見出し画像

ALS嘱託殺人事件に思うこと

医師二人によるALS患者の嘱託殺人.同業者として全く信じられないし,ALSの人生選択やその後によく関わっている人間として,同情もできない事件ではあるが,決して他人事ではないと思ったこともあった.

一人は厚労省医系技官を7年ほど勤めた後に宮城県で緩和ケア・メンタルクリニックを開業したという.彼のTwitterはmhlworzという,厚労省(mhlw)とアスキーアートのorzを組み合わせたオタクにさもありがちなハンドルネームを名乗っていた(実際に彼は鉄道オタクとアニメオタクのアスペルガー症候群であることを妻は明かしている).そのTwitterを覗いてみるとマスコミ報道が騒ぐほどに優生思想を説いているようには見えない部分もあった.

アフターケアが万全の消化器内科医
「老衰でお食事が苦手なあなた!本日はPEGのご紹介」
「ビタミン、ミネラルなど不足気味の方への栄養補給に」
「今なら期間限定でトラブった時の腸瘻もプレゼント」
「さらに、CVポートもおつけします」
「もちろん金利手数料分割手数料は全部無料!」
脳血管障害っぽい症状が出た90代に往診。
「先生に言われたとおり、寿命と考えてこのまま往生で」
と家族。救急要請はしない既定路線で。
「Cheyne-Stokes呼吸が出てます。数時間以内には亡くなるでしょう」と説明し「お世話になりました」と。浮いた医療費数百万。家族の笑顔プレイスレス

表現の仕方は匿名のネットユーザー独特の穿った見方や書き方だが,それを差し引くと日本のすぐに延命治療に持っていきがちな医療文化の負の側面に逃げずに焦点を当てているようにも見える.特に延命はしたけれども家族や周囲のサポートが不十分で本人が生きがいを感じられないような,尊厳が保たれていないような現実を皮肉っているように私には見えた.

実際のところ,現場を知っている人間として,そういうケースは少なからずある.胃ろうは作ったんだけど,結局自宅でみることができず施設に入り,家族は面会に来るのかと思ったらだんだんと足が遠のいていったとか,家族が本人の人生観や価値観を十分に考えず,自分たちの「辛くない」無難な選択を安易に選んでしまうケース.

医療や介護に携わるものであれば,優生思想など持ち合わせなくても,「これでいいのか」と一人の人間として思える事例は数多く存在する.その背景には個々の家族事情や経済事情,地域の介護資源の問題などがあり,決して誰かが悪いと断言できるわけではない事も多いのだが,患者や利用者のそばで毎日世話をしている人間からすると不条理に感じるようなことがあっても不思議ではない.いやそれは現に日常的に起こっている.

彼のクリニックの利用者は,彼について「優しい先生ですよ」とコメントしている.Twitterにも当直中におむつ交換を手伝ったという記載もあった.そんな医者は今の時代,はっきり言って稀有である.少なくとも普通の患者さんには彼はしっかりと寄り添っていた.彼にはそういう患者さんとの近さがあったからこそ,この矛盾した現実をなんとかしたいという思いが募っていったのではないか.

ここまでならば,ただの「良い先生」「広い視野のある熱意のある先生」で済んだはずなのだ.だが彼はなぜか方向性を間違った.そんな現実があるなら,初めからそういう事態を起こさせないように「枯らせばいい」「死なせればいい」とネットで発信した.自分もそうだが,ネット上では多くの人が言動が投げやりで過激になる傾向があるので,どこまで本心で思っていたのかは分からない.ただ,そこに彼の厚労省勤務経験という「マクロ視点」の癖とアスペにありがちなメタ認知の苦手さが災いしたのではないかと私は思っている.

自分も日本の増大し続ける社会保障費の問題や医療介護人材の不足に危機感を覚えて,学生時代に2週間だけ厚労省の見学に行ったことがあった.みんな真剣に働いていたし,5号館のエレベータでこっくりしてしまうほど過酷な勤務をこなしている人々ばかりである.地方の9時5時公務員とは違う.ただ,彼自身が指摘するように,自分たちが政策を動かしているという意識が芽生えるだけの強い権限を持っていたし,普通の若い医者であれば直接話すこともできないような学会の重鎮たちや国会議員とやり取りしていくのが日常的な仕事であった.当然ではあるが一つ一つの現場の問題解決よりは,全体を見ながら問題に関わる重要な利害関係者の要求をバランスよく収めるマクロ視点での調整が中心の仕事であった.

そんな中で,とある患者団体から陳情を受ける機会に同席させてもらった後,自分の面倒を丁寧に見てくれいた尊敬できる医系技官の先生(今回の容疑者ではない)から思わぬコメントを聞いたのが今でも忘れられない.

「こういう人たちはね,年老いてお金がなくなってきたから,今になってこういう問題を持ち出してきているんだよ」

たぶんそれは事実で,決して間違ってはいないことだと思うのだが,そういう裏を読みながらというか,穿った見方をしていかないとやっていけないのが中央省庁の世界なのかと少しショックを受けてしまった.多くの医系技官は数年現場を経験してから入省することが多いのだが,現場から離れてマクロな視点でものごとを見ていくと,個別の患者の苦しみよりはお金がどうとか,力関係がどうとか,そういうことばかりに視点が行きがちになるのかと思った.彼のTwitterでの発言を見ていると(政策的な予備知識がないと理解できない略語も多いが),まるで上記のような官僚の本音をそのまま吐き出したんじゃないかと思える記述が多い.彼は現場に戻った後も結局のところ官僚の思考回路から脱し切れていなかったのだ.

しかし仮に官僚の思考回路から脱し切れていなかったとしても,こんな突拍子もない行為に至るとは考えにくい.本音として思っていても行動にはつながらないし,個別の患者さんの事情を見ていくとやむを得ないと思えることも多いからだ.しかし,彼はアスペルガー症候群だった(らしい).言われた内容を字義通り捉え,サリーアン課題に代表されるようにメタ認知が苦手な発達障害だ.

おそらく通常の医療者であればALSの患者が死にたいと考えているときに,「じゃあそれを実現してあげましょう」とすぐにはならず,まず「なんでそう思うのか」とか,「そうじゃない選択肢も考えているじゃないか」とかそういう心理背景を読み取るアプローチから始めることが多い.医者はそういうのがどちらかというと苦手な人種だけれども,少なくとも自殺願望という重大な事態を前にして,さすがにそのアプローチをすっ飛ばす人はほとんどいない.

さらには安楽死を実現することで周囲の家族はどう思うのかとか,船後議員が指摘するように二次的に「生の選択」が狭められていく社会風潮を作りはしないかとか,家族や社会的な副作用の面にも目を向ける必要がある.中央省庁的な穿ったマクロな見方はできるが,「自分と患者」以外の身近なちょっと広い視点や気持ちを客観的に想像できないのがアスペがもたらした弊害なのだろう.

医療の現状を憂える「良い先生」だったはずの彼に,この2つの要因が重なっために方向を見誤り,「真の寄り添う医療」とはかけ離れた安易な嘱託殺人を行ってしまった.私にはそのように見えてならない.

多くの憂える医師はこんな短絡的な方向には進まず,まずは家族を巻き込んでいこうとか,ACPをじっくりやっていこうとか身近なところから医療の現状を変えていこうと思うだろう.だが,医療現場にありがちな「燃え尽き症候群」などになってしまうと,こういう道に転がり込む危険性は常にある.

介護職にとって植松理論が他人事に思えないのと同様に,「良い先生」と「ドクターキリコ」は実は紙一重であり,自分も含めた医療者全体が十分に注意する必要があると改めて思った.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?