標準レンズ一本勝負!!(プロローグ)

標準レンズ一本勝負!!…なんて大袈裟なタイトルをつけてみた訳ですが…。
要は「リハビリ」と「懐古」と「やり直し」がしたい気分になったのです。

今、メインで使ってるレンズは、ほとんどの被写体がイメージに近く撮れます。
これはコンデジも含め、そうです。

もちろん、シャッターを押す前にも構図を決めたり、ピント位置を考えたりするわけです。
しかしそれでも…例え上手く撮れたとしても満足感がない。
言葉にするのが難しいのですが
「これは写真じゃないな」
…と思ってしまうのです。

ここからは昔話になります。
私には重度の障害を持った叔父がいました。
彼は残存機能を使い、絵を描いていました。
叔母も協力的で、私と叔父を連れて、風景のスケッチによく出かけてくれたものでした。

スケッチだけでは大まかにしか描けませんので、写真を必要とします。
そこでカメラが必要となりますが…風景は大方がワイドなので、最初は50ミリだったレンズは、やがてズームとなりました。
撮影は私の役目だったので、題材を撮ったり、記念写真を撮ったりしました。
それが私の写真のルーツになります。

撮影をするとき意識してしまうのは「正確に撮る」ということです。
それは、絵の資料としては大事なことですが、写真作品を撮る上では絶対というものでは無いはずです。

写真にはボケというものがあり、立体感も重要な要素です。
ズームだと、ボケを強く感じさせるには些か暗く、被写界深度も深くなりやすい。
平面的になりやすいし、ボケ具合もどこか急であって、階調に乏しいわけです。

ボケの要らない被写体もありますが…やはりどうしても欲しい場合もあります。
被写体が遠望の風景なら無視できた事が、より距離の近い被写体の場合、何か何処かがおかしい、イメージ通りじゃない、という齟齬がモヤモヤと沸き出てくるようになってしまったのです。

気付いたのは良いのですが…妙な意地と言うか、我慢のような気分が抜けませんでした。
ちゃんと撮れてるんだ、良いじゃないか?という…そんな、どこか諦観めいたものを抱えながら撮影を続けてきたのです。

しかし…他人に嘘はつけても、自分に嘘をつくのは難しいものです。
正直最近は限界を感じていて、撮影が面白くない状態でした。
…かといって、写真を辞める理由など見当たらず、別に嫌いになったというわけでも無いので、迷走状態は止まらなかったのです。

昔の…写生旅行のお供の頃の事が頭に浮かびました。
画角の足りない50ミリを嫌って、ズームレンズに代えようよ、と叔父にせがんでいた、あの頃。
…私は、その過程のなかで、50ミリを勝手に見限っていたのです。
馬鹿にしていたのです!!。

叔父も数年前に亡くなり、叔母も未だ若くして現世を去っていきました。
今…標準レンズを振り返らなければいけない…と、そう思いました。
捨ててきてしまった存在に、もう一度ちゃんと向き合ってみることで、写真というものを見返してみたい。
私自身、どこまで生きられるか不明ですし、生きてきた時間のなかで、比較的大きな比重を占めてきたものに、自分なりのケジメを着けるべきかと思ったのです。

…これからどう動いていくかはわかりませんが…それは先の事。
今やってみたいのは、無視してきた「こと」に対しての再アプローチ…学び直しです。
撮影した写真については、noteに順次上げていきますので、ご高覧くださいませ!!。







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