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【間】
福岡への空の旅
モンゴルで見た雪の平原のような雲
今、わたしに訪れている感覚は、
あのモンゴルの旅で感じた空気感、
そして2016年末に感じていた空気感にも似ている。

これまでを導いてくれた何かが
解体され、何かが生まれようとしている。
そんな何かと何かの”間”にいる感覚。

雪の平原は、こころの景色にも近い。
雪が覆う大地は凍っている。
”凍る”という作用は、どろどろになったものを
結晶化させる。

冬という季節は
そんな「結晶化」の季節。

冬至を迎え
内側の太陽が復活する。

復活した太陽は
徐々に結晶化したものを溶かしていく。

そして、外気はますます寒くなる季節、
大地は、復活した太陽の熱に溶けて、
冷たい外気に触れて凍り、結晶化を繰り返す。

それは、これまでの経験や体験を凝縮し
純度の高い「エッセンス」を取り出していくような作業。

この時間にどれだけ結晶化を繰り返すことができるかは
その後に大きく影響する。

わたしたちは、その中で
見守るということを学んでいくようにも思う。

そうしているうちに「土」はこれまでの「形」を壊し、
固まった土は、水と空気を含みやわらかくなり、
取り出されたエッセンス(種)を再び大地に蒔く。

その種が芽を出すかどうかは委ねられている。
そこにあるのは、希望だ。
これは、やぎ座⇒みずがめ座のプロセスでもある。

一方このプロセスのバトンを受け取る”春”は
芽が出ないわけないだろ?
というような確信がある。

水もある、温度もある
内側の生命力は高まり
この中でどうしてじっとしていられるだろう。

時に冷たい風に震えても
”わたし”の誕生に世界が歓喜することを知っている。


今、わたしの中で結晶化が始まっている。
この秋、こころとたましい、体感覚に触れたものたちを
わたしの「貝」の中に放り込んだ。

あとは、冬にまかせよう。
内側でひそやかに復活する太陽の力と外気温の冷たさに。

2021年アタマで考えたことは
すべて消え去った。


こころは、今、
こんな抜けるような青空の雪の平原に立っている。


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