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ひとのよこのよ

この世界は瞬く間に忙しなく変化する波間にある。
だからどんなに今価値があると信じるものを手に入れようとしてもがいても、最後の最期は、あ、違った、で終わってしまう。
目に見えるもの手に触れるもの、を人生で一番欲しいものに据え置くことがいかに危ういことなのか知るためには、
それが今の価値あるままで存在し続けることは可能なのか考えてみればいい。

大抵の物は、必ず、ただ古くなっていく、朽ちていく、減っていくものでしかないと分かる。
家が欲しい、も、手に入れた瞬間の話で、その後は自分と共に朽ちていくそれに、どう価値を見出し続けるかの戦いになってしまう。

目に見えない家族愛や友情や信念だとかは、見えない触れられない、どころか、増減が分かりにくい、変化もわかりにくい、手に入れただけならすぐに零れ落ちるような、儚いもの。
だからこそ、それらに自分がどんな風に向き合い行動したか、無限とも思える時の重なりを全て含んだ、曖昧な言葉になる前の感覚で、満足できるかどうか、を自分の心と体に問い続ける。
悔やむことがあっても、自分がそれらに誠実に真正面に向き合えば、まぁ、及第点、と笑っていける。
及第点、それでいい。
それがこのよに生まれた命への課題だったのだから。

今は昔より、多くの人がこの課題を担ってる。担えるようになった。
ただ産めよ増やせよから、世界はぐっと螺旋を少しのぼったのだ。
る、り、まではまだ遠いかも。
でも近い。

ありがとうございます。