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住宅ローンで苦しんでいる人が大勢いるのに、どうしてマイホームを買う人が後を絶たないのか

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:マイホームを買う理由 】

「賃貸か購入か」という問いについては、きっと議論に終わりはないのでしょう。

それは、「購入」という選択肢が、非常に魅力的に映るからです。

ストレートに言えば、「購入」は、人間の本能をくすぐるんです。「なわばり」という本能です。

僕が言うまでもありませんが、マイホームでなくとも、「購入」というのは、お金と商品を交換することを意味します。

100円でジュースを購入する場合は、100円というお金と、ジュースという商品を交換しています。

ほんとに、言うまでもありませんね笑

で、マイホームを購入する場合も、ジュースを購入する場合と同様に、お金と、マイホームという商品を交換しています。

「マイホーム」は、土地と建物です。

例えば、土地と建物あわせて4000万円の「マイホーム」を購入する場合は、せっかく、手元に4000万円ものお金があるのに、そのお金を土地と建物に交換してしまっています。

「交換」というか、「変換」と言ってもいいでしょう。

手元にあるお金を、178円の牛乳と交換するか158円の牛乳と交換するか、いちいち悩んでいるような人たちが、なんの躊躇もなく、手元にある4000万円を土地と建物に変換している。

これが、「マイホームを買う」の実態ではないでしょうか。

しかも、その「手元にあるお金」は、銀行から借り入れて工面しています。

わざわざ、銀行からお金を借りてまでお金を用意したのに、そのお金は、手元に置いとくのではなく、土地と建物の売主に全額あげちゃいます。

用意したお金は、もちろん、銀行に返済しなきゃいけません。借りたお金は、返さなきゃいけないのです(当たり前ですが)。返す際は、元本だけでなく、利息も付加します。

「あげちゃう」のではなく、そのお金の代わりに「土地と建物」がやってくるのですが、なんというか、土地と建物を買わなくても、住処を確保することができます。

それが「賃貸」です。

お金を払って、土地と建物を買わなくても、借りれば、その物件に住めます。

借りた物件なので、そりゃあ、いつか返さなきゃいけません。しかし、いったん借りてしまうと、家賃を払っている限り、大家さんは、簡単には返してもらえなくなります。

「借地借家法」という法律によって、借主の立場は、手厚く(本当に手厚く!)保護されています。

だから、いったん借りてしまえば、ほぼほぼ「買った」のと同じ状態になってしまうんです。

しかも、大家さんから立ち退きを求めるのは難しいとはいえ、住民から自発的に立ち退くのは簡単です。たいていの賃貸借契約では、1か月前の予告で住民側からは解約できます。

住民は、その物件がいやになったら、さっさと解約できるのです。

大家さんは、「この住民いやだな」と思っても、家賃が払われている限り、なかなか立ち退かせられません。

大家さん、かなしいです・・・。

(まあ、こういった住民保護法制によって、大家さんが賃すのを渋ってしまうという弊害はあります。いったん貸してしまうと、物件が戻ってこないわけですから。本当に住民の利便性を追求するなら、ある程度の立退き料を支払えば簡単に解約できるという制度設計にするのもアリかもしれません。そうしないと、大家さんが物件を貸し渋ってしまいます。住民としても、立退き料がもらえれば、それで立ち退いていいと考えるでしょうし。住民保護の名目で確立されてきた現在の制度が、必ずしも絶対ではないということを、僕ら弁護士は常に意識しておく必要があると思います。)

まあ、いろいろ書いてきて、他にも書きたいことはたくさんありますが、「買わなくても住処を確保できる」というのは、真実です。

ただ、「住処」というのは、「なわばり」という本能と一体で、その「なわばり」が、自分の所有物ではなく「借り物」というのは、本能的に気持ちが悪いのです。

「所有権」という概念は、チンパンジーにもあるらしく、人類の本能に根付いています。

だから、ヒトは、本能的に「なわばり」を「所有」したくなります。

しかし、「所有」は、今となっては、チンパンジーが考えているような原始的な概念を離れて、かなり高度化し、所有者は、所有物に対する「責任」も負うことになります。

例えば、所有者は、所有物の管理不行き届きによって誰かに被害を与えた場合、その被害を賠償しなければいけません。

こういった「責任」も、「所有」には付随してきますが、この責任は、本能にはインプットされていません。

「本能」というのは、僕らの感情を支配しているので、払拭するのは非常に難しいです。しかし、本能があるせいで、買わなくても住処を確保できるにもかかわらず、わざわざ、買ってしまうことには気を配るべきだと僕は思います。

「それでもなお、買いたい家がある」なら、堂々と買えばいいとも僕は思います。こだわった家に住みたい、こだわった家がほしいなら、買うしかありません。

「賃貸か購入か」という議論は、「損か得か」という文脈ばかりで議論されるような気もしますが、買わないと手に入らない物件が存在することも忘れてはいけないと思います。

それではまた明日!・・・↓

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