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喰らうのか、喰らわすのか。

ギックリ腰になった。
ということを今回いろんなSNSで発信した。心配されたがりである。

ギックリ腰を「魔女の一撃」と表すことを何で知っただろうか。
どうやらドイツの言葉だそうで、言い得て妙。
「あ」と思った時はすでに遅し、全身を貫く冷や汗を伴う激痛。
よく漫画で、感電した時に人の骨がぱっと浮かび上がる描写があるけれど、まさにあんな感じで一撃を境に世の中は一変。
そこから数日は不自由極まりない生活が待っているのである。

よくドラマなどで「あ、ギックリ腰」などとヨレヨレになった主人公があらかた処置された後で、イタタなどと言いながら腰を押さえて歩く姿が映されることがあるけれど、経験したものから言わせたら「嘘つけ、あんなもんじゃないぞー」である。
座るのも歩くのも困難、信号を渡る時など赤に変わりはしないかと冷や冷やの連続である。
近い将来、手足の自由が効かなくなる年齢がきたとしたら(こないで欲しいけど)こんな感じかなと深いため息を覚える。
のんびりと道路を渡る老人には普段は恐怖しか感じないけれど、同情すら覚えてしまう瞬間である。

こんな風にギックリ腰になると、家族の介助は欠かせない。
またもや老後を思わせる展開に胸が痛む一方だ。

トイレはさすがに1人で行くけれど、便座に座るまでも一苦労。
その前にベッドから起き上がるのも難儀、座る姿勢を保つのも難儀、かと言って劇的に治る方法もなく(鎮痛剤もほとんど効き目なし)、日ぐすりを待つ生活(ただし、病院で注射を打たれると回復力がグッと速くなる)。

こんな世の中なので、ギックリ腰の応急処置的なストレッチや体の使い方はいくつも動画で紹介されていて、当面はそれでしのぐけれど(今回それのおかげで少しだけ楽になった)、1日ぐっすり眠っていたら治った、という奇跡が起こらないのがギックリ腰だ。

靴下も履けない、ズボンをあげるのもままならない。

こんな時に家族の登場。
年上の妻だと言ってもそこまで上でもないし、こんな手助けをこの年齢からすることになろうとは、旦那くんもとんだ誤算だろうけれど、ヨレヨレの家族が目の前にいる生活で完全無視もできなかろう。

もともと食事の用意は普通にできる人なので、リクエストしたらそれが食卓に登っている。
「ご飯できたよー」と言われる身分。なかなか良い。

強制的に自粛生活になっているここ数日、横になってやることと言えば、動画視聴。
最近ハマっている「タイBLドラマ」を何となく続けて見てしまう。

あまり詳しくないのだけれど、タイBL界において、カップルは「世話を焼く方、焼かれる方」に分けられる傾向にある。双方とも相手のことが好きなのだけれど「私があなたの面倒をみる」といった表現が度々出てきて、面倒を見る側が少し忙しくて恋人との時間を取れないでいたりするとライバルから「面倒見れないんだったら別れろ」と迫られる。

これが男女のカップルの場合女性が世話焼き側に回れば途端に、性差別!と言う意見があってもおかしくないけれど、男性同士なのでそう言ったものも聞こえない。

そんなものをずっと見ていると「世話を焼かれる側ってどんなだろう」と思いを馳せたりする。
特に自分が盛大に世話を焼いている自覚はないけれど、役割的には家事を請け負っていると「世話を焼いている」気にはなる。
日本の家庭の場合、そういう夫婦は比較的多いのではないだろうか。

それが逆になったとしたら。

ただ、ドラマの世界では世話を焼く方は比較的嫉妬深い傾向にあり、「お前は俺のことを一番に考えてくれ」などと平気で口にする。「お前が他のやつのこと考えるだけで嫌なんだ」といった具合だ。
若い頃ならば「そんなに私のこと好きなんだ」とうっとりであるが、今考えれば「いやいや人の心の中まではほっとけ」である。
そんなことを言う側も嫌だし、言われる側も嫌だ。

甘い世界はやはりドラマだけ。
現実は、お互いにお互いの思う役割を粛々とこなす日々。
一度くらい、何をするにもどこに行くにも世話を焼かれたいものだけれど、ギックリ腰期間限定くらいでちょうど良いのかもしれない。

※写真のガパオライスは、タイにハマったついでに作ろうと材料だけ買っておいたものを旦那くんが作ってくれた。「目玉焼き忘れないでね」と再三リクエストするうるさい妻にウンザリした様子だったけれど、きっちり仕上げてくれる彼、つくづく律儀だ。

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