夢を見てもらう、
そんな自分になれてよかった
全ては上手くはいかない活動でも
素晴らしい経験をさせてもらってよかった

そして気付いたら
ささくれ立って針の生えていた私の心に
歌は試練と愛を教えてくれた

周り全てになじめなかった私に
世界と繋がるツールを
与えてくれた

そして人を大切に想うことを
気付かせてくれた
そのために、道は目指すんだと

「自分のために」から始まったけれど
「誰かのために」の楽しさよ


あの日、絵を盗んでくれた君に
今ありがとうと言いたい。

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