見出し画像

白い馬、薄絹をまとった美しいかた


 家からそう遠くない場所に、悠久の昔、薄絹をまとって馬を駆り、杜のなかに消えていった美しい女のひとを祀ったという創建伝承をもつ神社があります。

 最近またおおきくなにかの切り替わりがあること、あったことを感じ、自分の住むところ、自身と縁のある神社仏閣を先日巡ってきて、玉依姫命、弟橘媛のお社をはじめさまざまにご挨拶をしてきたのですが、薄絹と馬のうつくしい伝承をもつこの神社もそのなかのひとつとして、星から星に渡るように巡礼してきたのでした。

 銀色の雨のふる日で、天からふる紗がかかった水の恵みは女神の薄絹のようでもありました。

 その薄絹をまとった美しいかたのお社におうかがいする前日、リアノンという女神のことに思いがけず気持ちを馳せる機会があり、リアノンはイギリスのグラストンベリーに縁がある魔法の女神で、白い馬にのり妖精の丘を翔ける姿が印象的に語られているかたです。

 その丘には“あちら”へ渡る扉があって、リアノンは妖精の世界であり奥深くには冥府の森が繁る“あちら”と、わたしたちの目に映しだされたこの世である“こちら”の狭間を白い馬で往き来しているのだそうです。

 彼女が“魔法”の女神と呼ばれるのは、彼女のもつ杖が“あちら”と“こちら”のどちらもを宿しているから。つまりは妖精たちが棲む“あちら”の力を物質的な力をもつ“こちら”にあらわす方法を教えてくれるかたでもあるからです。

 そしてその方法においてもっとも大切で重要なことは「思考、みずからの考えを“ただしく”使うことです」とリアノンはいいます。“ただしく”というのは“かしこく”と同義語であり、そして“ただしく”“かしこく”思考を使うということは、「真に自分のためになるように」それを使ってください、ということ、それこそが“魔法の杖”であると。魔法の杖は、それぞれの思考、物の見方、眼差しの角度にこそあるのだと。

 リアノンの傍につねに寄り添う白い馬。

 馬といいつつ、女神のガイダンスオラクルカードのなかでこの女神のカードに描かれているのはユニコーンですが、一角獣は思考の純粋さをあらわし、そして“あちら”の世界の生き物でもありますから、古い伝承に登場する「馬」とされているものは、あるいはユニコーンだったりペガサスだったりするということもあるのでしょう。

 女神リアノンといえば、フェアリータロットカードのワンドの6に該当するカードに、わたしはかねてからリアノンを感じることがたびたびありました。薄絹をまとい、白い馬にのった、杖をもつ美しいかた。このカードデッキはやはりグラストンベリーを背景にした妖精たちのカードなので、おなじ地に縁をもつ女神の息吹がまじないのようにこめられているのかもしれないとも思います。見ればみるほどおなじ源を絵であらわしているように、わたしには感じられるのです。

 そしてわたし自身とも縁のある、薄絹をまとって馬を駆り、杜のなかに消えていった美しい女のひとを祀ったという創建伝承をもつ神社にも、特別な意味を宿す丘がその社の裏にあること、“丘”というキイワードで繋がっていることに、このたびはじめて気がついたのでした。

 その場所をお詣りするまえにリアノンへと想いを馳せる時間が“外”からわたしのなかにもたらされ、ふたりの女神のなかに相似するものを感じつつお詣りを終えてから、“丘”というキイワードにあらためて思い当たったとき、ふたりの女神を結ぶ繋がりがわたしのなかでさらに強く濃くなり、その源におなじものを視て、“あちら”と“こちら”の橋渡しをする女神が、国を変え、姿を変え、名を変えて、白い馬とともに出現しては消えてゆくさまが鮮やかに感じられたのでした。月夜に美しい薄絹のような残り香だけをその場にとどめて、ふっと消えてゆく彼女たちのお姿が。

 そう思ったとき、あの絹のような雨は女神からの歓迎だったのだと、ひとり丘にのぼった時間のないひとときのことを胸におさめました。


 「魔法を使う者は、魔法の杖を持っています。魔法の杖とは、“ただしく”“かしこく”思考を使うことで誰もが手にすることのできる宝です。“ただしく”“かしこく”思考を使うとは、“真に自分のためになるように”それを使うということです。けれどもそれが容易なことではないからこそ、“魔法”を遠いもののように感じるひとたちがいる。そのときそのひとは“真に自分のためになる”ということがどういうことなのかという迷いのなかにあり、“自分のため”と自分自身では思い信じていることが“真の意味では”自分のためでないことであったり、ほかの誰かのためであることを“自分のため”であると思い込んでいることがあります。そのとき魔法の杖は“あちら”と“こちら”――“潜在”と“顕在”の力の均衡を崩し、あるいはそのふたつの道が分かたれて、そのひとの“魔法”は失われている、眠っている状態です。“あちら”と“こちら”を橋渡しするためには“思考をただしく使うこと”が不可欠で、それこそが“魔法”でもあります」

 薄絹をまとい白い馬で翔ける美しいかたからの言伝をリフレイン。


 *

 (「悠久の昔、薄絹をまとって馬を駆り、杜のなかに消えていった美しい女のひとを祀ったという創建伝承」――“あちら”と“こちら”の橋渡しをする女神。わたしは白山菊理媛のお姿もそのなかに感じ、実際に菊理媛は伊邪那美命とともにその神社のご祭神でもあり、意味深く思います。)



サポートありがとうございます* 花やお菓子や書物、心を豊かにすることに使わせていただきます*