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物語は誰のものなのか。あなたは、映画「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」で目撃者になる

映画「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」を観ました。

アマプラで一部作品のレンタル料が特価100円になっている期間があり(もう終了しています)その時に急いで「次観るリスト」に入れておきました。

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世界的ベストセラーである「デダリュス」三部作の完結編の出版権も獲得した出版社オーナーのアングストローム。世界同時出版を宣言した彼は、出版部数の多い国の翻訳者9人をピックアップし、豪邸に招待して翻訳作業を開始する。
そこは完全密室の秘密部屋で、翻訳者たちは全ての通信機器を取り上げられ、外部との連絡を遮断した状態で監視され、決められたスケジュール通りに翻訳を進めることを命じられる。
ところがある日、冒頭の10Pが流出し、残りの部分を守りたければお金を払えという脅迫メッセージがアングストロームに届く。原本を持つのは著者の他にはアングストロームのみで、流出できるとしたら配られた原稿を見た翻訳者たちしかいない。
犯人は一体誰なのか。厳しい追求が始まる。

犯人探しから疑心暗鬼、全ての人間が疑わしく、全ての人間が怪しい。社運を賭けた新作が漏洩の危機とあって常軌を逸した犯人探しを始めるアングストローム。次第にイライラを募らせる9人はついにお互いを疑い始める。

ミステリアスな幕開けの本作。スポットが当てられるのは、翻訳家たちそれぞれの背景。

本業では生計が立たないもの、夢を諦めきれない者、著書の熱狂的ファン、海賊版の翻訳で一定数のファンを獲得している若者、などなど曲者揃いの面々で、誰もが名前を知られることもなく、どんなに売れても自身の報酬には跳ね返らない翻訳家という肩書きを持つもの。

お金目当てと考えると誰もが可能性ありだけれど、翻訳作業の際にすら全文ではなくスケジュール通り細切れにしか与えられない状況下、通信機器を持たない状態でどうやって未発売の小説を人質にできるのか。

途中、現在のものと思われるカットが挟まれるが、それはアングストロームが画面に向かってどうやって全文を持ち出したのかと問う場面。それで謎が溶けた世界を、私たちにたびたび覗かせる。
それで犯人が発覚するまでを追っていくのだなと思わされるのだけれど、そこにもいくつかの仕掛けが施してあるのだ。

もちろんトリックはやがて明らかになる。
ただその過程でアングストロームが小説というものをどう扱っているのか、翻訳家たちをどう思っているのか、自身の出版社がどんな状況なのかが次々と明かされ、次第にこの小説を取り巻く環境も露呈していく。

肝心の「デダリュス」の著者情報については名前以外は一切伏せられており、その秘密が露呈したことはこれまでにない。それは初版から関わってきたアングストロームが徹底して守ってきた著者との契約。それゆえに内容が漏洩すると言う事態は最も考えづらく、想像だにしていなかったに違いない。

そう思うと、翻訳家という仕事が著書とあんなにも密接な関わりを持つのにそのキャラクターが全く作品に載らないのと同じように、秘匿を保たれている著者というものもまた、作品と一体化しているようで実はそうでもない矛盾が生じてくる。

小説というものはもちろん著者が己の限りを尽くして紡ぎ出すもの、著者自身とも言えるのだけれど、手に取った誰もが作品でしか著者の情報を得ることはできない。当然それは著者の現在や過去、キャラクターに関係なく、それぞれに手にしたものに全てが委ねられることになる。

そもそも公なものになった時点から、手に取る数が多くなればなるほど様々な色をなしてそれぞれの記憶や心に落ち着くものだと思う。それは小説の正しい形であるように思える。

ただ純粋に作品を楽しむだけならばまだしも、そこに関わる人が多くなればそれだけ思惑や私利私欲が余計に絡んできて、作品そのものの価値とはまた別の、何倍にも膨れ上がったビジネスとしての側面を持ち始める。

現在、一部の現代アート作品が投資目的の側面を持ち始め、購入者の心を突き動かすもの、いつでも眺められるように手元に置きたい、という本来の目的からやや遠のいている皮肉な一面もある。
それにも当てはまる側面がここでは描かれているのである。

この映画は犯人探しのミステリーであると同時に、莫大な利益を生み出すヒット作になったからこそこの小説が辿り着かねばならなかった悲劇的な面、それに吸い寄せられた様々な人々の姿をドラマティックに描いた作品だ。

そして明らかになる、「なぜ犯人はこんなことを仕掛けたのか」

お金目的だけでない、犯人がそれこそ熱狂的に得たいと願ったものが一連の結末には確かに存在する。

ぜひその目撃者に、あなたにもなって欲しい。





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