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「ジャポニスム」の精神を次の世代にも受け継ぎたい

なぜ日本人は「洋服」を着ているんだろうか。

僕が幼い頃抱いた疑問である。日本には着物という伝統衣装があるのに、それを普段着として身に纏う人はほとんどいない。服装に限らず私たちの身の回りは欧米化された生活様式、文化に溢れている。

西洋化の歴史

ご存知の通り、日本は1886年に始まった明治政府の時代から西洋化をはじめ、食文化、芸術などあらゆる面において潮のように流入してくる文化を十分に噛み締めることなく受け入れた。ファッションに関して言うと、私たちの日常から姿を消したのは概ね第二次世界大戦後とされるが、洋装化は明治時代から始まった。そして現在私たちの世代で日常的に、普段着として着物を着用する者はほとんどいない。経済産業省繊維科が平成27年に行った、二十代以上の男女を対象にしたアンケートによると、二十代女性で月に数回以上、(普段着として定義するに能う数字であろう)着用する人の割合はわずか3.2パーセントであった。もはや、着物は特別な機会以外できるには恐れ多いとまで感じる。

日本の美意識が認識された歴史としてのジャポニズム

日本が西洋の文化に憧れ、西洋化をはじめた明治時代初期、皮肉にも西洋の人々では浮世絵をはじめとする、日本の美意識「ジャポニスム」に魅せられていた。当時印象派の名だたる画家たち、クロード・モネ、ヴァン・ゴッホ、ポール・ゴーギャンなどは印象派の影響を受け、自らの芸術活動に反映させていた。というのも、当時のヨーロッパでの美術形態はマンネリ化しており、伝統的な表現技法から抜け出すため芸術家は斬新な表現技法を模索していたのだ。彼らにとって日本独自の表現技法は常識を覆すもので、衝撃を与えたのだ。

 何が衝撃的だったのか。西洋芸術の文脈の中で考えた際、日本芸術の特異な点としては、やはり「アシンメトリー」つまり非対称性が挙げられる。西洋の芸術では長らく受け継がれてきた黄金比に基づき、調和の取れた構図をとってきた。その、伝統的な概念、ある種のルールに捉えわれない日本の芸術は西洋の人々にとってこの上なく新鮮なものであり、まさに彼らが探し求めた新表現技法であったのだ。

 この非対称性の根源はどこにあるのか。それは日本人の自然観にヒントが隠されている。日本人は元来、自然を守るべきもの、従うべきものとして考えてきた。四季豊かな自然に囲まれた島国に住み、農耕しながら生活しながら文化を育ててきた日本人にとって自然は生命を維持し、子孫へ継承するための源泉であった。このような自然観を持つ日本人にとって、その観念を芸術表現に反映するのは至極自然の成り行きであり、自然描写や自然の色、テキスチャなど自然のあらゆる要素が芸術の対象となった。つまるところ、自然に限りなく近づくことが美の最大の目標であったのである。芸術と日常を切り離して考える芸術至上主義の考えが蔓延っていた当時の西洋人にとって、芸術に対する捉え方の面でも新鮮で、衝撃的なものだったのだ。ギリシャ文明のユーグリッド幾何学に根差すヨーロッパの伝統文化では、ルネッサンスを経て、科学的な思考が文化の思想的背景となっていた。そのような文化の中で育った彼らにとって自然も、他のものと同じく科学的な思考に当てはめられ、征服すべき対象であったのだ。

日本の美意識をもっと大切にしたい

これまで見てきた通り、アシンメトリーという芸術形態は日本人の自然観、日常と寄り添いながら形成され、西洋の人々をも圧巻した。私が何を言いたいのか。何ももう一度日常着として着物を着ましょうということではない。私は、私たちの祖先が育んできた文化、「価値観」「精神」を受け継ぎたいのだ。芸術は彼らが残した遺産であり、受け継いできた精神性を閉じ込めた、タイムカプセルのようなものなのである。

今日、「日本人としての精神性」を服という媒体で表現する人がいる。

SOSHIOTSUKI(ソウシオオツキ)

日本人デザイナー大月壮士が手がけるメンズウェアブランドで、2015年AWシーズンからコレクションを開始する。ブランド哲学は「日本人の精神性によって作るダンディズムの提案」である。鹿鳴館時代や第二次世界大戦時など日本の歴史上の特定の時代を切り取って、モチーフとしてコレクションを発表してきた。かねてから私がこのブランドに対して持っていた印象は、さまざまな視点から日本らしさ、日本が受け継いできた美の形を服を通して表現されているということだった。しかしながら、彼のインタビューを読むと、驚くことに彼自身はあまり「和」を意識していないのだそうだ。(参照:https://www.fashion-headline.com/article/9612)彼の服のディテールには日本人としての美意識、芸術形態が散りばめられているので、不思議に思ったのだが、先程まで見てきた日本人としての美意識が作り上げられてきた過程を振り返ることで納得し得るのではないかと考える。彼自身の表現するところはあくまで日本人の精神性であって、「和」を表面的に使うことではない。アシンメトリーを用いた日本人の思惑と同じである。日本人としての文化、自然観に根ざして芸術活動を行なった結果、一つの特定の芸術形態が作り上げられた。大月壮士行うクリエイションもまた、彼が思う「日本人の精神」を表現した結果、日本人としての芸術表現に収まったのではないか。私はこう解釈するのだ。

Kimono breasted shirts

彼のクリエイションの中で毎シーズンの定番のガーメントがある。Kimono breasted shirtsと名付けられた、着物のディテールを「シャツ」の枠組みに収めたガーメントだ。

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通常のシャツと違って、ボタン位置が斜めに走っているだけでなく右側にある紐をボタンホールに通して縛ることによってより、着物らしい重ね合わせが表現できるようになっている。

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襟の部分も、中心で揃わず、幾何学図形のようだ。

このシャツの持つ様々なディテールにアシンメトリーの表現が見られるkimono breasted shirtsと銘打たれているだけあり、着物のエッセンスがシャツの中でしっかりと表現されている。私はこのガーメントの秀逸だと思う点は、「着物」という、現在日本人の間ですら一般的でなくなってしまった、ある種恐れ多いものをリアルクローズに落とし込んでいる点であると思う。洋服らしさを残しつつ日本の美意識を表現していることによって私たちは日本人らしい美意識を日常の中で纏い、表現することができる。彼のような、日本人としての精神性を携えたデザイナーが作るコレクション、リアルクローズこそが、私たち日本人が育んできた美意識を受け継ぐのではないかと考える。

参考文献:

三井秀樹、『美のジャポニスム』、1999年、文春新書

深井晃子、『ジャポニスム・イン・ファッション』、1994年、平凡社


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