#110 うつ病は治らない-④

昨日のブログ(こちら)の続きです。

昨日は,他人軸思考(わかりやすくいえば「常識や世間に照らしてどうするべきかを行動指針とする考え方」)がうつ病リスクとなることを前提に,この他人軸思考は,価値観をアップデートしない,いわば「思考停止」とイコールであり,そういった思考停止人間が,弁護士を目指してしまうということをお話しました。なぜなら,インターネットとスマートフォンによって情報化が極端に進んだ現代社会において,弁護士以外の様々な職業が筒抜けになっているにもかかわらず,何年間も勉強に費やすには「思考停止」していた方がやりやすい(疑問を抱かなくて済む)からです。しかも,「なぜ目指すか」を考えないほうが勉強に集中できて,司法試験にも合格しやすいから厄介だということも,昨日説明しました。

今の僕は,現在のところ,昨日まで説明したような考え方にたどり着いています(もちろん,今後生きていく上で思想の変化はたくさん出てくるでしょうけれど。よく,意見の変更が非難されますが,時代や経験によって思想が変化するのは当たり前なので,考え方や意見が変わることそれ自体が悪いことにはなりません。大事なのは意見を変えた理由であって,その理由に充分な根拠がない場合に限って,意見の変更は非難されるべきなのです。)

こう考えてくると,自己実現が大切,というか,自己実現しながら生きていかなきゃいけないなと思うようになるわけです。つまり,「他人軸思考」=「どうするべきかを行動指針にする」という考え方のままだと,生きる上の選択全てにストレスがかかり,その結果うつ病を招いてしまうのだから(これが僕の言っている「他人軸思考によるうつ病リスク」です),このうつ病リスクを減らすためには,「他人軸思考」から「自分軸思考」に切り替えなきゃいけない。

この「自分軸思考」が,「自己実現」です。「自分軸思考」とは,世間や常識にとらわれず,自分がどうしたいかを行動指針にするということですから,まさに「自己実現」です。これって結局,人生のあらゆる局面で自己実現をするということになります。人生におけるあらゆる選択を,自分の意思に委ねるのです。今この瞬間刻々と過ぎ去っている自分の人生の時間を,何にどれくらい使うか,自分の意思で決める。

こういった「自己実現」をしたいと思っていたところに,タイトルにある「うつ病が治らない」に直面したんです。直面したことで,とても悔しい気持ちになっているのです。

そもそも,「自己実現」って,頑張ることです。

・自分のやりたいことを頑張る

・やりたいことがよくわかっていない場合は,興味を持ったものから手当り次第に頑張ってみる

こういうのが,自己実現の形だと僕は思っていて,こういう自己実現が生きる意味というか,人生の使い方なのかなと思っています。

「じゃあ,頑張らずに生きている人は間違っているのか!」という意見がとんできそうですが,僕はそうは思っていません。自分の意思で「頑張らない」と決めている人は,それはそれで人生の使い方として僕は尊重します。そういった決断ができているのは,本当に素晴らしいことです。自分の人生の時間の使い方を自分で決めていることこそ,まさに「自分軸思考」です。

ただ,「頑張らないほうが楽で幸せ」「不労所得が幸せ」というのは,多くの人にとって幻想であることに気をつけたほうがいいと思います。

よくある幻想が「定年まで働いて年金と退職金で暮らす」です。

これが「幻想」である理由は「いやいや年金と退職金じゃ資金が底をつくよ」という話じゃありません。年金が尽きても生活保護があるので,暮らせなくなることはありません。この日本では,資金が底をついても生きていけるので,「資金が底をついて暮らせなくなる」という心配をする必要は全くありません。

そうじゃなくって,この「老後は~」みたいな話って,まず第1に,元気な若いうちの時間が老後のためにあるみたいじゃないか,ということを言いたいんです。このことは,今回のテーマからは離れますが,心も身体も元気な若いうちに,お金を使ったほうがいいに決まっています。自分の人生は今この瞬間なんですから,その「今この瞬間」にお金を使っていい。

ただ,今の日本においては,残念ながら人生は「今この瞬間」以降も末永く続く可能性が高いので,老後に備える必要がないとはいいませんが,その備える方法は,お金よりも元気な身体を維持するベクトルが一番大事だと思います。

お金は最悪でも国が支給してくれますが,自分の身体は誰もくれません。だから,今この瞬間を生きることに集中しながらも,人生が長く続くことを前提に身体の健康を維持することが大事だと思います。

それと第2に,「退職金と年金をもらって暮らす」ことが「良い」とされている理由が間違っています。つまり,「退職後は退職金と年金(不労所得)で何もせずに=働かずに暮らせるから幸せ」という理由で「退職金と年金で暮らせる老後は素晴らしい」と思われていますが,この理由が間違っていて,だからこそ「幻想」だと僕は思っています。

どうして↑の理由が間違いかというと,他ならない僕自身が現在進行形で不労所得で暮らす老後みたいな生活していますが,結局,何もせずに=働かずに暮らすことが幸せにはならなかったのです。

しかも(ここからはあくまで僕の想像ですが),老後は死が近づいてますから,死に対する恐怖も出てくるわけです。そうすると,僕の今の状況以上に,「何もしない」なんてことはできないと思います。何もせずに死ぬその日を待つなんて,めちゃくちゃ怖そうです。

こういった理由で,「退職金と年金で暮らせていいな」は「幻想」なんです。だからこそ「幻想だった!」と後悔する前に,自己実現をはっきりさせとかないとダメだと思うのです。

で,繰り返しになりますが,自己実現に必要な「頑張り」を阻むのが,うつ病なんですよ。うつ病になって自己実現が必要なことに気づいたのはいいんだけど,どうしても「頑張る」を阻まれる危険性をゼロにできない。

だって,2ヶ月も不眠の症状が出なかったのに,ある日突然ぶり返したんですよ。

その日,何か特別にストレスがかかる出来事があったなら話は別ですが,そんなこともありませんでした。

しかも,そもそも,変化のな日常なんてありえません。自己実現をするということは,その過程で壁に直面したとしても努力して乗り越えていく必要がありますから,どうしても変化にさらされてしまうわけです。その変化がストレスになってしまうのですが,変化をいちいちストレスと捉え,いちいちうつ病の症状を引き起こされていたら,いつまで経っても自己実現なんてできっこありません。

「頑張っていることが自分に合っていないからうつ病の症状が出ているんじゃないか?」という疑問も出てきますが,多分そうじゃない。そもそも,やりたいことかどうか確かめるにはやってみるしかないわけで,その確かめる段階であっても調子悪くなってしまうのです。

これは本当にやっかいだなあ,と落胆しています。

この落胆した気持ちが,今日までの4日間のブログの根底に位置しています。

今日はここまでにします。

それではまた明日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※内容に共感いただけたら,記事のシェアをお願いします。

↓Twitterやっています。

古田博大(ふるたひろまさ)よければ,フォローお願いします。

アメブロにも同じ内容で投稿しています(リンクはこちら)。

※このブログの内容は,僕の所属する企業や団体とは一切関係ありません。あくまで僕個人の意見です

サポートしてくださると,めちゃくちゃ嬉しいです!いただいたサポートは,書籍購入費などの活動資金に使わせていただきます!