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仏像をめぐるぐるりのこと

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2ヶ月に一度、大阪キタ・扇町の「扇町ミュージアムキューブ」内談話室カフェ「マチソワ」にて、仏像トーク「仏像をめぐるぐるりのこと」を開催しています。 マチソワ(大阪市北区南扇町6…
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2024年7月の記事一覧

末法思想と阿弥陀浄土と平等院鳳凰堂

西方阿弥陀浄土を現出させた平等院鳳凰堂 今回は、宇治の平等院鳳凰堂を紹介します。10円玉に刻まれてるやつですね。 ちなみに、鳳凰堂に行くと10円玉に刻まれているものと同じアングルで撮影されている方がほとんどですが、左へまわって、阿字池から眺めると風情があっていいです。真正面はちょっと味気ない。 さて、この鳳凰堂は古い建物で、平安中期に建てられました。先ほどの浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂と同時期に建てられた古い建物です。同時代に建てられた建築物で有名なのは、岩手県平泉町の中尊寺

薬師如来と阿弥陀如来と浄瑠璃寺

薬師如来と阿弥陀如来 薬師如来と阿弥陀如来についてお話します。 薬師如来は東方の浄土を司る如来さんです。 東方は朝日が昇る方向で、朝の向こう、つまり昨日、過去を表しています。過去というのは苦悩の象徴であり、そのため、お薬師さんは苦悩を取り除いてくれる薬壺を左手に持っています。 阿弥陀如来は、西方を司る如来さんです。 西方は夕陽が沈む方向で、夕方の向こう、つまり明日、未来を表しています。未来というのは願望も込めて理想の象徴です。これには、あの世という意味もあります。そこ

仏像のつくりかた

仏像のつくりかたを見てみましょう。 木造や金銅像、石像など、仏像にもいろいろな素材でつくられています。 乾漆像 最初につくられたのは、どうやら塑像だったようです。 塑像とは、粘土でつくった仏像のこと。 木と縄で芯をつくって、芯にペタペタと粘土を貼り付けていって、つくります。 粘土なのでかなり細かな造形ができます。しかも制作コストが安い。着色もしやすい。 ただし粘土なのでもろい。時間が経つと、ボロボロと崩れてきます。 なので、奈良時代につくられて以降、あまり制作されなくな

清涼寺の釈迦如来像

如来・菩薩・明王・天 仏像入門の本の1ページ目には、たいていこんな図が載っています。 如来・菩薩・明王・天 と4つに分かれます。 如来と菩薩は仏教の世界観が生んだ、純粋に仏教ワールドの登場人物です。主要キャスト。 明王や天は、ヒンドゥー教や神道から取り込まれた神さんや人間のようなものたち。ヒトに近い存在の人たちです。 仏教の世界観から見れば、メインのカバーストーリーの外にいる、スピンオフ的な存在の人たちです。もちろん、ヒンドゥー教の世界観のなかではメインキャストの人です

仏像の最初

仏像以前 仏教の開祖である釈迦、つまりゴータマ・シッダルダさんは、元来、偶像崇拝を禁じていました。ヒトは目に見えるものに執着してしまう傾向がある。でも、執着=煩悩を捨てることが悟りへの近道だと説くのが仏教なので、仏像を捨てるところからはじまるのが、仏教とも言えるわけです。 とはいえ、ヒトにはシンボルが必要。 やはりカタチとして残さなければ仏教を継承するのは難しいと考えた釈迦の弟子たちが経典をつくり、その経典をビジュアル化した仏像が必要だと考えたわけです。 とはいえ、最初

弥勒菩薩と日想観

仏教では西方に浄土があると考えられています。 同時に、西方は死後の世界、常世の世界があるとも考えられています。 その西方には、「釈迦の死後56億7千万年後の世に降りてきて釈迦に代わって人々を救う未来仏」である弥勒菩薩が降り立つとされています。 京都は広隆寺にいらっしゃる弥勒菩薩半跏思惟像は、ご存じの方も多いと思います。 花郎(ファラン)のこと この弥勒菩薩半跏思惟像は百済様式だと言われています。 さて、半跏思惟像は、じつは、新羅でつくられたものがほとんどで、6世紀後半

神仏習合のこと

露 天神社(お初天神)の節分祭 明治の廃仏毀釈でおかしくなったけど、もともと日本の信仰の姿は、神仏が習合していました。 たとえば、露 天神社(お初天神)の節分。 豆まきが行われたあと、護摩焚きがおこなわれます。 その際、修験道のお坊さんが参列し、宮司がお祓いをします。 その後、修験道のお坊さん、山伏さんが般若心経を唱えながら護摩を焚き、木札を火にくべる。 神社で、神職と僧侶が共同しておこなう行事です。 西大寺の秋祭り 次が、西大寺の秋祭り。 御輿が出発するのは西大寺の