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蝶の目覚め



 春の終わりとともにあるお庭で羽化した蝶の“眠り姫”のお話を目にする機会がありました。その“眠り姫”が繭のなかからあたらしく生まれ変わる数日まえ、黒い蝶がお庭にやってきて、蛹のその子を眠りから覚ますために魔法をかけた。

 冬を越して春が来てもまだ蛹のなかにいる、お庭でまどろむお姫さまを起こすために舞いおりたその蝶にいざなわれるみたいに、“彼女”は目覚めて飛んでいった。

 あるお庭で起きたそんな出来事を知り、なんだかとっても嬉しくやさしい気持ちになって、その夜は本棚から“眠り姫”を引っ張り出し、本の扉のむこうにひろがる世界に耽溺していました。

 わたしの書架には“眠り姫”の物語が二冊あって、一冊はErrol Le Cainが挿絵のもの、そしてもう一冊はK. Y. Craftが挿画を描いたもの。

 そしてひさしぶりにK. Y. Craftの夢みるように儚く鮮やかで、陶酔的でもある絵に彩られた絵本を繰りながら、“目覚め”の場面のうつくしさとそこにこめられた意図、無言のメッセージに感嘆してしまった。


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 “眠り姫”の寝台のしたにはおおきな犬が寝そべっている。この犬は忠実さと親しみの象徴のよう。“そのとき”がやってくるまで姫の眠りを守るため、また百年の眠りという孤独の繭にいる彼女の傍らに寄り添い、ひとりで微睡みのなかにいる姫をけっして“独り”にはしないための友であるように感じられる。

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 おなじく寝台のしたに積み重ねられた書物と楽譜があって、花はひかりながら音色を奏でているように見える。発光した花から聴こえてくるその音楽は、佳い香りを立ち昇らせているかのよう。書物や楽譜の存在は、姫が百年の眠りのなかで「ただ寝ていただけ」ではなく、彼女が夢のなかで学んでいたもの、時間とともに熟成されたものの気配を窺わせる。それがひとつの“音楽”を軽やかに優雅に奏でるまでに育まれたからこそ、“目覚め”のときがきた。そんな気配を。

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 ではなにを「学んでいた」のかといえば、姫にくちづけをしようとしている王子を鋭くじっと見つめている黒い鳥、目を凝らして様子を窺っている夜がそれにあたるのだと思う。

 「眠り姫がなぜ百年の眠りに就いたのか」——「彼女の誕生時にひとりだけその祝いの宴に呼ばれなかった魔女の呪いを受けたから」。“呼ばれなかった魔女”も“呪い”も、眠り姫がその出生とともに克服しなければいけなかった闇を示唆している。誰よりも美しく、あらゆるものを生まれたときからすでに備えていた王女。

 おおきな光が宿るところには、それとおなじだけおおきな影が潜む。

 自らの光を彼女が光そのものとして扱うために、闇の濃密さを知らなければならなかった。“呪い”は彼女の“祝い”のおおきさに比例した。祝いと呪いはおなじもの。だから彼女はそれを身をもって経験するために、生きながらにして一度死ななければならなかった。死のように深く永い眠りを味わって闇を知らなければいけなかった。ただしく光を扱うために。

 書物や楽譜は彼女が眠りのなかで自分で自分を“育てていたこと”のあかし。そして“目覚め”のとき、窓から鋭い眼差しを投げかけながらもそこからさきに踏み込むことのできない黒い鳥と夜は、彼女が自身の“呪い”を清めたことの証明。光を覆っていた闇は、ふたたび光のなかに還る。夜がおわり、朝がくる。それは“滅んだ”のではなく“溶けた”、あるいは“混ざりあった”。

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 横たわる彼女の手もとに白鳥のかたちをした竪琴と、翅をやすめている蝶。どちらも彼女が“もう目覚めてもいい”と許可されている、告げられていることを暗示している。彼女が成熟し、危険なものから身を護るために眠りのなかに籠る必要はなくなっているというメッセージ。楽譜に刻まれた音符を夢のなか、この竪琴で奏でていた日々は終わりを迎えようとしている。もう羽化する力が彼女にはあること、蛹から蝶になって目覚めることをうながされている。

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 盾をもった天使たちの護りのなかにいるので、目覚めても彼女の“安全”は約束されていること、そしてこの天使たちは彼女が眠りと夢のなかで闇と影を克服し、自らの内部の力を高めたがため、彼女が“目覚める”段階であるがために彼女を守護している。守護することができる。ふたりの天使はいずれも彼女の一部であること。

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 そして“目覚めた”とき彼女が頭上に戴くべき冠が枕元に置かれている。その冠を頭上に載せるために、すべてのことがあった。それを戴冠するために知らなければいけなかったこと。その冠にふさわしい者となるために、蕾の眠りのなかに自身を閉じこめ、そして自分自身の力によって花を開かなければいけなかったこと。花になるための戦いが眠りのなかでおこなわれていたこと。

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 繭と蕾に閉じた眠りが、蝶と花の目覚めに開く。自分自身の力を育み、取り戻すことが“目覚め”。K. Y. Craftの絵は、眠り姫の花がひらく、蝶になる瞬間の一場面で、“目覚め”のすべてを沈黙のなかに語っていた。ひさしぶりに絵本を繰りながらそれを感じ、いたく感激してしまったのでした。


 もちろんErrol Le Cainの挿絵の一冊も大好き。この絵本には実に“眠り姫”らしいエピソードがあって、数年まえ植物のご本屋さんの草舟あんとす号さんでお迎えしたご本なのだけど、そのさい当時あんとすさんで植物のトランプでつくられたおみくじがひけるイベントが密かに開催されていて、わくわくしながらおみくじをひいたわたしに出てきてくれたカードはクラブのジャックで、そのおみくじのメッセージが「目がさめて何かがはじまる。それは百年の眠り、千年の眠りからのめざめ。」というものだったので、なんだか眠り姫に宛てたことづてのようだなと思っていたとき、本棚にこの絵本の背表紙を発見して、なんとなく偶然とは思われずお迎えしてしまったのでした。ずいぶんまえのことだけど、印象的な出来事だったので、よく覚えている。


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 そしていまでもそのおみくじは大切に持っています。



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 眠りと目覚め。

 すべての蛹が羽化し、蝶になれますように。


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 自分が蝶であることを、すべての蛹が信じることができますように。




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