【童話】うさぎつねの悲しみ
青い青い山おくの森に、うさぎの親子が住んでいました。
父さんうさぎはラビーシェ。子どもうさぎは兄がライで、妹はラミといいました。
ラビーシェは、とても教育熱心な父親でした。
ラビーシェの教育テーマは、ただひとつ。それは森の中で生きぬく方法を子どもたちに教えることでした。
ラビーシェは草間の土にきつねの絵を描き、とがった顔を枝切れでつんつんと叩きながら、生徒である子どもたちに言いました。
「きつねには、近づくな」
「どうして?」
息子のライが聞いてくると、
「それは、きつねがいやしい生き物だからだ」
ラビーシェは答えました。「いつも腹をすかして、何かに噛みつきたがっている。そばに寄ろうもんならおまえらはすぐにおそわれ、餌食になってしまうだろう。見ろ、このさけた口を」
ラビーシェは地面の顔を枝で強く叩きました。
「お前達を食べるためにこんなに醜く大きな口をしているのだ。それに、この目だ」
今度は目の辺りへ枝先を滑らせました。
「三日月のような目は、お前達をねらうために細く尖っているのだ。ラミ、どうだ、こわいだろう?」
「・・・」
「こわいかと聞いてるんだ。返事をしなさい!」
「うん」
娘のラミは脅されたように返事をしました。
「こんなやつの腹の足しになんかなりたくないだろう」
「・・・」
「返事をしろ!」
「はい!」
ライが答え、
「はぁい!」
ラミも返事をしました。
「父さんはいまおまえたちに大切なことを教えているのだ。ひとことも聞き逃すな。聞かれたら、すぐに、返事をしなさい」
ラビーシェは厳しい口調で子供達に言いました。
「森の中できつねがやさしく声をかけてきても、甘い顔で近づいてきても、ぜったいに信じるな。それは、おまえたちをゆだんさせる、きつねのずるい手だ。わかったな」
「はい」
ライが答え、
「はぁい」
ラミも返事をしました。
このようにラビーシェは必要以上にきつねの悪口をいい、子どもたちの心にきつねのおそろしさを植えつけました。
ライもラミも、きつねの絵を見ただけで、きつねをこわがり、そして憎むようになりました。
ラビーシェは子供達のこうした様子にとても満足しました。そして、自分の教育のたまものであると誇らしく思うのでした。
そんなラビーシェに、
「あんたの教育は、まちがっていないか」といってくる年寄りうさぎがいました。
「子供達には憎しみや恐怖よりも、ほかに教えるべきことはたくさんあるだろう。たとえば、うまい樹の皮の見つけ方とかを。そりゃあきつねはずるくておそろしいが、やつらは食事のとき以外は近づいてこない」
「それは、きれいごとというもんだ。あんたは年をとってるけど、なにもわかっちゃいないな。食べられてからでは遅いのだ」
ラビーシェは聞く耳を持たちませんでした。
森という社会でうまく生きるには、危険なものに近づかないことが一番なのです。危険なものに会わなければ、いのちをうばわれる心配はありません。ラビーシェは子供達への自分の教育はまちがっていないと思いました。
ラビーシェがこう思うのはむりもありません。ライとラミの母さんは、きつねにおそわれ、食べられてしまったからです。ラビーシェと子どもたちには、きつねを憎む権利があります。この憎しみは、ほかのものにはわからないだろうと、ラビーシェは思いました。
樹の皮の食べ方も、おいしい草の葉の見わけ方も、生きてさえいれば自然に身につくものです。教えなくても、腹を満たすことはできるでしょう。しかし、憎しみやおそれを知らなければ、じぶんが相手の腹の中にいることになりかねないのです。
「おまえたちは長く生きるんだ。生きていれば、恋もできる、歌も歌える、夢も見られる。死ぬのは、つまらない。食べられるのは、ばかばかしい。だから、きつねには、かかわるな。近づいてきたら、逃げろ」
ラビーシェは子どもたちに教え続けました。
ある日のことです。
ラビーシェは腹をすかせた子どもたちのために、草の葉を集めにでかけました。
そこで草むらにワナを仕掛けている人間と、はち合わせをしました。ひげづらの大男は、ラビーシェに向かって、猟銃を一発うちました。たまは当たりませんでしたが、あわてて逃げた拍子に、ラビーシェは崖から深い谷底へ落ちてしまいました。
ラビーシェは死にました。
死の世界には、動物の神様がいました。神様は鹿のような姿で、若木のような角を耳の上に生やしていました。
ラビーシェは神様に頼みました。
「おれをもとの場所にかえしてくれ。子どもたちが腹をすかせて待っているんだ」
「腹がすいたら、そこらの草を食べればいい」
「そこらにあっても、子どもたちはじぶんで草をとらない。子どもたちはおれが与えたものしか食べないんだ」
「じぶんで草をとらないだと? おまえは子どもたちにいったい何を教えてきたのだね?」
「・・・・」
ラビーシェは何もいえませんでした。
「返事はどうした、ラビーシェ」
神様は知っていたのです。ラビーシェが子どもたちに憎しみと恐怖を教え続けてきたことを。
「おまえは父親としても失格だが、教育者としても失格だ」
自分ほどの教育者はいない。そう誇ってきたラビーシェの胸に、神様の言葉がささりました。
ラビーシェは泣き泣き、子どもたちのところへ帰りたいと、もう一度神様にお願いをしました。
「父親として、最後の食事をあげて、子どもたちに別れをいいたいんだ」
神様はちょっと考えて、
「それでは一日だけ、おまえに命を与えよう」といいました。「ただし、その姿のままもどることはできない・・・」
ラビーシェは谷底の川原で目をさましました。体がだいぶ重く感じました。それにこのいやなにおいはなんだろう。ラビーシェは川の流れに姿を映しておどろきました。ラビーシェはうさぎつねになっていたのです。心はうさぎのままでしたが、体と、声と、においは、憎々しいきつねのものでした。
子どもたちは父さんの帰りを待っていました。そこにうさぎつねが現れました。子どもたちはおおあわてで倒れた老木のかげにかくれました。ラビーシェはおだやかな声で子どもたちに話しかけました。
「おれは、おまえたちの父さんだ」
「・・・」
「ほんとだ、信じてくれ。おまえたちは、ライとラミだろう。名前も知っている」
「・・・・」
「腹がへっているんだろう。ほら、食え」
ラビーシェはもってきた草の葉を子どもたちのほうへなげました。しかし、子どもたちはきつねにおびえ、言葉をなくしています。しかたなくラビーシェは言い方を変えました。
「おれは父さんの友達だ」
「友達?」ライが聞きかえしました。
「おまえたちの父さんは用事ができて、しばらく家には帰れないそうだ」
「いつまで帰れないの?」
「ずっとだ、ずっと。・・・それで、おまえたちに食べものをあげてくれと、友達のおれに頼んできたのだ」
「うそだ。父さんにきつねの友達がいるもんか」
「うそじゃない。だから、遠慮をせずに食え」
妹のラミが草の葉に口を寄せようとしましたが、
「食べちゃだめだ」ライはとめました。「父さんがいってただろう。きつねはずるい手を使って、近づいてくるって。その草の葉はきっと毒にちがいない」
ライの言葉をきいて、じぶんは子どもたちに何を教えてきたのだろうと、ラビーシェはつらくなりました。じぶんはうさぎときつねというせまい世界でしか、教育を考えていなかったのだ。子どもたちがこれから生きていく世界は、とてつもなく広いというのに。その世界で生きるために必要なのは、憎しみでも、おそれでも、まして疑いの心でもない。生きるためには、とりあえず食べることだ。食べることが必要なのだ。
「頼む、食べてくれ!」
ラビーシェは願いましたが、子どもたちはうさぎつねの食べものを拒否しました。
ラビーシェはきつね姿のじぶんがそばにいるから、子どもたちが草の葉に近づけないのだろうと思い、ひとまず子どもたちのそばを離れることにしました。
ラビーシェは子どもたちのにおいもとどかぬ場所までやって来ました。そのときです。後ろの左足がなにかにかまれました。それは人間が仕掛けたワナでした。一度死んだ身だからでしょう。痛みは感じませんでしたが、ラビーシェは足をワナからはずすことができません。
じぶんはきつね姿のまま死んでいくのでしょう。これは、神様がじぶんに与えたバチなのに違いありません。
ラビーシェはワナにはまったまま黄色い星がまばたく一夜をすごし、ふたたび神様に召される時が来るのを待ちました。
朝方、近くの茂みがゆれ、ライとラミが現れました。兄妹はこちらへ近づいてきます。こいつらは、動けぬきつねにおそいかかるつもりなのか。やっつけろとは教えなかったが、憎しみと恐怖を学べば、相手を痛めつけたくなるのは当然だ。きつね姿のラビーシェはよろこんで、うさぎの兄妹の襲撃を受けようと思いました。
しかし、子どもたちは思いもよらない行動をとりました。おそるおそるそばまでくると、ラビーシェの足のワナをはずしにかかったのです。
ラビーシェは怒ったようにうなりました。
「なぜ助ける! 助ける必要はない! 誰がきつねを助けろとおまえらに教えたんだ!」
ライがいいました。「ぼくたちの父さんだよ」
「父さんだと?」ラビーシェはおどろきました。「おまえらの父さんは、そんなことを教えてないぞ。きつねは、こわいんだぞ。すきをみせたらおまえらは食べられるんだぞ。おまえらの父さんは、そう教えなかったか」
「父さんはね、きつねを憎め、きつねをおそれろ、きつねには近づくなっていうけれど、それは生きることの大切さを、ぼくらに教えようとしているからなんだ」
「生きることって、だれにも大切なことなんだよ。生きていれば、いっぱい楽しくて、夢もいっぱい見られるんだって」妹のラミもいいました。
「生きることは、みんなに大切なことなんだ。だから、きつねのあなたをぼくらは助ける」ライが力強くいいました。
うさぎつねは泣きだしました。
「おまえらは父親の教えを、なんにもわかっていないな。おまえらは、おれの子どもとしては失格だ。だけど、この森で生きる社会の子どもとしては、なんて素晴らしい子なんだろう」
この子どもたちなら、森のみんなにささえられ、腹も満たしていけるだろう。ラビーシェはきつねの手でうさぎの兄妹をだきしめると、安心して天国へいきました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?