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#32 「素」を晒さずにわたしの純度を上げてみたら幸せかもしれない

ここ数年、わたしの純度が高くなっている気がする。
元々自分は自分以外の何者でもないのだから妙な言い方だけど、
他人から掬い上げては自分に貼り付けていた要素がはらはらと落ちて
剥き出しのわたし自身が器質化してきている様に思えて
ちょっと怖い。

学校に行っていた頃は、年の近い色んな人に囲まれて
刺激を受けたり、誰かを真似たり、違うキャラクターになってみたりする時期だったなぁと思う。
憧れて真似てみたことでも、馴染まずにあっさりと元に戻ったり
まるで初めからわたしの要素だったかの様に振る舞っているうちに
本当にわたしの一部になっていたり
そうやって「わたしって誰」と問い続けて「らしさ」を周囲に認知された時
それが目指すところに近ければ近いほど「しめしめ」と喜び
安心したかったんだろう。

そんな他人の目が気になるお年頃は結構長く続いた。
しょうもない、と言われるかもしれないけれど「モテ」を意識して髪型や服や趣味を選んでいた頃。(はずかしい)
まぁまぁそれはうまく行ったし、そんな自分もいいんじゃない?とさえ思っていた
おめでたい女だなぁと今のわたしが見れば思うんだろう。
つまりその中にいる人に「ねぇちょっと、目を覚ましなよ」と言ったって
たいてい無駄になってしまうあたりが辛い。
でもそんな頃から「らしさ」や「軸」を持っている人の輝きには気がついていた。
ただそれがなんなのか、どうすればその境地へ行けるのか、鱗だらけのわたしにはさっぱりわからなかった。

大学の頃は彼氏に愛される可愛い彼女でいたかったし、それも確かにわたしだったけど数年後に躊躇いなく葬ることになる当時の価値観は
あっけなく黒歴史に転落したから笑ってしまう。
しかし就職し、職場に目指したい人を見つけられなかった日々は恐ろしくつまらなくてぼんやりしていた。仕事をしにいくところでメンターみたいな人に出会えるのは多分ラッキーだと思う。
殊にわたしの職場は(言葉を選ばなければ)変わり者が多くて「ここにいたらわたしもこうなってしまう・・・!」という危機感に1人喘いでいた気がする。残念ながらわたしもその変わり者の1人に過ぎないわけなのだが。

ところがある日わたしはサードプレイスを見つける。
失恋し、友達はみんな就職して遠くへ行ってしまい、「ちょっと痩せるか」と飛び込んだジムでわたしはもう一度生まれることになった。
楽しくてたのしくて仕事よりも熱心にジムに通った。
体重はするすると落ち、明日何を着るか迷わなくなった。色んな年代の友達ができて、週末になればBBQにキャンプ、フェスに旅行と大忙しだった。
ちょっと前のわたしが霞んでよく見えなくなるほど生き生きしていたと思う。
まさに水を得た魚だが
たくさん貼り付けてきた鱗はいとも簡単にはげた。すごく楽になった
それでも強くみずみずしくエネルギーに溢れたわたしでいるために犠牲は払うことになる。
取れてしまった鱗のわたしは両親には評判が良かったのだ
変わってしまった娘に父親も母親も戸惑っていた。
衝突は避けられなかった。

若さと、勢いでもって突き進んだ20代後半、わたしは結婚した。
仕事もそれなりにうまく行っていたし、すぐに息子が生まれて母となった。

ジムに行けなくなった
これまで後ろを向くことはして来なかったのに、あの頃のエネルギーを取り戻したい、と焦った。
思いとは裏腹に目まぐるしく変わる環境に自分をフィットさせるしかなかった。
ここでまた落としたはずの鱗を拾っては貼り付ける日々が始まった。
息子が生まれて幸せなのにひっそり不満があることはいけないことだと思っていた
だから傷つかない様に鱗が必要になったのかもしれない

鱗は長く貼り付けていると剥がれなくなるし
内側まで浸透してくる気がする。
たくさんの「〜べき」や「〜なくてはならない」に悩んだ。
引越し、転職し、退職し、
住むところも取り巻く人々もガラリと入れ替わった
息子もある程度目が離せる様になって来たここ何年か、静かにその鱗がまた剥がれてきていることに気がついた。

誰かに認めてもらうためではなく
わたし自身のために身綺麗にし、
他から選んでもらうためにではなく
健康のために欲するものを調理し、
実益や行為としてでなく
咀嚼して心の栄養にするために本を読む様になった。

1つづつは小さいことだけれど
家族に向き合い、自分に向き合ううちに
結局初めの自分に戻ってきた様な気さえする。
多分10代の頃の柔らかさはもうないけれど、確実に固まってきたところも自分なんだなとしげしげと眺める様な余裕もある。
くっつけては落とし、また違うところに貼り付けた鱗は
痕跡だけ残して消えていくなんて随分と都合の良いもんだなとぼんやり考えたりする。

ありのままのあなたでいいのよ、と息子に言うくせに
勝手な親の希望をしょわせたりするのはやっぱりよろしくないよね

こんな歳になって「素」でいるなんてみっともないなんて思っていたけど
違うのかも。
すっぴんを見せなくても純度を上げることはできる。
真剣に向き合って選んだことも、なんとなくそうなったことも、
全部今のわたしに繋がるから
ちょっと背伸びして先を覗いてみて手が届きそうなものを見定めること
無理そうならとりあえず今はしまっておくこと(また取り出せる様に)
その時の自分に必要なエネルギー値で、心地よい方を選べる柔らかな心を持っていれば、自分を裏切らずに純度高く穏やかに日々過ごせるんだとやっとわかってきた気がしてます。

るる


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