#85 何のために頑張る?
今日,西野亮廣さんのnoteを見つけました(こちら)。
今日の今日まで知りませんでした。
もうね,この人は日々生み出す発信の量が僕とは全然違います。
アメブロとnoteで無料で文章を公開しながら,Voicyでラジオ配信し,そして,メインのオンラインサロンに毎日,もっともっとフルスイングした文章を投稿している・・・
もうね,こんなとんでもない人に,僕が情報発信量で勝つことはできません。
一生勝てません。
生きてれば生きているだけ,毎日倍々ゲームで差をつけられていくわけです。
別に西野さんだけじゃない。
僕以上に文章を生み出している人はたくさんいます。
ただ,今日,西野さんのnoteを発見したことで,「はっ」としたんですね
「ああ,やっぱりこの人には追いつけないな。かなわないな。」と
そんな経験は誰しもありますよね。
「追い付けない」「敵わない」と思ったような経験
かくいう西野さんだって,そういう経験をしている最中だと思います。あれだけ挑戦し続けているということは,それだけすごい人にたくさん出会っているわけですから,「こいつにはかなわないな」という思いをたくさん味わっているでしょう。
「ディズニーを倒す」という発言も「ディズニーにはかなわねぇなぁ」という思いがあるからこそ出てくるんだと思います。(とはいえ,本気でディズニーを倒そうと思っているのでしょうけど(笑)。)
そんな「かなわねぇなぁ」という思いを抱えながらも,西野さんは,僕の何倍もの努力をして頑張り続けている。
それはどうしてなんだろうか。
そういう僕も,毎日記事を更新して頑張っていて,「どうしてそんなに頑張るの?」と思われているかもしれない。もしかしたら僕は既に誰かにとっての「こいつにはかなわねぇなぁ」になってるかもしれなくって,もしそうだとすると,その誰かからすれば,僕が頑張るのは不思議に見えているでしょう。
でも「僕は誰かにとっての『かなわねぇなぁ』になってるかもしれない」と思っても心は満たされないんです。
「他の誰かからすれば僕は充分よくやっているように見えているだろう」と想像しても,その想像は僕に何の幸せもくれない。
そんな僕からすると,「頑張っても頑張ってもさらに上がいる」という現実だけが目の前にあるわけです。
僕のやっていることは,僕がどれだけ継続しても,仮に死ぬまで一生このブログを続けても,それでもやっぱり上がいるんです。どれだけ頑張っても,やっぱり上がいる。
こんなこと,皆もっと早い段階で気づいているんでしょうけど,僕は,あんまり具体的に気づいていなかった。自分のために頑張っていなかったからでしょうね。自分で自分のために頑張った結果,それでもやっぱり追いつけない存在に気づくと,なかなか大きな衝撃を受けるものですね(笑)
よく言われることですが,今の御時世,「誰も思いついてないアイデアだ!」と思って,そのアイデアを実現するためにめちゃくちゃ頑張っても,だいたいの場合先行者がいるわけです。もっと早くそのアイデアを思いついている人がいて,その人は既に自分とは比較にならないほど膨大な努力を投下している。
そういう現実に直面すると,頑張ることが無意味に思えてくる。
自分がやりたいと思って努力を始めたのに,一生追いつけないようなことを平気でやっているような人が現れると,自分の無力さを突きつけれられ,努力の意味を見失ってしまう。
だから,答えが必要だと思います。
「結局,自分はどうして頑張るのだろうか」という問に対する答えです。
今の自分がそう。
自分がやっていることを,さらにクオリティ高く大量にやっている人を目の当たりにして,なお頑張る理由は何なのだろうか。
「そんなの自己満足でしょ?」
という結論がすぐに思いつくけれど,これはなんか焦燥として,さみしい。
「自分の頑張りは誰かがきっと見てくれてるよ」と考えるのもアリだけど,ちょっと抽象的で,あんまりモチベーション維持に役立たない。
「頑張らなくてもいい」というのもまた一理。
結局頑張る理由を見失ってしまうならば,最初から頑張らないという結論に至るのも,それはそれで単なる「無気力」と一蹴するべきじゃなくて,傾聴に値すると思う。
でもさ,
僕はうつ病になって全然頑張らなくていい日々を送っていたら,こんな毎日ブログなんていう努力=頑張りに自分を追い込んでしまっているわけで・・・
何の努力もせず,毎日不労所得で暮らしていける現状があるにもかかわらず,あえて,こういう発信に舵を切っちゃってるんです。
だから,「頑張らなくていい」は幻想です。
毎日頑張っているからこそ,「結局上には上がいるんだから,頑張る必要なんかないよ」という幻想を思い浮かべるんです。そして,幻想だからこそ,理想的に映る。
何の努力もせず,不労所得で生きる生活を味わってしまうと,その味わいってまた違うんですよ。期待していた味と違う。何の努力も不要な生活から,努力が必要な生活に自分を「追い込んで」しまうものなんですよ。
そんな僕の答えは,「自己満足」に近いけれど,「ただの自己満でしょ」という文脈で使われる否定的な「自己満足」の意味とは違う。
「頑張っても頑張っても上には上がいるのに,どうして頑張る?」という問に対する僕の答えは,「自己満足」なんだけど,「ただの自己満でしょ」という否定的な意味の「自己満足」とは違うと思っています。
「自己満足」って否定的な意味で使われますが,よくよく漢字を見てください。
自己が満足している
→これって,単純にすげーよ
みんな自己が満足したいんじゃない?
「自己満」って,自己が満足している,つまり,自分が満たされているということですから,それって,とっても幸せだと思います。
で,頑張るって「自己満」につながると思います。大事なのは,「させられ感」じゃなく「やりたい感」で頑張ることです。
「やりたい感」で頑張ることが,「自己満」=「満ち足りた自分」につながる。
みんな自己満のために生きてるはず。
よく,「それって自己満でしょ?」とバカにする人がいますが,その発言は,発言者自身が自分にとっての自己満が何かわからなくなってるところから出てくるような気がします。
自己満のために頑張ること
それが「頑張らなくてもいい」状態に陥った僕の出した答えです。
いくら頑張っても,必ず上には上がいます。
そして「上には上がいるなぁ」と思われている「上」の人も,同じように「上には上がいるなぁ」と思っています。
じゃあ,何のために頑張るか。
それは,自己満足=満ち足りた自分を獲得するため。
それが「頑張らなくてもいい」状態になったけれども「頑張る」状態に自分を追い込んでしまった僕の出した答えです。
とはいえ,僕だって追い付けない人を見るとモチベーション下がる。
「自分は自分と思わなきゃ!」と思ってもなかなかそう単純にはいかない。人間だもの。
目下,「自分は自分」=自己満の練習中です
もう少し練習が必要ですね。というか,一生練習しなきゃいけないかもな(笑)
ぼちぼち練習しまーす。
それではまた明日
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