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#82 「若く見える」がショックだった話

美しい友人がいます。
歳は10ほど上ですが、いつ会っても背景に大輪の花が咲いているかのような華やかな空気を漂わせています。
何が綺麗なのだろうと考えてみたところ、彼女は殆ど不自然じゃないということに思い当たりました。「若く見える」は褒め言葉ではないのでは、と彼女を見ていて思います。

先日保育園の保護者の集まりがありました。終盤お酒も入って誰かが年齢をカミングアウトし、その流れで全員が「私は●歳」「●年生まれ」と言わなくちゃならない空気になり。わたしも「あ、同い歳です」と小さく手を上げました。すると大袈裟に「えーっ うそー!!平成生まれかと思ってたよ!」「ぎゃー本当?!20代じゃないの?」などと言われて注目を浴びてしまい、消えたくなりました。「いえ、まさか、あはは」とか言ってその場を凌ぐので精一杯。帰宅して1人落ち込みました。

若く見られるのは嬉しいですか?


肌や髪が綺麗、なんかは間違いない褒め言葉として素直に受け止める(ありがたく頂戴するしなんならもっと言ってほしい)けれど、「若く見える」と言われるとまるで「そんなに未熟なのに実は歳は食ってたのね」と言われている感じがしてズドーーンとくらってしまうのです。
考え過ぎ?いやいや、本当に。

人間の深さとか、経験の多さ、乗り越えてきたもの、品、
耳が痛くなるような諸々がそろそろ顔に出てくるお年頃… (アラサー世代)
本当に若いママと“ 若く見えるママ“ はまるで別物です。

あの場で若く見えると言ってくれたママたちは、殆ど社交辞令を言っただけで
「え、あんなに気を遣えないのに35?」とか
「スニーカーにキャップで仕事行ってるのに35?」とか、
わたしが恐れる様な他意は含んでいないのかもしれません。でも普段のわたしのラフな格好や、送迎時に交わす薄っぺらい会話からは年相応の「落ち着いた大人」の印象は得られなかったということは確かでしょう。

わたしはと言うと、人の年齢を推測するのが恐ろしく苦手なのに加え、あまり人に興味がないのでじっと観察したことがありませんでした。卒園を目前にして初めてママが全員集まった時、マスクなしで初めてお顔を見た方もいて「美人なのに喋ると面白い人だな」とか「いつもネイルが可愛いな」とかしか思ってなかったのです。
でも子供が同い年だからといって母親の年齢は様々で当然。背景も、職種も、まるで違うのだから「子が同級生」というただ一つの共通点を持った奇跡の集合です。
「37です」「45です」と言われても「へぇぇ」としか言えない・わからないわたしは自分には「35らしさ」が欠落していることを突きつけられたようで、小さくなって座っているしかありませんでした。


冒頭の美人の友人は、勿論お金も時間もかけて美を磨いているような人です。しっかり子育てしながらもレーザーや注射をして、運動にお花に語学教室、日々のセルフケアも十分に行っている。(たぶん高級な)身だしなみも彼女にとても似合っているし、元来のスマートさと育ちの良さが滲み出るような女性なので、なぜわたしと仲良くしてくれるのかわからないほど。
そんな努力を感じさせないのもまた彼女の不思議な点なのだけれど、
【一生懸命若い世代の真似をする】ことは美しくなく
【今の自分を受け入れて磨く】ことで人は輝くのかなーなんて思ったりしました。
揶揄するつもりがないならば、年が近い人に「童顔だね」とか「若いね」とかいうのはよそうかな。
たとえ他意がなくとも、褒めるなら他の言葉を選んで褒めるのが良いかもしれない。


35 らしさってなんだろうか。
未熟さではない若々しさって、どうやって醸し出されるんだろう。
責任や努力から逃げてきたことって見た目にも現れるのだろうか。

子供に母にしてもらって6年、鏡の前でブツブツ言っているわたしは
まだまだ修行が足りないようです。

るる


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