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ゆで卵について

小さいころは卵料理といえば、卵焼きだった。妙に食に対して潔癖というか、食わず嫌いというか、それ以外は食べなかった。目玉焼きもゆで卵も、なんだか火が通ってなさそうだったり、黄身がぼそぼそで食感が気持ち悪そうなどという理由だったと思う。

大人になった今ではどれも食べられる。とりわけ、ゆで卵が好きだ。会社へ通勤していたころは、コンビニのゆで卵を昼休みに買って、おやつ時にこっそりデスクで食べていたり(なので静かに殻を割るのがうまくなった)していた。

ただ、家で作るときは気合がいる。よしっと腰を上げないと作る気になれない。

まずは茹で時間をちゃんとしないといけない。贅沢にも黄身はちょっと固まりかけが好きなので、結構厳密に時間を計らないと固すぎたり、逆に柔すぎたりする。見た目に反して繊細な料理である。

ゆであがりを待っている時間も、切羽詰まったお腹の空いた状態だとつらい。

そして最大の難関は殻向きである。これも切羽詰まった空腹だと、つらい。握りつぶしそうになる卵を大事に、大事に扱わなければならない。

ようは、ゆで卵は空腹のときに作るものではない。心とお腹に余裕があるときに、丁寧に時間を重ねて作っていくものなのだと思う。

実家にまだ住んでいた頃、母がよく作ってくれたことを思い出す。朝、特に休日に作っていた気がする。

一階がダイニングで、二階が子ども部屋だった実家で、朝になると決まって上まで上がってきて、私に声をかける。たまごサンド食べる?

まあ生意気に、朝は何も食べたくないなあ、と思いつつ、ああ、うん、と生返事を返す。するとかちゃかちゃと、お盆に乗せて、たまごサンドと紅茶を持ってきてくれる(我が家では決まって母が幼少期から朝に紅茶を淹れてくれる)

食べていた頃は、まあのんなもんか、と特に何も思わず母が作ったたまごサンドを食べていたが、今考えれば手間隙のかかった、愛情だったんだろうなあ、そうであればいいなあ、と思う。

その愛情に気づかなかったことが少し悔やまれる。いつだって、思い返して気づくことが多い。できるだけ、見逃さないように生きていきたい、とゆで卵を作るたび、そう思う。



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