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好きに生きてください。

今年で59歳になった。
アラ還という奴かな?。

まあ「カンレキ」という言葉が、昔ほどには意味を持たない事は知っている。
今のところは大きな変調は無く、毎日服用しないといけない薬も無い。
衰えは感じるけれど、高齢者という言葉にもピンと来るものはない。

ただ「ああ、ムリだ」という気持ちになることが多くはなった。
例えば「北海道をバイクで走りまくりたい」というような事は、まずは考えない。
体力、金力、時間力…足りないものが多すぎる。

羽田から飛び立って、稚内に降り立つ事は可能かも知れない。
ただ、旅のプロセス自体は少ない。

こう言うところが困るのだ。
行けるけど、それだけ、という。
旅を楽しみながら、同時に様々な課題をクリアしていくには、前述したような要素が必要で、それはこの国では「贅沢すぎる生き方」と解されてしまうものだ。

不思議なものだ。
バイクで北海道、というのは、その費用だけの内訳で言うならば、乗用車でのソレよりも多分、少くて済むはずだ。
野宿や、キャンプ地でのテント設営を交ぜて行ければ、車よりは燃費も良いはず。
距離を稼ぐような走りをしなければ、日常との違いなんて「日々走ること」だけだから、多くの支障は無いはずなのだ。
三度の飯を食い、排泄して寝る。
大きな違いは日常も、旅の空でも、無い。

どうしてこれが「贅沢」なのだろう?。
アラ還になって、今まで疑問に思わなかった事が、妙に引っ掛かるように感じてきた。

人生の時間なんて、自分含め、誰にもわからない。

…先日、知り合いの方が急逝された。
私と十と幾つかしか違わない。
まだまだ沢山の出来事があって、曾孫の顔も見られたかも知れない…生活苦とも遠そうで、密かに羨ましいと感じても来た人だった。

自分よりも若い人も幾人か失くして来た。
彼らもみな、前途ある人々だったし、私は彼らの事が好きだった。

好きに生きるのは、贅沢とかじゃないよ。

いつの日か終わる人生。
たった一度きりの人生。
どんな使い方しても良い…出来る限り、誰かの人生を傷つけないでいられるならば。

出来る限り、生まれついたならば…好きに生きていって欲しい。
どんな場所でも、環境であっても。
それが皆の常識となったなら…きっと贅沢な人生などという言葉は消える。

…そういう時代と、国が好きだな。







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