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備忘録5 ステファンという名の野良犬(3)タイ

ステファンはいつの間にか家に棲み着いていた野良犬だ。

お手もおかわりも全部できて、周りの人間たちは自分を「ステファン」と呼んでいるとすぐに理解し、名前を呼べばやって来る。

私はステファンのことを「フリーランスの犬」と呼んでいた。

私はフリーランスのデザイナーやジャーナリスト、アーティストたちと家をシェアしていたから、そこに棲む犬は「野良犬」ではなく、「フリーランスの犬」という意味で、そう呼んでいた。

フリーランスらしく、ステファンは自立していた。

暑い日中はずっと寝て、夕方起きてウロウロして、お腹が空いたらみんな(人間)とかかわりあって。かなりインディペンデントでドライな犬だと思っていた。

あるとき、日本人の友人がタイの会社を退職して日本に帰るというので、二人でタイ北部のチェンマイとメーホンソンへ5日ほど旅をして家を空けたことがある。

旅からバンコクに帰ったその足で、タイ人の友人が照明を担当する舞台を見に行き、食事をして深夜3時にやっと家に帰ってくることができた。

玄関先に置いているベンチに腰をかけて、部屋に入る前に一息ついて、物音にびくともせずに寝入っているステファンを眺めていた。

するとステファンはムクっと起き上がって、寝ぼけた顔をしてトコトコと私の方へ近寄ってきた。そして座っている私の直角になった膝下に、犬の鼻の上の長い部分を差し込んで、ぴたっと止まってしまった。

そう思えば、今まで一度もステファンが自分から人に飛びついたり、体を触れたりするところを見たことがなかった。

私は少し戸惑ったけど、それがステファンの「寂しかったよ」という合図だと受け取り、「ただいま、ステファン」と言って背中を撫でてやった。

野良犬として紛れ込んできたけど、きっとどこかで誰かに優しくされていた時期もあったんだろう。野良犬の自分には誰も触れてくれないと知ってか、遠慮して甘えベタな犬。この家で唯一、ステファンを撫でていた私になら拒否されないとわかってか、寂しさを鼻で伝えてきたんだろう。

人も車も全く通らなくなったとある深夜、私は当時好きだった人と一緒にステファンと散歩した。

大きなお屋敷もある住宅街の路地を、ステファンは昼間では想像もつかないほど、生き生きと軽快な足取りで進んでいった。

街灯の明かりでステファンが小さく見えるところで私たちは立ち止まり、まるで別人(犬)のようだねと言って、その様子を眺めていた。

どこかの家の飼い犬が、ステファンに向かって「ワンワン」と吠えている。ステファンは黙ってじっと見ている。まるで違う生き物を見るように観察している。

「ステファン、帰ろう」とタイ語で呼ぶと、すぐにステファンは私達の後を追って来て、3人でゆっくり歩いて家に帰った。

これがステファンとの最後の思い出になった。

この直後、タイ国内の混乱で私は日本に帰国した。ステファンは私がもう帰ってこないとは知らずに、空港へ送ってくれる友人の車に乗る私のことよりも路地の様子の方が気になるのか、キョロキョロと確認していた。

そして日本に帰ってから2週間もしないうちに、友人からステファンはそんなに長くないかもと知らせを受けた。それから数日のうちにステファンは息を引き取った。

後日、みんなでお寺に埋葬してきたと報告を受けた。そのとき、ステファンがタイ人に見守られていて本当に良かったと心の底から思った。

動物、しかも野良犬の命を最後まで大切に扱い、さらにステファンをかわいがっていた私の気持ちも大切にしてくれていたと感じて感謝しかなかった。

その後、ふと思い出した。ステファンがまだ家に来る前、私が日本に一時帰国する直前に、家に入ろうとした野良犬を追い払ったことがあった。「ダメ!」と叱った私に、軽く吠えてきたあの犬はまさにステファンだった。

諦めずに家に来てくれたことに感謝している。「終の棲家」ににぎやかな家、兼オフィスを選んだ賢い犬、ステファンは永遠に私のタイの友だちだ。

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