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生きることの残酷さとしぶとさを描く映画「Summer of 85」

映画「Summer of 85」を観た。

冒頭、何か事件を起こしたらしいアレックスの語りから始まる本作。彼は、死に惹かれていた現実を淡々と語る。ただ彼が本当に知りたかったのはもっと別の、幻想的な世界だったはず。でも彼がこの夏に知ってしまったのは、死というものの生々しい現実だった。聞きたいか?そう彼がこちらに語りかける真っ直ぐな視線で、アレックスとダヴィドとの6週間だけの恋が幕を開ける。

アレックスは友人よりも恋人との時間を取った友達と離れ、一人ヨットで遭難しそうになる。そこに通りがかり助けてくれたのがダヴィド。二つ年上の彼は高校を中退し、亡き父親の夢を引き継ぐ形で母親と店を営んでいた。
ダヴィドの誘いにより急速に距離を縮める2人。先走る気持ちとは裏腹に慎重なアレックスは疾走するバイクの後ろ、ダヴィドに必死で捕まりながら、別の自分になる予感と不安を感じていた。

徐々に友情よりも愛情を優先するようになる16歳という年齢。

アレックスは遭難しかかった海の上でダヴィドと出会う。不安定な状態で救世主にも見えたダヴィドに手を取られ、そのままバイクで街を疾走し、夜の街で踊り狂い、彼の船で海に出る夏を過ごす。

アレックスは未熟な心を抱えたまま、ダヴィドの世界にどっぷりと浸かり、不安定な足元をすくわれるようにダヴィドに依存するようになる。

そんなアレックスにダヴィドは言う。

「どちらかが先に死んだら、残された方がその墓の上で踊ろう」

このセリフに思う。ダヴィドもまた、死に囚われていたのではないだろうか。やや幻想的に死と言うものに惹かれていたアレックスは、だからこそダヴィドに引き寄せられたのではないか。

よりどころのない家庭の中、ダヴィドは絶望していた。そんな時にアレックスを見つけた。彼はアレックスを虜にしたかっただろう。墓の上で踊ろう、という提案も、賑やかな夜の店で踊り狂うアレックスの耳を塞ぎ、別の曲を聴かせたのも、彼を自分の世界に閉じ込めておきたかったからに違いない。

ダヴィドはおそらく、夢中になり周りが見えなくなる恋というものの怖さと脆さを知り尽くしていて、アレックスを一度はそこに押し込めようとした。ただそれをすぐに後悔したのではないのか。

絶望し、不安定な自分を救ってくれたのは他ならぬアレックスだ。けれど、健康で己の魅力に気づいた彼が、次の景色を観たいと思うのも時間の問題であることを、彼なりに気づいていた。

彼はいっときは、彼を閉じ込めることに成功したのかもしれない。あそこまで彼を縛り付けられるとは、ダヴィド自身も予想していなかっただろう。彼を絶望に追いやったセリフは、そのままダヴィド自身にも当てはまるように聞こえてならなかった。

若い時間は濃くて速い。それはアレックスを指南し、ダヴィドを物語に封じ込めることを勧めた教師ですら追いつけない速度で過ぎ去って行く。

抜けるような青空と、アレックスの美しい横顔は、時間というものの残酷さと、若さゆえのしぶとさを鮮やかに浮かび上がらせていた。

恋は人を強くも弱くもする。儚さに嘆くよりも先に、生きていくことの先にある鮮やかな景色を、決して諦めてはいけない、とそんなふうに思う。





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