他人の身になって考える、なんて結局できないという話

仕事から帰ってきた旦那くんがいつもと何かちょっと違う。

何、と言われても困るのだけど、何となくの違和感というのだろうか。顔というか、表情というか。
「ん?」と思いながら、一緒に夕飯を摂って、そのまま何となくテレビを見る。

いつもならば他の部屋で別のことをしたりするのだけれど、違和感の正体がよくわからなくて、何となくそのまま同じ部屋に居続けた。基本的に見たいテレビがあまりかぶらないし、旦那くんは割とザッピングする方で、私はどっしり見たい派なのでそんなところも噛み合わない。

バラエティ、ドラマ、映画などぽんぽんと飛ぶ画面を横目に、スマホをいじりながら何となくそのままでいた。
夕飯後、1〜2時間経った頃だろうか。
本当に何気なく、テレビの音の合間から旦那くんの声がする。

「あのさ、今日会社でさ・・・」

つらつらと語られることの顛末。

ああこれだったか。違和感の正体ってこれだったのか。

帰ってきてからずっと頭の片隅でそのことを考えていたのだろう。

基本的には仕事の愚痴などをほとんど言わない彼。仕事に対する姿勢も割り切りがはっきりしている方で、尚且つ仕事とプライベートは分けたいと思っているから、笑い話程度のことならともかく、シリアスな愚痴をあまり聞いたことがない。

つらつらと口から漏れ出る言葉を聞きながら、私は個人的にも思うところがあるし、私の未熟な社会人生活を色々照らし合わせて「こういうことなのかな」と思ったりもした。

ただ、こういう話は双方から聞かないと本当のところはわからないし、客観的に見られる立場にいないと、真実に近いところは見えてこない。

でも私は彼の家族であるし、彼がもしモヤモヤや気まずさを抱えているとしたらそれを取り除くのを一番に考えたいと思う。

そのことを基準に、あなたは悪くないと思う(これは本音でもある)ということをにじませて話したつもりではあるけど、そんなことで気持ちが晴れ晴れしないことも重々承知している。

私はどちらかと言えば、嫌なことがあれば家でぶちまけるし、最高潮にムカつき継続中であれば「口にしたくないくらい嫌なことがあった。不機嫌だけど気にしないで気にして」と宣言し、取っておきのビールを煽ったりする。

けれど彼は日常的に愚痴を言わないぶん、言う時のその重さは想像するよりも大きいのだと感じる。私の愚痴など頻度も高いし、大抵一日がなれば何とかなる程度。そして同じ立場の人たちと愚痴愚痴と発散すればある程度収まってしまう。

ひとしきり話した後、風呂に入り、彼が寝入るまで見届けた。

そして翌朝、彼の口からはやっぱりそのことが一番に出てくる。よほど気になるのだろう。そんな中でも寝付けたことは幸いだった。いろんなことを割り切るその態度から図太い人、という印象を持たれているかもしれないけど、本当は神経が細やかな人である。

幼い頃言われた記憶がある人、いるだろうか。

「他人の立場になって、気持ちになってものを考えなさい」

ただ、どだい無理な話だ。自分の理解の範疇にいない人のことはどんなに頑張っても「その人」にはなれないし(なりたくないし)、年齢や性別、生きてきた人生などによって人の形は千差万別、こだわりや弱みやトラウマなんかが違う。違って当たり前。
それが好きな相手、ずっと仲良くいたい人、ならば最大限「想像してみる」ことはできるだろう。ただその中に入らない人のことなど、正直どうでもいい。

先の言葉は"自分勝手になるな"、という教訓だとは思うけど、やっぱり自分は自分でいながらにして、問題や悩みを解決しなければならないのだと思う。

自分と違う考えの人と、いかに冷静に折り合えるか。そこに始末の悪い感情や持て余したエネルギーが注がれると、途端に折り合う機会を失う。

そう思うと、最初から折り合う必要など本当はないのかもしれない。

全ての人に誤解されないように生きるのは難しい。そして全ての人を理解するのも難しいし不可能。


これから会社に行くのだし、あまり深刻にならないよう話をしてから送り出した。行ってきますの背中がいつもと同じであれ、と念じながら。

夫婦もやっぱり別人格。どちらもどちらにもなれない。考えていることを話して、「ああこういう人なんだな」とひっそりずっと確認し合うだけだ。

以前「生きてるだけで、愛。」という映画を見た時、鬱に苦しむ主人公の寧子(趣里)が、何となく一緒に住んでいる恋人の津奈木(菅田将暉)に放つ"あなたはいいね、私と別れられて。私は一生私と別れられないんだから"といったセリフがあった。

人の人生というものをうまく表現したセリフだなと印象に残っている。

誰も、他の誰かになんてなれないのだ。自分も他の誰かに渡すことなんてできない。永遠に。


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