使い続けて馴染んだ感触
何ヵ月、何年と使用してきたものって、自分の肌に馴染んで自分にとって相棒と呼べるような存在になっていると思う。
靴を整理していたときに、ふと数年前の「サンダル間違い」を思い出した。子どもたちを連れて友人たちと解放された学校のプールへ行ったときのこと。
しばらく遊び、帰りに自分のサンダルを履いて帰ろうとしたとき、「あれ?これ、私の?なんか違う。」
私たちがプールを出たときには既に誰もいなかったので、靴箱?にあるのは、人数分の靴やサンダルだけ。
どう見ても私と同じデザインのサンダルだし、サイズも合っている。でもなんか違う…。
そのあと「間違えて履いてきちゃった」という人が現れ、やはり私のではなかったと分かった。
靴に限らず、使い込んでいくうちに自分の肌に馴染んでいくものがある。
本や教科書
中高生のころ、教科書を忘れて他のクラスの子に借りると、やはり借り物感があって、なかなか落ち着けなかったことを思い出す。
書き込みがしてあったり、傾向ペンでマーキングしつあったり。何よりも教科書を持った時の違和感。ふと思い出す、自分の教科書。
次こそは忘れないようにしようと思った。
使い込むと自分のくせなどに合わせて、ものが肌に馴染んでいく。
部屋を片付けていて、ふと思い出したので筆を執りました。
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