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ファインダー越しのひと目ぼれ

どうしても辛くてやり過ごせないことがあった時、必ずカメラを持って景色を撮りに行くと決めている。
ほんの僅かな時間でも、ファインダーをのぞいた先に見えるものは私を癒してくれる。

トドメは、ほんの小さなことだった。
本来だったら喜べるはずのことが、喜べない状況を作り出してしまって、感情が氾濫を起こした。
師走の忙しさは毎年のことだし、もう七年目になる仕事をこなす心の持ち様だってとっくに身についている。だけど、積もった雪はいずれ雪崩を起こす。雪の結晶のひとひらがどんなに美しかったとしても、そこに例外はない。

辛くなると、色がわからなくなる。

嬉しいことがあった時、幸せだなと思う時は、その時目に映る色がたのしい。
自分の中にパレットのようなものをしつらえて、そこに色を写しとる。
写しとった色は、たとえば音楽に、たとえば文章の語彙の発想の材料になる。
だけど、悲しい時、怒りが鎮まらない時、辛い時はそれができなくなってしまう。
心が沈みこむと、自分の内側の手当てをすることに意識が向いてしまって外を見れなくなる。
カメラはそういう時に私を助けてくれる気がする。

そんなわけで、カメラバッグにレンズとPENTAX KP、ウエストポーチにはGRを詰め込んで、ひとり車を走らせた。
向かう先は、東京のはずれにある湖。

長らく住んでいる東京も、ビル群と人の多さは全くと言っていいほど好きになれないけれど、はずれにある秘境のような自然は好きだ。
都会も、カメラを片手に行くようになってからは面白さがわかるようになってきた。

近くの駐車場に車を停めて、ダウンを着込んで外に出る。
この日は雲ひとつない晴天で、夕焼けも綺麗に違いなかった。
日の入りの時間よりも早く着いてしまったので、橋の欄干から湖面にカメラを向けること40分。
空と、凪いだ湖面の色が緩やかに色づいていく。

ホシハジロの濃い赤茶色の頭に夕日があたって、銅みたいに輝いてた。

ファインダーの先に見えるのは、私がその瞬間にひと目ぼれしたものばかり。
シャッターを切る度に、心がまた息を吹き返す。

ただそこに置いてあるだけのように見えて、それらのものたちは全て、先生の視野の中で絵になり、物語になっていなければならないものたちなのでした。
すべてのものが、あるべきところにあって、あるがままに、そうでなければならない。
これがアンリ・マティスの目線。美のひらめき、ひと目ぼれの瞬間なのだ、と。
原田マハ『ジヴェルニーの食卓』より


私は、ファインダーの先に見えるものに恋をしている。

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