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🇬🇧の花火のイベントの始まりとは?

11月5日は、イギリスでは花火の日。

1605、ジェームズ一世はエリザベス女王の路線を引き継ぎカトリックを弾圧、これに怒ったカトリック教徒であるガイ・フォークスは仲間とともにジェームズ一世の暗殺を目的とする火薬陰謀事件を企てる。ウェストンミンスター宮殿の議事堂で行われる開院式に参加する国王と、国教徒、ついでに清教徒(プロテスタント・ピューリタン)を爆殺しようというもの。

しかし、議事場に仕掛けた火薬を見張っていたところを見つかりフォークスは逮捕。計画は失敗に終わる。後に彼らは死刑。

このニュースを聞いたロンドンっ子たちは王の命が守られたことを祝い、あちこちでかがり火を焚いたという。

以来フォークスが逮捕された翌日の11月5日には「王の命を救った神への感謝」としてかがり火を焚く習慣となり、今は花火が打ち上げられる。この日は1859年までは国の祝日だったそう。

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なかなかややこしいイギリスの歴史なんだけど、
この背景にあるのは、
ジェームス1世は、スコットランド王、イングランド王としても弱体な権力基盤の上に君臨していたため、自己の味方を増やす為にと有力貴族たちに気前良く恩賜を授け、多額な金品を支出した。浪費で蓄えた借財は60万ポンドと言われる。さらに王妃アンの浪費によって国家財政は逼迫してしまうことにより、国民の生活が圧迫していたという事実あり。

その中でフォークスはじめ仲間達が、起こした計画。

議事堂ごと爆破しちゃえという考えは行き過ぎな感じはするけれどそれくらい当時の国民は、苦しかったんだろう。

だから、それを止めようと企て実行した彼らの勇気に密かに私は心の中で毎年拍手している自分もいる。
正義って、それを見て受け取る側がどこから見てるかによっても正義なのか悪なのか変わるよね。

個人的には全員一致で納得する正義って存在しないと思っている。

そんな彼の家族は、
母は、スコットランド女王メアリー。
(メアリーは、エリザベス1世の最大のライバル)
父は、彼女の2番目の夫ダーンリー卿。
わずか彼が8ヶ月のとき、父は母メアリーとその浮気相手により殺され、それにより国からの信頼が地に落ちた母は、その4ヶ月後に女王の名を捨てイングランドへ亡命。しかも、最終的にはいとこでイングランド女王エリザベスの暗殺を企てたとして処刑されるという両親を持つ。

歴史はいつも勝者に都合の良い歴史であり、それが全て本当でないことは勿論だけど、だからこそそこからも何か学ぶ事ができる。

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