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一番を目指してはいけない理由

「やるからには一番を目指せ」
ドラマでも現実でも、割とよく聞く言葉だ。

確かに、もし自分の子供が進学をやめてサッカーをやることにでもなったとしたら私もそう言うと思うし、ましてやそのサッカーのコーチには、是が非でも一番を目指して指導してくれと思うに違いない。

実際私も学生の頃、勉強に打ち込んでいた時期は席次一位を狙っていたし、2009年に蓮舫氏の「2位じゃダメなんですか」発言が取り沙汰された時は、端から一位を諦めてどうする、と思った。

一位になるためのライバルの数が、クラスの40人とか同学年の数百人なら、トップになることも現実的な話である。でも社会に出て、しがないサラリーマンでいることにも疲れて、そんな自分を変えようと何かに挑戦する時、果たして一位を目指すべきなのか?

常にポジティブで、向上心に満ち溢れていて、自分はダメかもしれないなんて思うことがないタイプの人(一握りだが確かに存在する)は、是非とも一位を目指して頑張ってもらいたい。きっとそういう人たちは大抵上手くいくし、仮に失敗してもそこからより良い選択肢を見つけて結果的に成功する。

ただ世の大半の、もっと言えば99%の人たちは、ネガティブ思考に囚われてしまうこともあれば、自分はなんて無能なんだと落ち込む日もある。そんな人たちが「やるからには一番を」なんて思って何かにチャレンジしてしまうと、挫折不可避なのだ。

沖縄で一番のサモア料理店を開くぞ!くらいのパイの小さな話であればトップを目指す気持ちでないとむしろ失敗するかもしれない。でも再生回数トップのYouTuberやnoteの年間記事ランキングに食い込もう、と思って動画編集を学んだり、日々文章を綴ろうと思ったら、早ければ3日、遅くとも1年も経たずして挫折するだろう。

そして人間というのはなまじっか学習能力が備わっているせいで、脳内では密かに挫折カウンター機能が働いている。たとえ小さな挫折であってもそのカウンターはしっかりと1件として数えているので、新たに他の何かにチャレンジしようとする度に「あなたは既に5回の挫折を経験しています。本当にまた挑戦するのですか?」等とお節介コマンドが現れるのだ。

欧米人はよく"start with a small step"や"take baby steps"という表現を使う。何か新たなことをやってみようかな、と思っている人全てに捧げたくなる言葉だ。赤ちゃんが富士山目指して歩けるわけがない。大の大人でも小さく小さく歩き出すべきなのである。富士山めがけて一足飛びせず、ヨチヨチ歩き始める。そうすれば挫折カウンターを作動させることなく退くこともできるし、途中で違う何かに才能を見出すこともあるかもしれない。99%の人間は一位になることなど考えず、baby stepsで歩き始めるべきなのだ。


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