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【小説】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった #19

 涼子が朝ご飯を作ってくれなくても、会社に出掛けるのを見送ってくれなくても、私はもう不満に思わないようにした。ワイシャツのボタンが取れかかっているのに気がついた時は、裁縫箱を出してきて、自分で取りつけた。涼子がやってくれるものと期待していたら、あとできっと悲しい思いをし、いじいじと腹を立てることにもなるだろう。食事の支度にしても私が作った方がおいしいのだし、それに発想を変えて男の趣味と思えば・・・わだかまりや惨めさ、情けなさといったものが多少は和らいでくるのだった。

 涼子が夜遊びに出かけても、帰ってくるのを待つことはなく、さっさと寝てしまった。涼子の理不尽な要求、屁理屈な発言にも、「はい、はい」と頷き、何でも従った。その間もちょっとした言葉の行き違いから、涼子の機嫌を損ねてしまうこともあったが、三寒四温の春先の気候のように温かく穏やかな日が徐々に増えてきて、私たち夫婦の日常の暮らしにもべたべたとした甘いムードが生まれるようになった。

 ある夜なんて、ソファで・・・ソファで、つまりソファで・・・ソファでテレビを見ていたら、涼子がちょっかいを出してきて、私の脇の下を擽った。私も「うわはははァ!」と身を捩りながらも涼子の脚を奪い、足の裏を指の頭でこちょこちょとやった。涼子は悲鳴を上げて脚をばたばたさせた。「降参、降参だってばァ!」脚を放してやると、涼子の両腕がすぐに飛び掛かってきて、私はソファに押し倒された。「涼ちゃん、ずるいよ、ずるいよ」「油断するから負けるんだわ」涼子はそう言って私の腰の上に登ってくると、目をぎらぎらさせながら、私の腋の下や脇腹を擽りまくった。「参った! 助けて! ひえええ!」と叫んでも許してはくれず、私は反則の手段に出た。涼子の胸に両手を伸ばすと、二つの乳房をぎゅっと掴み、揉んだのだ。こうしてソファでじゃれあっているうちに、お互いに淫な気持ちになり、その場で洋服のボタンを外し始めたり・・・一緒に風呂に入った別の夜は湯舟の中で凭れる涼子を後ろから抱きながら、知っている童謡を何曲も歌いあった。まるで磯の小舟に揺られているようなロマンチックな時間だったが、互いの手は卑猥に湯の中を動き、どちらかが歌うことに集中できなくなると、相手の唇を求め、私たちはつながった唇が湯の下へ沈んでしまうほどキスに没頭した。

 皮肉にも私が結婚に対する男の理想を捨て、涼子という女に順応したとたんに、私が求めていた結婚生活の幸福感に初めて浸ることができたのだった。

 私はこの時とばかり、ずっと心に刺さっていることを涼子に聞いてみた。

「涼ちゃん、僕と別れたいっていつか言ってたよね。・・・そのう、つまり・・・今でもそう思ってる?」

 すると、涼子はそんなことを言った覚えがないという顔で、

「あら、ひどいは。真ちゃんは私と離婚がしたいの?」

「したいわけないじゃない。そんなこと、イチドダッテカンガエタコトモナイヨ。離婚の話を持ち出したのは涼ちゃんの方だよ」

「本当?」

「ぅぅん」私は泣きそうな、甘えた声を喉から出した。

「可哀想、可哀想、ごめんね。でもあらためて、真ちゃんがちゃんとしてくれるから別れないであげる」

「ほんとにィ?」

「でも、優しくしてくれなきゃだめよ。私、怒る人、嫌いですからね」

「うん」

「流しも水浸しにしない?」

「うん」

「洗濯もしてくれる?」

「うん」

「トイレもちゃんときれいにする?」

「うん」

 私は何を要求されても「うん、うん」で、未来が開けた思いで頷き続けた。それは単に心の針を引き抜いたというものではなく、体から悪い毒素を取り除き、一命をとりとめたような、とても言葉では表わせない喜びだった。

 こうして私は田島涼子という妻の良き夫になった。かと言って、結婚生活のあり方はこれでいいのだと少しも思ってはいない。こういう発言をすると女性に叱られるだろうが、食事、洗濯、掃除といった類の仕事は、やはり女が積極的にするべきであると思う。私が涼子の言いなりになったのは、怒る涼子が怖いからであり、あくまで家庭円満のためだった。気が弱いのは隠せないが、私も本来はなかなか頑固な男で、妻が涼子という女でなければ、おそらく早い時期に亭主関白になっていたに違いない。いずれにしても女達が強く、憎たらしいほど美しくなっていく。誠に結構なことだが、見掛けを磨いた分、家事のレッスンが疎かになり、結婚生活に不適格なずぼらな女が増えていく。男が求める結婚など、よっぽどいい女に当たらないかぎり、難しいことなのだろう。今さらの認識ではあるが、結婚生活への思いが強かった分だけ、私には割り切れないところがあるのだ。

 

 それから三年がたった新しい年の春-------一挙に歳月が飛んだが、空白の三年間は結婚一年目の生活の繰り返しで、中古のBMWをローンで買ったこと以外、特に目新らしいエピソードはない。曲がりなりにも家庭を持つということは、大いなるマンネリ生活の始まりなのだろう。妻が怒らなくなるという奇跡も、私が家事から解放されるという希望も、子作りの予定もない。そんな変わり映えがしない日々の最中に-------私たちの間に引っ越しの話が持ち上がった。

 その頃、愛媛の松山市に住む学生時代の友人から家を建てたと写真付きのハガキが届いたり、同僚が相次いで分譲マンションを購入したり、私の回りではちょっとした新居ブームになっていた。そんな話を涼子にした私も悪く、「家を買って、引っ越っそうよォ!」と着る物をせがむように涼子が言いだし、私は住宅情報誌を買ってマイホームを研究するはめになった。

 私は無駄遣いのしない堅実な人間で、定期預金で金を貯めてはいたが、戸建ての住宅購入には消極的だった。都心に近い地下鉄沿線に住めるのならまだしも、私の蓄えなら札幌の端っこか郊外になってしまう。私はそうまでして「自分の家」に執着したくはなかった。が、どこでもいいからァと涼子が言うので、札幌の羊ケ丘通のニュータウンに建売の物件があったので、実際に現地へ見に行ったことがある。吹抜と居間階段がある4LDKの間取りは取り立てて問題はなかったが、アパートに帰るなり、

「田島さん、私のこと、なあんにもわかっていないのねェ」と涼子が言い出した。

「何がだい?」

「私が建売の家を気に入ると思う。私、設計士に頼む家じゃないといやですからね」

「無理だよ。僕の収入じゃ」

「無理? ええッ、無理なのォ。無理だったら無理って、最初に言ってよォ。田島さんったら、いっつも期待ばっかり持たせて、最後は貧乏くさい現実に戻すんだからァ」

 あああ、この女はァ、私の給料で、年収何億もの人間が住むような、大豪邸を建てることを考えていたのだろうか。私は胸の中で呆れたが、その呆れぶりを顔色や態度に出さないように努めた。

「設計士に頼めないんなら、私、ここから動きたくないわァ。田島さん、ここら辺の円山や宮の森で家を買える手立てを考えてよォ」

「この辺で一軒家と言うのは、難しいよ」

「無理とか、難しいとか言ってたら、家なんて買えないじゃないィ」

「だったらさァ、田舎で暮らそうか。余市とか仁木とか。そうすれば大きな家に住めるかも知れないよ」

「ひとりで暮らせばァ。私はついていかないから」

「水もおいしいし、星もきれいだし、いいよお」

「田島さん、家のことをもっと真剣に考えてよォ、ほんとにもおォ。そんな田舎暮らしをするんだったらさァ、田島さんの会社、海外転勤はないの? ヨーロッパとか」

「東南アジアなら可能性はあるかもしれない。望めばだけど」

「いやよォ、アジアなんて。私、パリに住みたいなあ」

 私も涼子も夢みたいなことを言いだし、現実の住宅探しは、なんとなくその日限りで諦めてしまった。それで賃貸マンションを探すことにしたのだが、不動産を訪ねてもありきたりのものしかない、口利きで探した方がいい物件が見つかると涼子が言うので、私達は知り合いを片っ端から当たってみることにした。今回は涼子が活躍し、物件の具体的な情報を持ってくるのは彼女ばかりで、完全に主導権を握られてしまった。

 十日ばかりたって、涼子がどこどこの美容室に勤めるヘアーデザイナーが同棲者と別れ、ニューヨークへ勉強をしに行く、二週間後には彼のいたマンションが空くという話を持ってきた。

「いつも私の髪をやってくれる人に教えてもらったの。何でもそのヘアーデザイナーって、持ち主の設計事務所の人と知り合いで、家賃だって今まで通りのコネの値段でいいそうよ」

「そんな口利きで大丈夫なのかい?」

「大丈夫よ。それにそういう業界の人が住んでたところだから間違いはないわ」

「でも、コネの家賃といっても十万円もするんじゃなあ」

「分譲マンションを買ったってボーナスの併用払いをなくせば月々そのくらいかかるじゃない。田島さん、全然見つけてこないで、文句を言わないでよォ」

 涼子が尖った口でものを言い始めたので、私はそれ以上口を挟めなかった。


#小説 #結婚 #怒る女 #亭主関白


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