アポリネール「ミラボー橋」(フランス詩を訳してみる 21)

Guillaume Apollinaire (1880-1918), Le Pont Mirabeau (1912)

ミラボー橋の下 セーヌ川が流れる
    ぼくらの恋もまた
 忘れてしまってはいけないのか
喜びはいつだって苦しみの後に来た

   夜よ来い 時よ鳴れ
   日々は去り ぼくは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を合わせていよう
    ぼくらの腕が
 橋をつくる その下で
波が過ぎる たえまない視線にくたびれて

   夜よ来い 時よ鳴れ
   日々は去り ぼくは残る

恋は去る この流れる水のように
   恋は去る
 人生はあまりにのろい
そして希望はあまりに激しい

   夜よ来い 時よ鳴れ
   日々は去り ぼくは残る

日また日が過ぎ 週また週が過ぎる
   過ぎた時間も
 恋も もう戻ってこない
ミラボー橋の下 セーヌ川が流れる

   夜よ来い 時よ鳴れ
   日々は去り ぼくは残る

(堀口大學、福永武彦、窪田般彌、安藤元雄、田辺保、飯島耕一、橋本千恵子、大野修平の訳を参考にした。)

Sous le pont Mirabeau coule la Seine
            Et nos amours
    Faut-il qu’il m’en souvienne
La joie venait toujours après la peine

            Vienne la nuit sonne l’heure
            Les jours s’en vont je demeure

Les mains dans les mains restons face à face
            Tandis que sous
    Le pont de nos bras passe
Des éternels regards l’onde si lasse

            Vienne la nuit sonne l’heure
            Les jours s’en vont je demeure

L’amour s’en va comme cette eau courante
            L’amour s’en va
    Comme la vie est lente
Et comme l’Espérance est violente

            Vienne la nuit sonne l’heure
            Les jours s’en vont je demeure

Passent les jours et passent les semaines
            Ni temps passé
    Ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine

            Vienne la nuit sonne l’heure
            Les jours s’en vont je demeure

 *

この詩を含む詩集『アルコール』の革新性については、安藤元雄『フランス詩の散歩道』の中で分かりやすく説明されているので、長くなりますが引用しておきます。

 一九一三年、ギヨーム・アポリネールが詩集『アルコール』(Alhools) を刊行したとき、当時の読者たちが何よりもまず驚いたのは、そこに収められている詩篇のすべてに、句読点が一つも打たれていないということでした。それらの詩篇は、むろん大部分がすでに一度は雑誌などに発表されたものだったのですが、発表当時はちゃんと句読点が打たれていたのに、いざ詩集にまとめるという段になって、いっさいの句読点が取り払われてしまったのです(ただし、実際には、いくつかの感嘆符がところどころに残っていますが)。〔……〕

 たとえば、あの名高い《ミラボー橋》(Le Pont Mirabeau) の最初に一節にしても、〔……〕第二行目の « nos amours » はあやうく第一行目の « la Seine » とともに流れて行くように見えながら、じつは第三行目の « en » につながり、その « en » がまた、第四行目全体へひろがって行きそうにも見えるという、妙に混沌とした、全部が一体となったような思考の進み具合を見せています(雑誌発表の形態では第一行目の終りに句点があり、第二行目と第三行目は読点をはさんだ一続きとなって疑問符に終り、最後の行はふたたび句点をとっていましたから、そういうあいまいな読み方は成り立ちませんでした)。

 しかし、そうやって構文から自由になった言葉は、単に脈絡もなく並べられ、ちょうど古い和歌の〈掛け言葉〉に見られるような、意味のあやふやさそのものを楽しむような使い方をされるようになった、というだけのことではなかったのです。言葉が自由になると同時に、それらの言葉のになうイマージュがにわかに自立し、それ自体の立体的な空間を構成するようになったのです。(pp. 133-137)

この詩もさまざまな音楽家にインスピレーションを与えてきました。

まずはレオ・フェレ (Léo Ferré, 1916-1993) によるシャンソン(1952年)。

カナダの作曲家リオネル・ドーネ (Lionel Daunais, 1901-1982) による合唱曲(1977年)も、たくさんの合唱団で歌われているようです。

そして今世紀に入って、フランスのジャズ歌手ルイサ・ベイ (Louisa Bey, 1973-) も、この詩を美しく歌っています(2014年)。


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