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気まずい会話

既婚、アラフィフ、現在パートタイマー時々派遣。

このプロフィールを引っ提げていると時折、当然子供はいるよね、という体で話されることがある。

「今日子供さんは誰が見てるの?」とか「あなたのところはお子さんは何人?」などなど。もっと若い時にはいるかいないかを聞かれたけれど、ある程度の年齢になってくると初期段階はカットされる。

それこそ妊娠の可能性が残っているような曖昧な年齢の時には、初対面や久しぶり、子供がいる人ばかりの集まりの時には腹に力を入れていたものだけれど、もうこの歳になるとすっかり気が緩んで、つい先日の

「縷々さんのところのお子さんは、もうワクチン接種済んだ?」

という不意の質問に弛緩し切った腹にぐいっと皺が寄るような瞬間に出会ってしまった。

咄嗟に「ええ、済みました」などと言ってしまおうかと思ったけれど、それから続く架空の会話にボロが出ることは必至だったので素直に「私、子供いないんですよ」と返す。

その後の相手の慌てる様子に、申し訳ないなぁと思う。誰もが想像するように、年頃の娘でもいて「もう全然結婚する気ないみたいで参りますよ〜」とか言えれば良いのかもしれないし、遅くに生まれた息子を溺愛しているママでもいい。ただそういう自分は自分が最も想像できない。
おかしなものだ、きっとこの会話をしてきた人にはある程度私のママぶりというものが構築されているだろうに。それが現実の私の中には皆無なのだ。

この返しで相手が慌てるのには、子供がいない夫婦、という突然の情報に咄嗟にネガティブな感情が思い起こされるからだと思う。

壮絶な不妊治療の末にできなかった、病気で子供が産めないという事情、または今でも悩んでいて時折それで姑に嫌味を言われたり?など。

ドラマとか漫画とかそういうことで、いろんな立場の人の気持ちが発信され、それによって理解が進み、頭ごなしに自分の意見を振りかざす人たちが減るのは良いことかもしれない。

けれど、当人のはかり知らないところでネガティブな印象を持たれ「ごめんなさい、変なこと言って」という空気を打ち消すように「いいわよね、夫婦2人っていうのも。いつまでも仲良しでしょ」という一生懸命明るく話題を振り切ろうとする態度にひたすら、申し訳ない、と思ってしまう。

もちろん、そういう夫婦もいらっしゃるだろう。悩み苦しんでその果てに今がある、という人もいるだろう。

知ること、広まること、いいことではあるけれど、「私はそういうことは大丈夫です」というバッヂでもないだろうかと思ってしまう。

ただやっぱりそこまですっきりと思うに至るまでには、今はこういう私でも色々思うことはあったし、全てクリア快晴です!と胸を張って言えるのにはもう数年かかるような気もする。

ただ、今となっては「子供を持ちたい」とは誰もが思うことではないし、もしかして周囲のプレッシャーとか単純に両親に見せたいという一個人の嗜好とは離れたところの希望であったかもしれないと思う。

もちろん子孫を残すということは、人間の本能であるかもしれないし、それが薄れていると言われる日本の現状は嘆かわしいのかもしれない。

成熟した社会の中で、個人の権利や思考が尊重されることは、同時に社会的常識というものが変化することでもあると思う。

何もそれぞれが好き勝手に生きていけばいい、とは思わないけれど、自分の人生を選びとる過程で悩み苦しんだことは、その人のものだけであり、他のどんな人であっても共有できないことで、共有すべきことでもないと思う。

子供を持つ持たないには、れっきとした違いがあるし、それはそのまま良い悪いではない。その人にとってどういう人生を選択したのか、逆に選べなかったものも含め、どう抱えて折り合いをつけていくか。それはその人自身のペースと周囲との関係、自分との関わり方に委ねられている。

自信を持って「これが私の人生です」と言えるにはもう少し時間がかかりそうだけれど、もしかして子供を生み育てる人生というものがどこかの分岐に転がっていたかもしれない、それ全ても内包して腑に落ちた時、もう少しマシな顔で気まずい会話を乗り切れるのだと思う。


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