見出し画像

月刊とろろ 11月号

2020/11/17

休職をしてから、1週間がたった。

今日はかなり調子がよかった。朝から動けたし、掃除もできた。ゴミもまとめたし、届いてた荷物を開封してしまった。カーテンの洗濯もして、病院もすんなり行けた。
新しく届いていた(元気なときに頼んでいた)カーディガンもちょっと派手だけど、小金持ちの韓国ギャルみたいな感じになれて気分にマッチしてよかった。
気分が沈まない、無力感とか自己否定しないことが治ってきていることらしい。よかった。
なんというか、ずーっとデフォルトでいままでの人生自己否定の連続だったから、このタイミングでポキっと行けてよかったのかもしれない。(折れる前に休めるのが一番いいと思うけど)
調子悪いと起き上がれなかったり、難しい・複雑なことができなくなったりするので、できる限りのことはできるときに、しかし無理しない範囲でやろうと思う。

パソコンで文字打つがとてもいい。久しぶりの感覚。スマホでポチポチやるより、俯瞰的?に見られるので考えがまとまりやすい気がする。あと、長く書いていて疲れない。

2020/11/20

やっぱり体調に波があって、おととい、昨日は動けなかった。ぼーっとベッドに寝転がって、スマホでツイッターとインスタしか見られない。あとはメールの簡単な返信。

段々罪悪感が芽生えてきて、漠然とした不安、このまま生きていけるだろうか、みたいな、その時々でどうにかすればいいような不安、漠然とした未来への不安に苛まれていた。とても疲れる。ついに死んじゃおうか、とか思ってしまって、とても疲れた。
罪悪感が芽生えるときは、必ず、とりあえず寝て、時間を強制的に送ろうと思うけれど、最近体の調子はいいから、なかなか寝付けない。それはそれで焦ってしまって、いよいよ具合が悪くなる、という悪循環だった。
朝起きたときから16時くらいまで最悪で、寝て、起きるとだいぶましになる。それで19時くらい。そこから簡単な料理をして、食べて、軽い睡眠薬を飲んで、また寝る。
非生産的な生活が耐えられないのかもしれない。生きているだけでいい、いまは生き延びられればそれで百点なんだけど、不安になるよね。まあしょうがない。
昨日は治部煮を作りました。柔らかい大根がとてもやさしくておいしかった。

11/25

だれもがミューズ

相変わらず体調や気分に波があって、寝すぎてしまうことも多々あった。それでも転職のやらないといけないことはできた。えらい。

昨日ヒルナンデスに福田萌子さん(バチェロレッテの人)が出ていて、朝のルーティーンや夜ご飯の風景が紹介されていた。朝起きて白湯飲んでヨガして走っているだけで超楽しそうだった。わたしも楽しいことをしたい。そう思った。

散歩、歩くことがいい、できたら音楽を聴きながら、というのを見て、昨日は病院の道中久しぶりに、本当、三か月ぶりくらいに音楽を聴いた。働いているときも元気がいいときはよく朝出勤の時は聞いていたけど、体調の悪い日や退勤後は聴けなかった。多分帰ることしかできないくらい疲れていたんだろうな、と今は思う。
一曲目はキリンジが流れて、とても心地よかった。そうか、音楽って心地いいのか、と思い出した。
そのあと、好きだった女王蜂を聴いて、なんだか気分がすごく高揚した。同時に久しぶりの感覚で涙が出た。何度もイヤホンに励まされて、激励されて、慰められて、てくてく歩いて戦ってきた。
いまは吉澤嘉代子を聴いています。「戦ってるあなたは美しい」
そう、わたしは美しいのでした。

11/27

25日に面接を受けて、どっと疲れてしまった。それでも昨日は、出すべき手紙を出して、本屋へ行って、本を買った。

働いていたときは本を読む余裕なんてなくて、スナック的にみられるツイッターとかインスタばかりだった。SNSって、飛び込んでくる内容を完全に精査したり、選別したりできないから、たまに暗い内容とか、苦手なポストがあった。ブロックなり、内容によってはツイッター社へ報告する機能を使っていたけど、やはり無防備な心にはつらい。いまは特に心が弱っているから、見ないほうがよいのでは、という考えに至った。

字を読むのは好きだから、趣味だった読書とちゃんと向き合う時間を作って、本を読む習慣を取り戻そうと思った。学生の時は、たくさん読んでいたし、研究の時もちゃんと読んいでた。そして苦じゃなかった。
三冊買った。一冊はエッセイ、そして学術書、あとは芥川を買った。『藪の中』が好きで、それが入った短編集。表紙がアニメのイラストが描かれていて、少し恥ずかしかったが、カバーは外してしまうので買った。
そのあと、20分くらいゆっくり散歩をした。音楽を聴いていたが、途中で疲れてしまって外した。平日なので静かだった。それでも学生は多くて、若い子が何かを食べながらだったり、携帯をいじりながら歩いていた。小さい鞄とストールを羽織って歩いているわたしは何者に見えただろうか。
道中、近くの大学にあるカフェのオープン席に、お年寄りが多く座っていて、いいなあと思った。

スーパーや本屋は寄れるけれど、ごはん屋さんとかカフェで何か食べる、というのは気乗りしない。多分疲れてしまう気がしている。誰かといっしょなら大丈夫な気がするけれど、いまは家で紅茶やコーヒーを嗜もうと思う。無理はいけない。

ご飯を作って食べる、という行為があまり気乗りしない。空腹よりめんどくささが勝ってしまう。

大体、完全に起き上がるのが12時とかなので、昼ごはんの時間になっている。そこから起き上がって行動するのに1時間くらいかかるので、もうそのころにはお菓子とかフルーツとかつまんで誤魔化してしまう。おそらく体調が戻ってないからだとは思うけれど、生活リズムを整えないとなあ、と思う。
がっつりとしたご飯、味の濃いものを食べる気になれないので、上記のとおり、果物を買うようになった。みかんやぶどう、さつまいもなどなど。一日でそれしか食べない日もあるので栄養価が心配。

テレビをなるだけ見ないようにしている。昼間は元気であればヒルナンデスは見るが、そのあとはテレビ朝日でやっているミステリードラマしか見ない。それが終わったら消す。

ニュースを見ていると、悲しくなる。いまわたしは正規雇用でそれなりにもらっていて、いざ会社にいけなくなっても傷病手当があるからなんとか生き延びられているが、そうでなかったら…と考えてしまう。もし非正規だったら、もし心身の病でなく、コロナの不況のあおりを受けて失職していたら、エトセトラ、エトセトラ…
いまは自分のことでいっぱいいっぱいなので、考えないほうがよいのだけれど、そんなことを考えて、いまそうした境遇にいる人々のことを考えてしまう。
復職して、他人のことを考えられるようになったら、寄付やなにかしらの方法で少しでも貢献しようと思う。
段々と冬が迫ってきていて、布団から出ると寒い。それでも暖房器具は、クーラーしかなく、苦手なので、厚着をして湯たんぽを作って、足を温めるようにしている。末端が冷えるのでとても具合がいい。

11/30
天気がいいと体調がこころなしかいい。朝9時には起きて、掃除をした。洗面台の鏡うろこをとって、風呂掃除をした。台所の換気扇を外して、洗剤で洗った。ゴミをまとめて、段ボールも捨てた。
続いて洗濯物を取り込んで、洗濯機を回した。12時になったので、焼きおにぎり二個と、里芋の煮物を食べた。少し具合が悪くなったけど、出来上がった洗濯物を干した。とても天気がいい。ベランダから覗いた社会はのんびり動いていて、近くの大学の学生さん、主婦、おじいさん、おばあさん、たまに宅配サービスの自転車に乗った人がスーッと駆けていく。
ちょっと気分がよくなったので、切れかけていたトイレットペーパーとフルーツとミカンゼリーを買った。休職してから果物に助けられている。
帰ってきて、紅茶を入れて、買ったフルーツを食べた。パイナップル。不自然なほど甘い。

大学生のころ、神奈川で1年くらい、父と二人暮らしをしていたことがある。だだっ広い部屋で二人、それこそ1階が父親の、2階がわたしのテリトリーといった感じだった。

それまでの人生、父親と一度も深く関われた試しがないのに、いきなりの二人暮らしだったので、うまく行くはずはなかった。今思い出しても、悲しくなったり、親子なのに、とやるせなくなったりする。それでも、思い出は嫌でもあって、それがパイナップルである。
私も父親も、自分の食事は自分で、タイミングが合えば外食というリズムでその一年は過ごしていた。間食や朝ごはんなどはその都度近所のスーパーへ買いに行った。
その時、よく買っていたのがパイナップルだった。偏食な父が、パイナップル食べるのか、と思ったのでよく覚えている。
食べる?確かそう聞かれた気がする。はい、と答えて、かごに入れた。
その時のパイナップルも不自然な甘さだったが、外食続きのわたしにとっては、ちょっとでも栄養とか食物繊維がとれるのでよかった。
なによりも、父親のやさしいところが、なんだかんだ私は大好きなんだなあ、とパイナップルを食べる度思い出す。
父は自分のやることや買うものがあれば、必ず私や妹、母親に必要なものがあるか聞く。時には、それが無理な押し付けに変わってしまったりするけど、それは不器用な父親のやさしさであって、悪気なんてないのだと思う。(やられたその瞬間は、そうは思えず怒りとか「なんでそんなことするの…」と呆れてしまう気持ちが勝つが)

(2021/1/31 加筆修正)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?