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葛城・當麻寺の中将姫伝説とダンシング練り供養


當麻寺の本尊は「當麻曼荼羅」

古代の三重塔が東西一対で残る全国唯一のお寺さん・當麻寺

奈良・葛城の當麻寺といえば、白鳳・天平様式の大伽藍を有する古刹で、金堂の弥勒仏や四天王、梵鐘などの白鳳美術を今に伝えるほか、古代の三重塔が東西一対で残る全国唯一のお寺さんとしても知られています。
元来、聖徳太子の弟である麻呂古王が創建した万法蔵院がはじまりで、白鳳時代に河内から當麻の地に移り、平安時代には密教文化が栄えました。

中将姫と當麻曼荼羅。(「中将姫縁起」より)

本尊として祀られているのは、仏像ではなく、「當麻曼荼羅」。
當麻寺はもともと弥勒仏のお寺さんとして創建されたのだけれど、奈良時代、藤原豊成の娘だった中将姫は仏教に帰依して出家し、當麻寺で修行した際、26歳のときに1晩で蓮糸で當麻曼荼羅を織ったとされています。

「當麻曼荼羅」

天平19年(747)、貴族の娘として生まれた中将姫は、美しく清らかな心をもつ女性だったと言います。
しかし実母の死後、継母に疎まれ、山中で殺害されそうになるのでした。
その後は山中で育つのだけど、ある日偶然父と再会し、都に戻ります。
その後、當麻寺で出家。極楽浄土への思いを募らせていると、阿弥陀如来と観音菩薩の化身が現れ、蓮糸で當麻曼荼羅を織りあげ、中将姫は29歳のとき阿弥陀の来迎を受けて無事極楽へ往生します…。

というのが中将姫の物語のあらすじ。

その中将姫は、宝亀6年(775)、二十五菩薩に迎えられて、現身のまま、阿弥陀如来の司る極楽浄土へ迎えられました。その故事に因んでおこなわれるのが「聖衆来迎練供養会式」。

中将姫の縁日である4月14日に、毎年、中條姫が極楽浄土へと旅立った様子を再現したのが「聖衆来迎練供養会式」。

寛弘2年(1005)から続いているとされる儀式で、極楽浄土を再現したとして知られる平等院鳳凰堂は永承7年(1053)建立なので、極楽浄土の表現としては半世紀近く先駆けていることになりますな。

練り供養は、菩薩が出迎え、西方極楽浄土へ送り出す、1時間半のショー

境内に来迎橋がかけられ、観音菩薩、勢至菩薩ら25菩薩が、現世に里帰りした中将姫を迎え、阿弥陀如来の待つ極楽浄土へ導いていく様子を再現するわけです。
迎えて、送り出す。
阿弥陀の住む浄土、つまり西方浄土へと帰っていく。西陽に向かって歩くさまは神々しいですね。4月14日におこなわれる、1時間半の極楽浄土ショー。
夕陽を象徴する山・二上山の稜線に夕陽が沈んでいくなか、その方角へ向けて菩薩たちがダンスしながら阿弥陀如来の待つ西方極楽浄土へ導いていくさまは、圧巻であり、神々しさすら覚えます。

生身の中将姫を迎えに、極楽浄土から二十五菩薩がやって来た
大きな動作は喜びのダンス
楽器を持っている菩薩や何も持たない菩薩など、さまざま

西の二上山の向こうに沈む夕陽の方角へと、菩薩に導かれる。

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